旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ソレントからサレルノへ。買い出し夕食!

2016-04-01 20:35:13 | イタリア

カプリ発、朝9時過ぎのソレント行きの船にのる予定。

予めもらったチケットは09:05と09:15の二種類があり、ホテルのポーターが言うには09:10発だという。いったいどれに我々が乗れるの? 

懇意にしている島のガイド・アシスタントさんがやってきて「港へ行ってきいてみよう、心配ないから」

はい、心配なく乗れました08:55発予定のソレント行き、09:05発にて空いた船の売店でCAPRIと書かれたバッグ5ユーロを十数個爆買い。行きの船でも同じ金額で勧めてくれていたのだけれど、島を出る時になって、「これは安い」と気が付いた次第。

ソレントに到着 崖の上に見えているホテルが「帰れソレントへ」を宣伝歌として注文したホテル。

ここから尾根をこえてアマルフィ海岸側へ出てしばし走ると、ポジターノ 生のオレンジを絞って出してくれるジュース屋さんはじめ「2ユーロ」と言ったけれど、先に「1ユーロ」の店があったのでみんながそこへ行こうとすると、すぐに「ディスカウント1ユーロ!」だって。こういう商売しているところ、多いです。

海岸線を振り返ると、カプリ島のファラリオーニ岩が見えた

11時過ぎにアマルフィ到着。ここで13時半までお昼時間を兼ねて自由行動

この町は路地を歩くのがおもしろい このちょっとこぎれいな扉は歯医者さんだった 大聖堂は19世紀に大幅改修されたもの⇒午後に訪れたサレルノの12世紀につくられた鐘楼をモデルにしている。 大聖堂内部の博物館にはこんな中国風の輿もある↓

1700年代前半にマカオで制作されたものだという。確かにマカオならば中国の技術やデザインをつかってヨーロッパ・バロック風の装飾がなされたこんな製品が簡単につくれただろう。 はじめ一般の人がつかっていたものが、アマルフィの司教に寄付されたものだそうだ。

大聖堂地下には、十二使徒のひとり聖アンドレの遺物が葬られている

***サレルノ

午後、本日宿泊のサレルノへ向かうここはカンパーニャ州ではナポリに次ぐ二番目の大都市。港には輸出を待つ車がずらりとならんでいた

サレルノは古代から続く町だが、歴史上で重要な役割を果たしたのはローマ帝国崩壊後の中世。8世紀から10世紀のロンゴバルドからノルマン人がその国の首都とした時代。この古びたアーチは8世紀の王アレキの宮殿のものだったと言われている

誰でも名前は知っている1077年の出来事、「カノッサの屈辱」事件の法皇グレゴリウス七世の墓がある、といえば興味湧きますでしょうか。

サレルノ大聖堂の話は⇒こちらに写真入りで書きましたのでごらんください

 大聖堂の前庭

扉はその「カノッサの屈辱」の頃にコンスタンチノープルで制作されたもの⇒ 内部には黄金のモザイクも 地元の詳しいガイドさんとと共にもっと時間をかければ、さらに見どころが見つかる街だと感じた。

****サレルノの海沿いにあるホテルに入ったのは17時過ぎ。南イタリアでは20時過ぎない℃どこのレストランも開かない。 もっと早くどこかで食事にしたいと歩き回っていて、ホテル近くのスーパー内に総菜屋さんを見つけた。 そうだ!今日はみんなで買いだしにしましょう! お部屋で今日まで撮った写真をスライドショーしながらいただきましょう(^・^) ということで、買い物をはじめると・・・見慣れない日本人グループにお店の人が携帯持ち出して一緒に写真タイム  有名観光地じゃあこういう事は起きない。言葉は通じなくてもみんな親切で楽しく対応してくれる。「チキン、お勧めだよ。大きすぎるなら切ってあげますよ」⇒ 肉類の品ぞろえは日本とは比較にならない充実ぶり↓

十四人で食べるので、こぉんなになりました 

ホテルに戻って、ミニトマトは洗って 

みんなで椅子を持ちよってテーブルをつくって、フードラインのできあがり

こういう食事も《手造の旅》ならではの楽しみです(^^)


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