旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ベルタ・ベンツの道

2011-12-01 14:40:42 | 国内
成田より直行便にて17時過ぎにフランクフルトへ到着。上空へは一時間近く前に到達していた飛行機だったが、空港の混雑でランディングは遅れてしまった。
今晩の宿泊地ハイデルベルグまでは、順調に行けば一時間程度なのだが、今日はこの高速道路もまた混んでいる。

いつもは飛行場だけで帰ってしまわれるお迎えアシスタントさんだが、今回たまたまハイデルベルグ在住の旧知の方だった。バスで一緒にハイデルベルグまで行く事になった。道々知らなかった話をうかがえて面白い。

夜の高速道路。真っ暗な中に車のライトだけがぎっしり詰まって流れていく。左手の山には古城や教会がぽつりぽつりと黄色くライトアップされている。
道路近くの看板にラーデンブルグという村の看板が見えた時、「ここはベンツの亡くなった村で、記念館があるんですよ」と言われて、そこから世界初の自動車を世に送り出したカール・ベンツとその奥さんベルタの話題になった。

**

1886年に特許をとったものの、自動車というものに対する評価は芳しくなかった。最高時速は20キロほどしか出ないし、オイル漏れもはなはだしい。ゴムタイヤというモノもないし、現代の様な舗装道路もなく、乗り心地もよくない。

「しかし、実際に走っているところを皆に見てもらえれば、きっと理解してもらえるはず。」有効な手を打てないでいる夫にかわり、一緒に自動車開発にかかわっていた妻ベルタは1888年8月5日の早朝、夫が寝ているうちに二人の息子と共に100キロの自動車旅行に出発した。

天気の良い夏の一日。ブドウ畑の裾野、ネッカー川のたもと、彼女は世界初のドライブ旅行をする。彼女はチェーンが切れると治し、燃料が切れると薬屋に買いに行き、ドライブを続ける。

いつしか人々は彼女をとりかこみ、口々に言った「これからはもう馬なんかいらない」。
このデモンストレーションがきっかけになり、ベンツの作った車は売れ始めた。

この道は2008年にベルタ・ベンツ・メモリアル・ルートと命名され、今年2011年女の功績を記憶するために、「ベルタ・ベンツ・チャレンジ」という催しが行われている。
http://www.bertha-benz.de/indexen.php?inhalt=home


***
20時過ぎ、我々の乗ったバスはハイデルベルグのホテルに到着。時差に負けない数組がクリスマス市へ繰り出す。

私はもう少しこの話がききたくて、アシスタントさんをひきとめた。彼女はなんどかベンツの視察にも行っている。

話をきいていると、カール・ベンツという人は世界初の自動車の発明者であるがそれだけでは無い様に思えてきた。ベンツの工場というのは、小規模ながらもこの人件費の高いドイツに置かれていて、大量生産できない市バスのパーツなどつくっている。

ドイツの自動車工場というのは、グローバルエコノミーが侵略する現代のヨーロッパにおいてさえ、比較的労働環境は整備されていて、そこで働く人々が誇りを持ちえる場所なのだろう。

そして、そこで働く人々は、あのベンツの流れを汲む場所で働けてる事を誇りに思っている。

突然、先ごろ亡くなったアップル・コンピューターの創始者=スティーブ・ジョブスを思い出した。百年先にアップルという会社が存在していれば、きっとそこで働く人々は、彼の末裔であるということに、誇りを感じて仕事をしているに違いない。

人のまっすぐな信念というのは、きっと誰かに受け継がれて生き延びていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする