こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年6月13日 水曜日 欲・食・死

2012-06-13 22:19:10 | 音楽帳


別に断食をしているつもりは無い。
しかし、金曜日仕事を終えて、ズルズルとカラダをひきずり、家に着いてからの土日。
自分は、食事をほとんど摂らない。

「疲れる場」=仕事場。
一週間のカオスを抜け、その場を離れて、自分のテリトリーに戻る。
一気に安堵が訪れると共に動けなくなる。
ナマリのようなズシンとした倦怠感が、玄関に腰を下ろした途端に全身に回る。

自分は目をつむって、痛みと疲労から声も出ない沈黙世界に数分入る。
そうすると、お酒とタバコ以外、特段、何かをクチに入れたいという欲求は無くなる。

この1年半で15kgやせた。
それは、過去から続いた病気のせいでもある。
しかし、別に何かが潜んでいる。
そのはず。

「おまえの言っていることは、いつもの思い込みだ。」
そう周囲や親族に言われながらも、その感覚を持っているのは「わたし」。
さまざまな検査をした。
だが、検査で理由が判明したわけではない。

***

食に関して、無理や恣意的な強要を、自分に課しているわけではない。
「一日三食」という非常識だか常識だか・・・・・不明瞭な分からないこと。

これが、常識に定着したのは、極めて浅い歴史。
そんな事は今まで見聞きしてきたし、自分も怪しく思っている。
だからと言って「じゃあ一日一食だ」などという「意志」はそこにはない。

食に関して、自分はひたすら、ただ、流れのまま。
胎内要求のまま。
日々のバイオリズムが重要という点から言えば、「それは危険だ!」と言われるかもしれないが。
正直、平日も二食だったり・一食だったりする日はあるわけで、今に始まったことではない。

カラダが要求しないことを、無理して「ニセモノのしきたり」に従うつもりは毛頭ない。

***

「日本人は、戦中・戦後の混乱期のように、ハラを減らす必要がある。
ハラが常に満たされているから、このクニはボケと衰退の一途をたどる運命となった。」

そのような意見を聞くことが、3・11以降、特に増えたし、身に染みる言葉でもある。
リアルタイムでは産まれては居ない自分だが、何を言いたいかはわかるつもり。
この言葉は、戦中派のみならず、我々の世代の人のクチからも語られている。

***

ダイエットという用語と行為が、いつの間にか「常用語」になってしまった。
なぜもこんな「贅沢な趣味」愛好家があふれかえる世の中になってしまったのか?
いや、正確には過去の時代にもあった概念。
しかし、今の時代のダイエットには、何かウソ臭いニオイがしてしまう。

そんなに痩せたい「意志」があるなら、独居房に込ればいい。
シンプルに考えれば、そうなる。

部屋に入って、自分のホントの欲望の根源とは何か?
極限の自分に向かい合えば、「気付き」にたどり着く・・・かも、しれない。
あるいは、死ぬかもしれまいが、その瞬間に悟りが開けるかもしれない。

だが、「ダイエット」と語る人には、そんな「意志」は感じられない。

***

なぜ、太るか?
それは、単に自堕落だからに過ぎない。
「ダイエット」などと言いながら、結局痩せようという意志が無いから、願いがかなうわけがない。
当たり前のことである。
意志ではなく「趣味」もしくは「トレンド」に過ぎないのだから。

「はー、いそがし、いそがし・・・ダイエット、ダイエット・・・。
でも、これは『別腹』」と、よく喫茶店や電車の中で聞こえる。

別の腹なんか、ダイエットする人には無いはず。
いやでも聞こえてくる、この手合いの会話に、自分は聞こえないふりをする。
また、その場を去るか、流して済ませる。

***

日々愚行を繰り返し、食べてばかりいながら、
一方で、器具やグッズ、サプリメントやら美容整形によっかかった方々。

個人的には、痩せたい希望を現実に結び付けようとしながら、失敗し続けるこの類の方々の食事を全部カットして・・・
ノラネコや餓えた生き物たちに与えて、食がより幸福に繋がるようになってもらいたいと願う。
そんな楽園を作ってあげたい。
聖人君子ならずとも、そう思うのは自分だけでは無いだろう。

その楽園には、モニュメントがある。
多くのダイエット信者の遺骨が、そこには埋まっている。

「良かったねえ、やせる希望がかなって。」

「ありがとう。キミの食べ物を分け与えてくれて。」
わたしは笑顔で、そのモニュメントにお花と水をお供えをし、目をつぶり合掌する。

■Ultravox 「Monument」 '82■

【「エデンの嵐」に続いて発表された、アルバム「カルテット」。
ここからシングルカットされた「ヒム(聖歌)」のB面曲。】

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このごろ思うこと (北村)
2012-06-13 23:34:58
こんばんは。
体重が減った理由は、すぐに判る深刻な病気ではなかったのですね。
それは、多分「よかった」のだと思います。
少し、ほっとしました。

いまさらですが、最近気付きました。
自分を好きになるのに努力を要しない人がいる(たくさん)ということに・・・。
なんて幸せなひとたちなのでしょう。
心の底からうらやましいです。

私もそんな幸せなひとに、なりたいのですが。

幸せなひとたち(多数)は、無自覚にそうでない者(少数)を傷つけます。
でも、彼らが悪いのでは決してないのです。
誰もが、自分が生まれながらに持っているものについては、「あたりまえ」ゆえに、それをもっていないもののことを想像だにしません。

かたちんばさんは高感度なアンテナを持っているので、いやなものもたくさん見てしまうと思います。
でも、それは、あなたの美点でもあります。
いろいろなものの美しさも、人一倍感じるはずですから。

お元気でいて下さい。
強弱 (かたちんば→北村さんへ)
2012-06-14 00:21:02
北村さん、こんばんは。
北村さんの言葉から、自分がこんなことを書いた理由が逆照射されました。
最近亡くなった、2年後輩だけども、お世話になった優しくも厳しい男のこと。

彼は、とことんやらねば気が済まない男で、過去に精神的理由で休職した時期がありました。
その後、2回目の休職。
自分はてっきり同じ理由と思っていた所、突然の訃報。
斎場に行くまで、自分は自殺と思い込んでいました。

ところが、周りの人に聞いて「えっ」となったのは、膵臓ガン。
この病は、見つかる確率が低く、症状も出ない、とのこと。
最近、背中が痛いと医者に行って分かったのが、手遅れ。
開けたら、既に他にも転移。

彼は、鎮痛剤で終わりの人生を家族に囲まれて過ごしたそうです。
お見舞いに行った知り合いが、彼の言葉に答えが見つからなかった、と絶句したそうです。

「病気があるとしても、それがなんでボクだったんでしょうねえ・・・」

***

北村さんの言う言葉。
確かにその通りかもしれません。
自分はマジョリティではない意識を持っていたとしても、それは自分の意識と条件付けで成立している。
想像では届く距離も、現実にそうならねば、言葉などでは届かない距離がある。
シンパシーさえも、同情という名の、見下ろす目線になってしまう。

最近、心にとまったのが、多勢に無勢ということわざのように、「強者の前で、弱者が勝つのは見たことがない」といった文章。
歴史を見ても、反対運動がコトをひっくり返すのは稀なこと。
諦める、という気持ちではなく、また、それならどんなアプローチや別の手があるのだろうか?
いまさら、こんな一介の凡人が・・・・と解りながらも、もんもんと、そんなことを思っています。

PS:とりあえず内視鏡レベルでは、潰瘍と若干の異物がある程度で済んでいることは、救いです。

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