こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

1982年4月1日(木)FM東京 「ソニー・サウンド・マーケット」スタート

2020-04-17 00:00:00 | 音楽帳

1982年4月、何とかかんとか自分は高校生になった。
その日だったのか、と50台の今になって意識して知ったことがある。
FM東京の夜10時からの深夜番組「サントリー・サウンド・マーケット」は、この4月1日に始まったのであった。

オープニングテーマ曲は喜多郎さん、番組名を告げる声は小林克也さん。
穏やかでどっしりと構えた番組構成は頼もしく、この後初夏に放送されたブライアン・イーノの特集も含め、随分とお世話になった番組だった。

この番組「サウンド・マーケット」はこれより前からやっていた気がしたが、そうではなかった。
1982年3月まで10時台番組だった「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」は、この番組開始に伴い、ここで消えたのだった。
必死こいてYMOのライブをエアチェックした有難い番組だったが。

以下は、3月31日と4月1日の番組表である。
11時以降の番組、12時城達也さんの「ジェット・ストリーム」までの内容には変化はなかった。
3月31日

4月1日



■喜多郎 「サントリー・サウンドマーケットのテーマ曲」■

2週間ごとのFM雑誌「ミュージック・ステーション」は1982年頭に発刊され、僕は第1号から買っていた。
その第8号に、この番組の内容紹介ページがあるので、掲載する。
スタート時のパーソナリティは、ジャズシンガーの金子晴美さん。
(途中産休か育児かで西田珠美さんにバトンタッチした。)

当時FM放送は、NHK-FMとFM東京しかなかった。FM東京は元々実験用としてできた民放FM局だった。
当時のFM東京には品があった。この番組への金子さん起用のように、あくまで音楽を中心としながら、大人が聴ける上品さをたたえていた。

その後、80年代終盤の何もなかった時代=平成時代幕開けにJ-WAVEが開局し(*)、それ以降FM他局化時代をむかえた。
(*・・・正確には、J-WAVEは1988年10月1日スタート。平成は翌1989年1月8日より)
その後の変遷には疎い。興味を失ってFMを積極的に好んでは聴かない不遇の時代が続いた。

あれから30年近くを経て、この数年、FM東京を聴いた。
それも終日という地獄。というのも、自分が行っていた職場は(誰か好きな人が居るのだろう)常に朝から晩までFM東京が流れていて、他局に替えることが出来なかったのだった。
このとき聴いてショックで残念だったのは、過去FM放送にあった骨格のようなものはなくなっており、全く下品な垂れ流し放送局となってしまったことだった。

***

311後ワイドFMという実験を経て、Radikoが正式スタートを切って数年が経った。
現代はむしろAMに素晴らしい番組が多いのだが、デジタルのクリアな音声でAM・FM両方を聴けるようになってしまうことを、FM関係者は1つ上の高いところに居るとでも思っていたらしく、AMとのカベが取り払われる参入を毛嫌いしたものだが、そのようなプライドに匹敵する番組作りを行って頂きたいものだ。

いずれにしても、当時愛していたFM東京の姿は、現時点で一部を除いて跡形もなく無い。
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