認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

高齢ドライバーによる運転の適正能力の検査方法と要点(B-87)

2017-08-01 | 車の運転と注意の分配力の機能

(プロローグ)

一方通行等の道路標識や信号を無視した走行をするとか、歩道に突っ込むとか、高速道路を逆走するとか、高齢者による自動車事故の問題が大きな社会問題としてクローズアップされています。今回は、何故、高齢者による事故が多発するのかを、脳の機能と言う視点から解き明かし説明してみたいと思うのです。そのKey wordとなるのは、私たちが「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の中核をなしている機能であって、異なった複数のテーマを同時に並行して処理する上で不可欠の機能である「注意の分配力」と言う機能の機能レベルの低下、一つの要因は「加齢による機能低下」と言う問題であり、もう一つの要因が「廃用性の機能低下」と言う問題なのです。その問題の背景には、単なる「高齢者」ではなくて、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、早期の段階の症状が発現して居ながら、認知症の専門家達から見落とされている「認知症高齢者」(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の認知症高齢者)による車の運転と言う問題が潜んでいるのです。加えて指摘しておくと、医療現場では、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムを知らないだけでなくて、「アルツハイマー型認知症」の症状についても知らず(「段階的な症状」と言う視点さえもなく、「脳のリハビリ」による回復の可能性と言う視点さえもない)、更には、『治療の効能はないが、症状の進行を半年から1年程度遅らせる効果が期待できる』とかの謳い文句で販売されている薬が副作用だけで症状の進行を遅らせる効果さえないことも知らないで(ここを「クリック」してください:「治験」の段階で、脳の使い方としての「生活習慣」という要因による、症状の進行の抑制と言う要素を気付かないでいたか、見落としているのです)、おまけに、記憶障害の症状(この場合は、「物忘れ」の頻度が高いというだけの基準)が確認されると「発病の予防」と称して当該の薬を処方しているという、考えられないような売り上げ至上主義の不条理な実態があるということなのです。

 & 私たちの意識的な世界を構築している「前頭葉」の機能

  意識的な行為の世界と「前頭葉」の個別認知機能によるその認知度及び機能の発揮度の仕組み

最近行われた都議選の結果についての自分なりの分析に基づく私見をお互いに開示し合い、口角泡を飛ばした議論をするにも、ダイヤランドに在る脳活性化研究所に行くのに、どの道筋を通ってどんな楽しみ事を挟んで行くのかをシミュレーションするにも、梅雨の間に伸び放題になっている上の玄関に通じる階段脇のサツキの植え込みの枝が刈り込まれた枝先が整然としていてそれなりに綺麗な状態を見せるような刈込をこの炎天下でどのようにやれば良いのかシミュレーションするにも、8月1日に公開を予定している「187回目」のブログの構成内容とその順番をシミュレーションするにも、私の頭の周りをうるさく飛び回っては羽音を立てている小うるさい蚊を手で上手に叩いて仕留めるにも、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルで活躍してくれることが必要不可欠の条件となるのです。この秋には、古希を迎える年齢とは言え、この程度のことは私にとって取り立てて騒ぐほどのことではないのです。勿論のこと、「第二の人生」を送っておられる60歳を超える年齢の「高齢者」に該当する皆さんの場合にも、大したことではないと感じられていることだと思うのです。私たちが正常老化の性質と名付ける「前頭葉」の機能低下と言う問題が加齢と共に進行してきていて、「物忘れ」の症状が日常の生活面で気にはなっている状態に在るとはいえ、上記に類似した生活体験と言うか、ご自身の現在の脳の機能レベル下での、「注意の分配力」の機能による処理は、日常茶飯事程度のことだよとおっしゃることと思うのです。そうなのです。私たちが主張する「アルツハイマー型認知症」発病の第一の要件、『「第二の人生」を送っていて、60歳を超える年齢の「高齢者」であること』に該当はしていても、正常老化の性質のせいで、緩やかな老化のカーブに沿って「前頭葉」の三本柱の機能が機能低下を進行させてきていようとも、異常な機能レベルにまで脳の機能が衰えて行くことは無いのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能が異常なレベルに衰えて行くこと、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」を発病するには、私たちが主張する「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状が発現するには、私たちが主張する発病の第二の要件であるナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因して進行する廃用性の加速度的で異常な機能低下と言う要件を充足する必要がある(第一の要件と第二の要件とが同時に充足されることが必要)からなのです。毎週のように、このブログを読んでおられる皆さんであれば、廃用性の機能低下が進行しているはずがないからです。ご安心ください。

 

& 「前頭葉」の三本柱の機能と認知の面での二重構造の関係

私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする場面では、興味、関心、自発性、観察、分析、把握、考察、理解、洞察、推理、推論、推測、憶測、構想、想像、発想、空想、幻想、妄想、企画、計画、創意、工夫、予測、予見、シミュレーション、具象化、抽象化、比較、検討、選択、修正、整理、機転、抑制、忍耐、感動及び判断等、「前頭葉」の機能を構成している各種の高度な個別の認知機能の機能を正常発揮する上で、一定レベル以上での機能の「発揮度」が確保されていることが必要不可欠となるのです。機能の発揮度が一定レベル以下だと、上述した「前頭葉」の各種個別の認知機能の機能自体が必要なレベルで発揮されなくなるのです。そうした個別の認知機能による機能の「発揮度」の高さ或いは低さを左右しているのが、「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」という「前頭葉の三本柱」の機能なのです(機能の「発揮度」とそれにリンクした「認知度」とが共に、「前頭葉」の「三本柱」の機能の機能の発揮レベルと「リンク」しているのです)。この機能構造を私たちは、「二重構造」の関係と呼んでいるのです(14689例から成る「脳機能データ」の解析結果が主張の根拠となっています)。

前頭葉」を中核/中枢の機能として、有機的な連携のもとに「左脳」や「右脳」や「運動の脳」も参加して、脳全体で何をどのように実行するのかを組み立てるには(自分が置かれているその状況を理解した上で適切に判断し、判断に沿って実行すべき「テーマ」をいくつか発想し、その中から1つを選択して、その実行内容、実行の手順及び実行の程度と態様とを組み立て、決定し、決断するには)、先立って且つ常に、必要な機能レベルでの「意欲」の継続的な発揮が不可欠となるのです。自分が現在置かれている状況と環境の理解と判断をベースとして、様々な状況の変化を予測して考慮しつつ、いく通りかのケース・シミュレーションを経た上で最終的な実行内容、実行の手順及び実行の程度と態様とを決定して、最終的に実行に移す決断を下して、脳の各部に実行の指令を出すには、必要となる機能レベルを維持しつつ、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の継続的な発揮が不可欠となるのです。

上述したように、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能は、左脳、右脳及び運動の脳という「三頭立ての馬車」の「御者」の役割、脳全体の「司令塔」の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の重要な構成要素である「個別の認知機能」による機能の発揮度及びその結果としての関連する対象及びその内容の認知度を左右し、下支えする働きを担っているのです。このことを言い換えると、「前頭葉」の三本柱の機能による個別の認知機能の発揮度及び認知度が、「前頭葉」の三本柱の機能の発揮度に左右されているという、「二重構造」の関係が存在しているということなのです。これは、私たちが世界で初めて発見し、主張していることなのです。但し、この主張内容については、実証できる「脳機能データ」が存在しているので、仮説ではありません。 

世界中の脳科学者や認知症の専門家とされる人達の誰もが未だ気づいてはいないその「テーマ」である、「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズムが解明され、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」という脳機能の働き方のメカニズムにも注目が集まることにより、やがては、何層もの独立した意識(私たちに言わせると、本来は「意識状態」と言うべきものなのですが)が同時に存在するという「重層的」な意識の同時存在とその統合と統括という問題に関わる「意識の覚醒度」(より正確な表現でいえば、「意識状態」の存在と異なるその「覚醒の度合い」を特徴とするのですが)という「視点」が、専門家達に注目される時代が早晩やってくることになるのです。そうなれば、認知症の症状が発現してくる前の段階で(彼らの言葉で言うと、認知機能が正常な段階で)アミロイドベータを脳内から排除する(解消させる)などと言う荒唐無稽で、且つ、重大な誤りを犯している発想は出てこないはずなのです。新機軸などと評価するのは大間違いなのです。

「前頭葉」の三本柱の機能が担う重要不可欠のものとして、覚醒度が異なる複数の「意識」が重層的に、且つ同時に存在する状況下での、全体の及び/又は個別の「意識」の構築とその異なる覚醒度を支配し、統括し、コントロールする機能が存在しているという、脳の機能構造面からの視点(これまで誰にも知られてこなかった視点)を問題提起しておきたいと思うのです(「意識の構造」について関心がある方は、このブログの。B09B12を検索して読んでみてください)。勿論のこと、その「テーマ」を理解するには、「前頭葉」の三本柱の機能の一つであり、廃用性の機能低下という視点で言うと最初にその機能が衰えていくところの機能である、「注意の分配力」の機能の重要性とその理解の問題が直結しているということになるのですが。

複数の重層的な「意識」(意識状態)が存在している世界と言っても、その「意識」の覚醒度が様々に異なる世界、対象となる特定の「主題」に絞り込まない限り、基本的には常に複数の重層的な「意識」が構成され存在しているという、私たち人間だけに特有の「意識」の世界とその働きのメカニズムに、脳科学者達が未だ気づいていないだけのことなのです(「クオーリア」がどうのこうのと悪ふざけをしないでいただきたいのです)。

注1)様々な種類が数有る認知症の内の90%以上の割合を占めているのが、今回取り上げる「アルツハイマー型認知症」(生まれつき特定の遺伝子に異常が確認される人たちだけを対象として発病するのが特徴である「アルツハイマー病」とは、発病の機序が全く異なるのであり、両者をまとめて「アルツハイマー病」と呼称している人達は、肝心の「アルツハイマー型認知症」についても、更には「アルツハイマー病」についても、その本質を理解していない人達なのです)と言うタイプの認知症なのです。「アルツハイマー型認知症」の発病のメカニズム及び症状の重症化のメカニズム並びに症状を治す方法及び発病自体を予防する方法の解明には、私たち人間だけに特有のものである「意識」を構築するメカニズムの理解及び上述の脳の機能構造の理解並びに「前頭葉」と言う脳機能の廃用性の機能低下という問題の理解が不可欠となるのです。様々な程度及び態様により発現して来る「アルツハイマー型認知症」の症状が、「器質的な病変」に起因したものであるとか、更には「記憶障害」に起因したものであるとかの前提自体が根本的に誤ったものなのであり、その誤った前提の下で、「記憶障害」を惹起する原因として「老人斑」(アミロイド・ベータ仮説:従来は通説としての地位)やら、「神経原繊維変化」(タウタンパク仮説:従来は少数説としての地位)とやらが主張されてきたのです(老人斑やら神経原線維変化の持つ毒性により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹起されることにより「記憶障害」が惹き起こされてくることが「アルツハイマー型認知症」の症状が発現する原因であるとする仮説のストーリーを組み立てているのですが、このストーリー自体が推論、空想、妄想に過ぎないのです)。『「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくる』とする米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定の「第一の要件」が、「記憶障害:memory impairment」の確認を要求している(impaired ability to learn new information or to recall previously learned information)こと自体が、発病との間の因果関係を未だに立証できてもいない単なる推論、空想の類に過ぎないものだからなのです。

我が国を代表する理化学研究所や東大や京大がその規定を鵜呑みにして、アミロイド・ベータ説を支持し、主張している様を見るのは、とても哀しいことなのです。

私達が独自に開発した精緻な神経心理機能テストを活用して集積した「生きた人間の意識的な世界」を構築し、統括し、支配し、コントロールしている脳機能、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした認知症の症状、「アルツハイマー型認知症」の症状としての14689例にも上る「脳機能データ」の解析結果によると、「アルツハイマー型認知症」発病の要因は、第一に「加齢」であり、第二にナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」の継続に起因した「廃用性の機能低下」だからなのです。「記憶障害」が第一の要因だと主張する人達は、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階、正常域との境界域にある「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状を精査してみて頂きたいのです。その段階では、「記憶障害」に起因した症状は欠片も観察することが出来なくて、「前頭葉」の機能障害に起因した症状だけしか確認されないのです。従って、老人斑や神経原線維変化の原因であるアミロイド・ベータやタウ蛋白を脳内から排除する方法(消去、分解)を、どこまで追及してみたところで、その追求は、時間とコストと有能で若い人材の果てしもない無駄遣いに終わるに過ぎない研究方法と言うべきものなのです。そのことに研究者や研究機関が気づいていないことが、重大な問題なのです(徒労に終わるだけではすまない)。

その理由は、このブログで何度も指摘してきているように、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状、私たちの区分で言う「小ボケ」、「中ボケ」及び「大ボケ」の三段階に区分される症状は、「記憶障害」に起因して発現してくるものではないからなのです。言い換えると、「記憶障害」と「アルツハイマー型認知症」の症状の発現との間には直接の因果関係自体が何等存在していないからなのです。加えて、「DSM4」の規定の第二の要件が確認を要求している失語、失認又は失行の症状の確認を待って初めて「アルツハイマー型認知症」の発病と診断していたのでは、本当の意味での早期の段階(私たちが区分する「小ボケ」及び「中ボケ」の段階であって、「脳のリハビリ」により正常な機能レベルに回復させることが出来る段階:言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の症状を治せる段階)を見落としてしまうことになるのです。「脳のリハビリ」により治すことが困難となる末期の段階、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の更に後半にならないと発現が確認できない極めて重度の症状である失語や失認や失行の症状ばかりを追い求めることに何の意味があると言うのでしょうか。このままでは、何時まで経っても、発病のメカニズムを解明することは出来ないし、症状を治す方法を解明することが出来ないし、発病自体を予防する方法を解明することも不可能なのです。『アミロイドベータの蓄積による老人斑の蓄積の段階を過ぎると神経原線維変化が現れてきて、その次の段階では、「アルツハイマー型認知症」を発病することになる』と言うストーリー自体が、因果関係を無視したもの、単なる推論、空想、妄想に基づいたものなのです。その空想に基づいて組み立てられた推論である『アミロイド・ベータを脳内で分解させる方法を確立することにより、「アルツハイマー型認知症」の発病を完全に予防できる』との主張が、夢物語に過ぎないことを此処で明確に指摘しておきたいのです。廃用症候群に属する生活習慣病(但し、此処に言う「生活習慣」とは、食生活ではなくて、脳の使い方としての「生活習慣」であることに留意する)であるにすぎない「アルツハイマー型認知症」の症状の進行を抑制/防止するにも、症状を治すにも、更には発病自体を予防するにも、そのカギとなるのは、アミロイドベータの脳内からの排除(解消)なのではなくて、「前頭葉」の活性化、就中、「前頭葉」を含む脳全体が活性化する「生活習慣」の構築/改善/工夫及びその実践と言う方法だけなのです。

 

注2)欧米では、日本の10倍以上もの規模がある製薬会社が治療薬の開発に相次いで失敗したことを受けて(アミロイドベータ説の考えを基礎とした考えの下での治療薬の開発に失敗した)、アミロイドベータ説と言う仮説は、過去のものとなって行こうとしている状況にあるのですが、我が国では、理化学研究所や東大や京大が依然としてアミロイドベータ説を主張していて、通説としての地位を維持しているのです。これだけの権威ある組織と肩書のある人達の主張としての内容であれば、一般の人達はその主張内容が正しいものと信じてしまうと思うのです。アミロイドベータ説を基礎とした治療薬の開発の可能性を声高に主張している人達は、それだけの自覚、社会的な責任を自覚していただきたいと願うのです。専門家であれば特に、「因果関係」と言うテーマについて、真摯に向き合い考えて発言もしていただきたいのです。実際にはいまだに「仮説」のままでありながら、まるで「因果関係が立証されている」かのような誤解を与える表現で、テレビや自著や雑誌の特集記事で自説を展開する態度は、厳に慎むべきだと思うのです。「アルツハイマー型認知症」の本態は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」(但し、食生活ではなくて脳の使い方としての生活習慣であることに留意する)であって、発病するかしないかは、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の高齢者が、日々の生活の中で、どのような生活習慣、脳の使い方としての生活習慣を送っているのかが分岐点となるのです。このことを標語的な表現で説明すると、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が、発病の直接/唯一の引き金になるということなのです。

様々な程度及び態様により発現が見られる「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶の障害」に起因して発現してくるものではないことの証拠として、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした症状として私たちが類型化した「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状(正常域との境界にあって、「アルツハイマー型認知症」としての症状の極めて初期の段階の症状が確認されているもの)を参考までに以下に列挙しておきます。我が国では通説の地位にあるアミロイドベータ説や少数説であるタウ蛋白説を声高に主張している人達は、是非これらの症状に注目していただきたいと願うのです。

   

注3)学者や医師達の間で最近はやりの基準、「軽度認知障害」(Mild Cognitive Impairment:MCI)という基準(概念)は、「アルツハイマー型認知症」の予備軍(発病の危険度が高い人達、言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の潜在的な発病状態にある人)のことを言うものとされているのですが、この概念(基準)自体が、極めて曖昧な概念であり、且つ、「アルツハイマー型認知症」の発病との間の厳密な因果関係が未だに立証されてはいないもの、疫学的な手法での「或る程度の因果関係の存在」の主張がなされているものに過ぎないのです。MCIの定義自体が、「健常者と認知症の人の中間段階にある」状態の人達を指すという、意味不明の定義の品質なのです。「アルツハイマー型認知症」を発病してはいないものの、数年後にはそのうちの数パーセントの人達が「アルツハイマー型認知症」に移行する可能性のある状態のことを言うと説明されているのです。すべてに厳密な定義を旨とする私からすると、このレベルの定義の仕方を許容することが出来ないのです。

「アルツハイマー型認知症」の初期症状(軽度の認知症の症状)という意味で使われることもあるのですが、通常は「アルツハイマー型認知症」になる前の段階のことを軽度認知障害(MCI)と呼んで、「アルツハイマー型認知症」の発病とは異なると説明しているのです。

但し、私たちが区分し、主張している「小ボケ及び中ボケ」の段階を指している訳ではないので注意してください。学者や医師達は、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定が正しいものとの前提に立っているので、一つにはその「第一の要件」で確認が要求されている「記憶障害」に起因したものと言う誤解に立脚しているのです。MCIの症状として挙げられているものを見ると、「記憶障害」の症状が中核の症状として挙げられているのです。もう一つには、「DSM-4」の「第二の要件」が規定している失語、失認又は失行の症状の確認があって初めて「アルツハイマー型認知症」の発病と言う理解(これまた重大な誤解に過ぎないのですが)をしているので、彼らが言う「軽度の認知症の症状」と言うのは、失語、失認又は失行の症状より軽いものでありさえすれば、どんな症状でも良いのです。そもそも、「アルツハイマー型認知症」の症状自体についての正しく明確な理解も出来ていなければ、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で発現してきている症状が「アルツハイマー型認知症」の症状であることさえも知らない人達が、その権威だけに任せて定義しただけのものに過ぎないのです。

※「軽度認知症」(小ボケ)に特有で、代表的な症状の8項目

□ 発想が乏しくなって、画一的な行動が目立つようになる

□ 何事にも億劫で面倒がり、やろうとする意欲が見られない

□ 一日や一週間の計画が立てられず、なにも思いつかない様子

□ 問いかけに対する反応が遅く、生き生きした笑顔が見られない

□ 根気が続かず中途半端なことを繰り返し、やりかけが目立つ

□ 目の光がどんよりとしていて、普段の顔つきが無表情となる

□ 歩くとき前屈みの姿勢で、小股でトボトボと歩く

□ 自分に自信がなくなり、何かにつけて人を頼ろうとする

此処に挙げた症状は全て、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」の段階)に特有な症状であり、それらの症状が発現してくるメカニズム(機序)は何かというと、認知症の専門家達が言っているような器質的な病変に起因したものではなくて、更には、「記憶障害」に起因したものでもなくて、単なる機能の低下、就中「前頭葉」の機能について生じてくる廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因した症状ばかりなのです。猶、此処に列挙した症状は、私たちが独自に開発した「二段階方式」の手技を活用して集積した14689例もの極めて多数に上る、然も、マウスなどではなくて、生きた人間の「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルに厳密にリンクした症状であり、且つ、「キッカケ」の発生から発病までの数年間にわたる期間についての脳の使い方としての「生活習慣」の在り方を精査して得られた症例ばかりなのです。「因果関係」の立証が未だに為されない儘でありながら、単なる推論や推測や憶測や空想に基づいているだけの主張内容でありながら、今回取り上げている「アミロイドベータ説」なるものは、我が国では突出した権威が有る組織や人達が主張している為に、一般の人達が信じてしまうことになる結果として、市町村の保健師さん達による住民参加型の「地域予防活動」の展開や拡大に様々な支障が出ている(悪影響を及ぼしている)のです。

注4)  更に、最近の注目すべき動きとして特集記事が組まれている最新の報道記事によると、基本的にはアミロイドベータ説の考えに立脚した儘で居て(仮説としてのアミロイドベータ説の考えを維持しつつ)、アミロイドベータを脳内で消去(分解)させるタイミングについて、従来のように「アルツハイマー型認知症」を発病した患者を対象とするのではなくて、無症状(認知症の症状が発現する前の意)であってもアミロイドベータが脳内に見つかった段階で発病とみなして、そのアミロイドベータの脳内からの排除(解消)に効果がある薬を開発しようという方向へと舵を切りつつあるのが日米ともに主流となってきているということなのだそうです。何をか言わんや!支離滅裂の推論の展開の仕方と言うしかないのです。この猛暑で、頭がおかしくなってしまったのではないのですか。従来治療薬開発の対象となっていたステージとは、米国精神医学会が策定した「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の第二の要件で確認が要求されている失語、失認、又は失行の症状が確認された「お年寄り」に対する治療と言う考えであったはずなのです。これを言い換えると、末期の段階であり、私たちの区分で言う「重度認知症」(大ボケ)の段階の更に後半の段階、即ち、30点が満点であるMMSEの得点が一桁になるまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルが衰えてきている人達である場合に初めて確認される症状を基準にして発病と診断してきていた訳なのです。その人達を対象として、且つ、治療薬の開発に挑んだ欧米及び我が国の大規模な製薬会社の全てが開発に悉く失敗した、アミロイドベータ説の考えに則って開発した治療薬の候補に、治験段階で既に何等の効能が認められないという結論に到達したというだけのことだったのです。私たちに言わせれば、それはそれで構わないのです。大型の新薬の開発と言うものはそうしたものだからです。問題は、そこから宇宙空間に飛び出すかの如くに突然大飛躍して、認知症の症状が発現してきた後では効果が全く期待出来ないことが判明したので、「アルツハイマー型認知症」の発病が確認されるよりも前の段階、彼らの言葉を借りて言えば、『認知機能が正常な段階でアミロイドベータを取り除く方法が、新規に開発される薬の効果が明確に期待できることとなる』との考え方(これまた、単なる「仮説」にすぎないのです)に舵を切ったということのようなのです。脳内にアミロイドベータが確認されていても、認知機能自体は衰えていない人を対象に、発症が遅れる効果を確認する臨床研究が既に行われているそうなのです。その代表格が、米国立衛生研究所や米国大手製薬会社のイーライリリー社やハーバード大学や東大だというのです。

そうした「仮説」は、とんでもない大間違いなのです。失語や失認や失行等の症状が確認される段階では、見つけるのが遅すぎるだけなのです。「DSM-4」の規定内容自体が重大な誤りであることに気づかないで、「第二の要件」を正しいものとの前提に立って、極めて重度の症状ばかりを追い掛け回していることが一つの問題なのです。もう一つの問題はと言うと、「DSM-4」が「第一の要件」で規定し確認を要求している「記憶障害」に起因したものとしての症状が「アルツハイマー型認知症」の様々な症状を発現させているとの重大な誤解の問題なのです。私たちの「二段階方式」の手技が明らかにしたように、「前頭葉」と言う脳機能に照準を定めて、正常域との境界域であり、極めて早い段階での「アルツハイマー型認知症」としての症状の発現である「軽度認知症」(小ボケ)の段階で発現してくる様々な症状を判定し、鑑別し、類型化してみれば、「DSM-4」が推論により定義した「記憶障害」に起因した症状なのではなくて、「前頭葉」の機能障害に起因した症状、然も、器質的な病変ではなくて脳の使い方としての「生活習慣」に根差した廃用性の機能低下が発病の真の/直接の原因であることが明確に分かるのです。その一つの客観的で厳密な証拠が、『「MMSEの下位項目」には、出来なくなっていく順番という「規則性」が存在している』と言う14689例の症例を集積した明確で厳格で客観的な「脳機能データ」の存在なのです。

加えて言うと、末期の段階であり、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階で発現してくる症状も、記憶障害に起因して発現してくるものなのではなく、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下の進行により発現してきた認知症の症状として(「前頭葉」の機能障害を中核とした廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行したことの直接の反映としての/脳全体の機能レベルに起因しての、言い換えると、その機能レベルを直接反映したものとしての)発現してくるものなのだということを、以下に列挙する大ボケの段階に特有な症状として類型化した8つの症状で理解して頂きたいのです。自分が置かれている状況の理解と判断、状況に沿ったテーマの発想とその理解、テーマを実行するのに不可欠となる実行の内容と手順の組み立て、それに伴う実行内容の選択及び実行の意思決定などに不可欠の機能である「注意の分配力」の機能が廃用性の機能低下によってそこまで機能が衰えてきていること、言い換えると、殆ど働かなくなっていることに直接起因して、それら「大ボケ」の段階に特有な症状が発現してきているだけなのだということを早く理解して頂きたいのです。

※ 「重度認知症」(大ボケ)に特有で代表的な症状の8項目

□ 着ている服を脱ぎたがらず、便で汚れた下着をそのまま平気で着ている

□ 風呂に入るのを嫌がり、怖がるようになる

□ 服を正しく着られず、ズボンを頭からかぶったり、上着に足を通したりする

□ 家族の名前を間違えたり、子供を配偶者と間違えたりする

□ 自宅に居ても落ちつかず、外に出て行きたがる

□ 大小便を失敗しても、後の処置や始末ができない

□ 今は昼なのか夜なのかがわからなくて、夜中に騒ぐ

□ 痛んだものを平気で食べ、食べ物でないものを口にする

 私たちが「脳のリハビリ」(「前頭葉」を活性化させる生活習慣の改善と工夫)により回復させることが可能であるか否か及びその可能性の程度から三段階に区分する「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階(私たちの基準で言うところの「かなひろい」テストが不合格で、MMSEの換算値が24点~30点)では、左脳、右脳及び運動の脳の働き具合は未だ正常なレベルにあるのですが、脳全体の司令塔の役割をしている「前頭葉」の働き具合だけが、もはや正常なレベルにはなくて「異常なレベル」に衰えてきているのです。「アルツハイマー型認知症」の場合は、このように、私たちの意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールしていて、脳全体の司令塔としての役割、左脳、右脳及び運動の脳という三頭立ての馬車の「御者」としての役割を担っている、「前頭葉」の働きだけが異常な機能レベルに衰えてきていることから認知症の初期段階の症状(初期症状)が発現してくるのが特徴なのです。

「DSM-4」の規定のように、「失語」、「失認」又は「失行」という末期の「重度認知症」の段階の更に後半の段階(30点が満点のMMSEの得点が一桁にしかならないまでに「前頭葉」を含む脳全体の機能の機能レベルが衰えてきている段階)にならないと発現することがない極めて重度の症状の確認を診断の要件としていたのでは、「本当の意味での早期の段階」(「脳のリハビリ」により認知症の症状を治すことが可能な「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)の症状を見逃してしまうことになるのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能を正常なレベルにまで回復させることがもはや困難となる段階であり、食事をしたり、服を着たり脱いだり、入浴したり、大小便をしたりする等の「セルフケア」もままならない状態、日常生活面で介護が不可欠となる段階になって初めて「アルツハイマー型認知症」の発病を見つけること、それが「DSM-4」の規定が、意図はしていないものの結果として、そのような不都合な結果を招来させているのです(廃用症候群に属する「生活習慣病」を本態とする「アルツハイマー型認知症」は、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つければ、「脳のリハビリ」を施すことにより治すことが出来るものなのです。それに対して、「DSM-4」の規定が確認を要求している失語や失認や失行の症状を確認して初めて「アルツハイマー型認知症」の発病と診断する重大な誤りが原因となって、末期の段階で見つけて居るから治せないだけのことなのです。全ての責任は、「DSM-4」の規定内容の誤りにあるのです)。

症状が軽い本当の意味での「早期の段階」、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)及び「中等度認知症」(中ボケ)の段階で見つけ、私たち人間の意識的な世界を構築し、統括し、支配し、コントロールする役割を担っていて脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が活性化するような脳の使い方としての「生活習慣」の改善と工夫と実践とにより、症状を治すことが出来る及び発病自体を予防することが出来るのが、その本態が廃用症候群に属する「生活習慣病」である「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の特徴なのですから。その意味で、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防も症状の進行を抑制したり/防止したり、又は症状を治す効能が期待できる何らかの「薬」(治療薬/予防薬)が開発されることは、未来永劫有り得ない事だということを再度強調しておきたいのです。

『様々な程度及び態様により発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状は、「記憶障害」に起因して発現してくるもの』と言う前提自体が、そもそも重大な誤りであり、誤解なのです。厳密な因果関係の確認を無視した、『余りにも粗雑な推論や憶測を大前提とした研究方法を何時まで続けるつもりなのか』、いい加減に目を醒まして頂きたいのです。理化学研究所脳科学総合センター、国立長寿医療研究センター、東大、京大と言えば、我が国では突出したレベルのはずなのに、税金の無駄遣い、若い有能な人材の無駄遣い、それに時間の無駄遣いではないですか。それらの組織に比べれば、豆粒よりも小さな組織であるエイジングライフ研究所がここまで解明できているというのに、何時まで、マウスのおしりばかりを追い掛け回しているのですか。「マウス」のおしりなどではなくて、私たち人間の意識的な世界、「前頭葉」と言う脳機能の世界、就中、「前頭葉」の廃用性の機能低下と言う問題(視点)に何故、何時までも、気づかない儘なのでしょうか。我が国では超トップ級の権威を有するこれだけの機関が、何時までも、『器質的な病変が原因』だとか、『アミロイドベータの蓄積が原因』だとか、『症状は、記憶障害に起因して発現してくるもの』だとか言った、極めて重大な誤解、粗雑な推論、或いは誤った憶測に基づいた研究を続けているせいで、私たちが実証研究の成果に基づいて提唱している『「アルツハイマー型認知症」の早期診断による回復と発病の予防とを明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の制度化』が現実の政策議論とはならないで時間だけが無駄に過ぎていく結果、「アルツハイマー型認知症」の発病者及び末期の段階の症状が発現してきているお年寄りの数が際限なく増え続けていき、介護関連費用(「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び末期の段階の症状が発現しているお年寄りの介護の費用の総額)が天文学的な規模と稲妻のようなスピードとで増え続けて行ってしまうのです。あー!哀しいかな。

この誤った大前提を維持した儘で居て、発病前とか発病後とか議論して、研究方法や内容を変えてみたところで、「アルツハイマー型認知症」の「予防薬」やら「治療薬」とやらを開発することは、未来永劫不可能な事なのだと言うことを明確に指摘しておきたいのです。

『アミロイドベータの沈着により形成される「老人斑」自体のもつ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招来させることが直接の原因となり、「記憶障害」が惹き起こされ、その「記憶障害」に起因して「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるとの仮説』(或いは、『タウ蛋白の蓄積により形成される「神経原線維変化」自体のもつ毒性が、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を招来させることが原因となり、「記憶障害」が惹き起こされ、その記憶障害に起因して「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるとの仮説』自体が、誤った内容の「仮説」だということに早く気づいて欲しいと切に願うのです。何度もこのブログで指摘してきているように、『「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であり、第二の人生を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」であることが「発病の第一の要件」であり、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもないナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続が「発病の第二の要件」であり、二つの要件が同時に充足される条件下で、「前頭葉」を含む脳全体の機能について廃用性の加速度的で異常な機能低下が進行していくその先に「アルツハイマー型認知症」の発病及び症状の重症化が待っているということなのです。様々な程度及び態様により発現してくる「アルツハイマー型認知症」の症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを直接、且つ、厳密に反映した症状として発現してくるだけのものなのです。

   

 & 「アルツハイマー型認知症」の「小ボケ」の段階と脳の機能

ここで話題を本題に戻して説明すると、或る特定の「主題」に「意識」を集中させて、一定レベルでの機能を発揮させるには、「意欲」と「注意の集中力」の機能の発揮が不可欠となり、同時に存在する複数の「主題」について「意識」を分配させて、それらに対し一定レベルでの機能を同時に発揮させるには、「注意の集中力」と「注意の分配力」の機能の同時発揮が不可欠となるのです。但し、我が身が置かれている状況下での特定の「主題」を選択し/特定の内容に「意識」を集中させる機能は、「注意の分配力」の機能ではなくて、別の機能である「状況を判断する機能」ではないかと私たちは考えているのです。特定の「テーマ」に対して「意識」を集中させること、言いかえると、特定の意識の対象となるテーマが状況の判断により、時々刻々と別のテーマに変化していく実態が存在するからです。「評価の物差し」が関与することによって/且つ同時に、特定の「主体」に向けられた「覚醒された意識の世界」が出現することになるのです。「前頭葉」と言う機能部位には、カメラのレンズの焦点を特定の主題に選択的に切り変えるかのような機能が備わっていると考えられるのです。

ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」の継続に起因する廃用性の加速度的で異常な機能低下を本質とする「アルツハイマー型認知症」の場合には、脳の機能に衰えていく明確な順番があり、「前頭葉」の三本柱の機能、就中最も高度な機能である「注意の分配力」の機能から異常なレベルに衰えていくことになるのです。私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階では、上述したような意識の世界は、脳の機能面から説明すると、自分が置かれている状況の理解と判断も、テーマの発想も、テーマに沿った実行内容の企画や計画も、実行結果についてのシミュレーションと修正も、最終的な実行内容の選択と実行の決断も、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能の発揮度が明確に不十分/不適切な状態になるまでに機能低下してきているということを基礎とした世界、不十分/不適切な「意識度/発揮度/認知度」の世界にあることを知るべきなのです。

 

&. 車の運転に関わる脳機能

何かの用事の為であれ、どこかへ遊びに行く為であれ、車を運転して出かけている際は、運転中にハンドリングのみに全神経を集中して運転をし続けるということは絶対に無いことなのです。レーシングドライバーのレース中の運転とはそこのところが違うのです。BGMを楽しみながらの運転だったり、同乗者との会話を楽しみながらの運転だったり、或いは、途中の景色を楽しみながらの運転だったり、この先訪れる場所での楽しみ事を想像しながらの運転であったり、庭の花木の刈込や草花の整理を遊びに出かける為にやり残してきたことを心の負担に感じながらの運転であったりするのが私たち市民ドライバーの通常の運転の仕方なのです。私もその例にもれず、ダイヤランドの脳活性化研究所へ行き、部屋の掃除や湿った空気の入れ替えや布団の陰干しのこと並びに途中で中伊豆の創作レストランTAKAで昼食を楽しんでから行くことを頭の隅に残しつつ、BGMを楽しみつつ/途中の景色も楽しみつつ運転をしていくつもりでいたのです。一人で運転していたので、同乗者との会話は無かったのですが、実は一つ気がかりなテーマがあって、途中ずっとそのテーマが脳裏を横切り続けての運転だったのです。そのテーマはと言うと、梅雨の長雨で湿ったままの状態にして置かれている脳活性化研究所の1階の各部屋の状態のことだったのです。あれこれと考えながらの運転だったせいで、途中ずっと、BGMを楽しむとか、途中の景色を楽しむとかの心の余裕がなくなった儘の状態で、運転をしていたのです。梅雨の長雨のせいで部屋が湿っているのではないかとか、カビ臭い匂いがしていたらどうしようかとか、畳にしみこんだカビ臭い匂いを消す為のアルコール消毒液をカインズホームで買って行った方が良いのではとか、そうしたテーマに気持ちがずっと偏っている状態で運転をしていたのです。そのせいで、レストランTAKAについて、駐車場に車を止めて来た道を振り返ってみた時に、梅ノ木平で国道135号を左折して横道に入った時の状況も、冷川の信号で左折してきたときの状況も、全くのこと想い出すことが出来なかったのです。何等の事故を起こすことなく、溝に脱輪することもなく、ちゃんと目的地の一つである中伊豆の創作料理の店TAKAの駐車場に車を止めている私がそこに居るのです。あー、それなのに、梅ノ木平/冷川で信号が青に変わったことを認識した上で交差点で左折してここまでやってきている、その途中の経過を、特に梅ノ木平と冷川での左折時の状況を全くのこと想い出すことが出来ないのです。「加齢」による正常老化の進行により、緩やかながらも「前頭葉」の三本柱の機能、中でも最も高度な機能である「注意の分配力」の機能の潜在的な能力のスパンが低下してきているために、想い出すことが出来ないのです。何十年間も車の運転をしてきていて、自分の周りの道路状況を認識したり、信号が赤から青に変わって進行可能となった事を認識したり、そこからの行く先を考えてハンドルを左に切るなどの行為は、殆ど身体に滲み込んでいるような程度のものなので、僅かな注意を分配するだけでそれなりに適切、的確な動作を行うことが出来るのです。とは言え、『大半の注意は、道中ずっと気にかかっていたメインの「テーマ」に配分されていた状況』なので、交差点での道路状況や信号が赤から青に変わったことの認識やハンドル操作などに対しての認識は「記銘度」が極めて低いものだったということなのです。記銘度が極めて低かったので、その結果として、想起することが出来ないということなのです

日常の生活面で車を運転する機会がそれなりに有る皆さんであれば、特に、「第二の人生」を送っている60歳を超える年齢の「高齢者」に該当する方であれば、こうした体験は日常茶飯事のことだと思うのです。そうした現象が起きてくる脳機能との関係について、今日は、少し詳しく説明してみたいと思うのです。何しろ、認知症高齢者による自動車事故の増加が大きな社会問題になっている現状が有る訳なのですから。

 

& 「認知症高齢者」の車の運転と脳の機能との関係

「認知症高齢者」の車の運転による事故が取り上げられるとき、その場合に言う認知症高齢者とは、「アルツハイマー型認知症」(生まれつき特定の遺伝子に異常がある人だけを対象として、比較的若い年齢のうちに、大抵は30歳代~50歳代までの年齢で発症するのが特徴である「アルツハイマー病」とは、発病の機序が根本的に異なるものなので注意してください。認知症の専門家と言いながら、両者の本質的な差異を知らずに、混同していて、その上、両者を合わせて「アルツハイマー病」と無責任に呼称している人達が少なからずいるのです)を発病している「お年寄り」のことだということに注意しておいていただきたいのです。一口に認知症と言っても、様々な種類が数有るのであり、その場合に車の運転を日常生活で実施する認知症高齢者は「アルツハイマー型認知症」を発病している場合に限られる、その理由は次の二つの要因に整理されるのです。一つは、「アルツハイマー型認知症」の場合は、「症状の幅が極めて広い(私たち独自の区分で言うと、「脳のリハビリ」による回復の可能性とその程度により、小ボケ、中ボケ及び大ボケの三段階に区分しています)」上に、「身体だけは丈夫である」のが特徴なので、「小ボケ」や「中ボケ」の段階にあるお年寄りが車を運転しているケースは意外に多く、極めて稀なケースとはいいながら「大ボケ」の段階にあるお年寄りが運転している場合さえもあるのです。更に、もう一つの理由は、「アルツハイマー型認知症」を発病している高齢者は、特に「小ボケ」及び「中ボケ」の段階の症状が発現してきているだけのお年寄りの場合には、脳血管性認知症の場合のような重度の後遺症を抱えることもなく、言葉もそれなりに操れるし、「前頭葉」の機能レベルを判定してみない限りは、一見したところ普通のお年寄りにしか見えないからなのです。上述の理由と種類が数有る認知症全体の90%以上の割合を「アルツハイマー型認知症」の発病者が占めることからも、認知症を発病しているにもかかわらず車を運転しているお年寄りはそのほとんどが「アルツハイマー型認知症」を発病していることになる訳なのです。「アルツハイマー型認知症」に次いで認知症全体に占める割合が多い「脳血管性認知症」の発病者である場合は、脳を養う血管が重篤な出血を起こしたり梗塞を起こしていること(後遺症それ自体が認知症の症状を呈する)が発病の原因なので、重篤な後遺症としての言葉の障害や身体の機能の障害がある為に車を運転するケースは皆無となるのです。更なる問題としては、「アルツハイマー型認知症」の特徴として、症状が「三つの段階」に区分されることが認知症を専門とする医師達に理解されていなくて、「小ボケ」及び「中ボケ」の段階のお年寄りが見落とされているという問題があるのです。物忘れの症状が多発していることで、「軽度認知障害」(MCI)であるとか診断されていて、認知症の予防の為とか説明されて、効きもしない「薬」を処方されているケースが殆どの場合なのですけど(報道で、認知症と診断された高齢者による車の運転と言うのは、殆どがこのような場合なのです)。医師が「アルツハイマー型認知症」の発病であると診断するときは、「DSM-4」の規定の「第二の要件」で確認が要求されている症状、失語や失認や失行の症状が確認されていることになる訳なので、そうした症状が発現しているお年寄り(末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半にならないとそうした症状が発現してくることは無いのです)が車を運転している状況は基本的には有り得ない事になるのです。そうした背景事情の下で、「小ボケ」や「中ボケ」の段階に在るお年寄りが車を運転するとなると、問題を起こすことになるのです。小ボケの段階で既に「前頭葉」の三本柱の機能は、異常な機能レベルに在るので、肝心の「注意の分配力」の機能が十分には発揮されないのです。走行している道路の状況(車の込み具合、自転車や人の往来の状況、道路の広さを含む道路状況、道路標識の状況、走行している車のスピードの状況、自分が運転している車の状況)等、複数の異なったテーマに注意を同時に並行して分配することが要求されている状況に対して、肝心の我が身の注意の分配力の機能が付いていけないのです。何しろ、「小ボケ」で既に異常な機能レベルに在って、「中ボケ」はもっと異常なレベルに機能が低下している訳なのですから。「小ボケ」の段階の車の運転の特徴はと言えば、車の流れや込み具合などと言った道路の状況に注意を分配することが出来なくて、30KM/時程度のスピードで運転し、後に車を引き連れた状態でノロノロ運転をしつつ、道路の真ん中よりを必死の形相で走行するのが関の山なのですから。

  

& 高齢者の運転機能の適性を判定する適切な方法(手技)

私たちが日常の生活面で車の運転を行っている状況はと言うと、一方では行き交う車やバイクや自転車や人の流れにもそれなりの注意を分配しつつ、他方ではBGMを楽しみながら、お友達との会話を楽しみながら、移り行く周囲の景色を楽しみながら、今日のお昼はどこで何を食べようかとか、夏休みになったら久しぶりにやってくる孫たちにどんなことをしてやろうかとか、何かの「テーマ」についてあれこれと考えながらの運転、ナガラ運転をしている場合が通常のはずなのです。これを脳の機能面から言うと、注意の分配力の機能がフル回転しながら車を運転しているということになる訳なのです。ところが「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症の場合には、「前頭葉」の機能を中核とした、且つ「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていくことにより認知症の症状が発現してきて、「小ボケ」、「中ボケ」、「大ボケ」の順に、次第に症状が重くなっていくのです。私たちが区分する三段階を標語的に表現すれば、『「小ボケ」の特徴は、何事も人に頼ろうとする指示待ち人』であり、『「中ボケ」の特徴は、口先がうまいだけの幼稚園児』であり、『「大ボケ」の特徴は、4歳児以下の機能レベルに在って、脳が居眠りしている状態に在る』と言うことなのです。その中でも、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能、就中、「前頭葉」の三本柱の機能、その中でも「注意の分配力」の機能の機能レベルに注目する必要があるということなのです。通行している道路自体の状況の把握、行き交う車やバイクや自転車や人の流れに対する目配り、車の通行量や速度の状況及び車間距離と自身の車の速度の適性に対する判断、更には、信号や道路標識の指示の内容の理解と判断、それらすべてに対応する形でのハンドリングやスピードの出し方の的確、適切さ、全てが「注意の分配力」の機能(異なった複数のテーマを同時に並行して処理する機能)が正常な機能レベルで働いていることを強く要求しているものばかりなのです

小ボケ」の段階と言うのは、脳の機能面から定義すると、左脳、右脳及び運動の脳のいずれの機能も正常な機能レベルにある中で、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能、就中、「前頭葉」の三本柱の機能が異常なレベルに機能低下してきている状態を言うのです。然も、「前頭葉」の三本柱の機能である「意欲」、「注意の集中力」及び「注意の分配力」の機能のうちで最も高度な機能であり、最初に衰えて行くのが「注意の分配力」の機能なのです。その意味で、車の運転能力の適性を的確、且つ精緻に判定するには、「前頭葉」の三本柱の機能、就中、「注意の分配力」の機能が正常な機能レベルにあるのか否かを精緻に判定することが必要不可欠の条件となるのです。私たちが独自に開発した「二段階方式」の手技は、簡便で、且つ安価でありながら極めて精緻な判定が出来る「手技」であり、現状存在する手技としては最も優れたものと自負してもいるのです。

注)本著作物「Bー87」に記載され表現された内容に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。

 エイジングライフ研究所のHP左の部分をクリックしてください)

 脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

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