第三者の権利侵害は、当人との関係では違憲になりません。
この原則を踏まえ、従来、「第三者の主張適格」と呼ばれてきた問題を
三つの場面に分けて説明していきましょう、という始まりでした。
さて、第三者の主張適格という言葉は、次の三つの場面で使われているようです。
その1 過度広汎性・明確性問題
法文が過度広範ないし不明確な場合、
規制されてもしょうがない行為をやったけしからん奴Yが、
萎縮効果を防ぐという目的で、第三者の権利侵害を主張し、
自らも規制を逃れようとする。
その2 第三者にある種の取り扱いをすること、しないこと、が
当人の権利侵害になる問題
政府批判をしたAさんを弾圧するため、Aさんの親族に刑罰を科す。
その3 自分の権利を保障すると、第三者の利益になるから
その権利の保障の程度は高い、と主張する問題
国民の知る権利への奉仕を理由に、メディアの権利の保障の程度が高くなる。
さて、このブログの読者の方には、もうお分かりと思いますが、
この3つの場面のうち、「本当に第三者の権利を主張している」場面はどれでしょう。
四択っす。
A その1
B その2
C その3
D ぜんぶ自分の権利を主張している
この原則を踏まえ、従来、「第三者の主張適格」と呼ばれてきた問題を
三つの場面に分けて説明していきましょう、という始まりでした。
さて、第三者の主張適格という言葉は、次の三つの場面で使われているようです。
その1 過度広汎性・明確性問題
法文が過度広範ないし不明確な場合、
規制されてもしょうがない行為をやったけしからん奴Yが、
萎縮効果を防ぐという目的で、第三者の権利侵害を主張し、
自らも規制を逃れようとする。
その2 第三者にある種の取り扱いをすること、しないこと、が
当人の権利侵害になる問題
政府批判をしたAさんを弾圧するため、Aさんの親族に刑罰を科す。
その3 自分の権利を保障すると、第三者の利益になるから
その権利の保障の程度は高い、と主張する問題
国民の知る権利への奉仕を理由に、メディアの権利の保障の程度が高くなる。
さて、このブログの読者の方には、もうお分かりと思いますが、
この3つの場面のうち、「本当に第三者の権利を主張している」場面はどれでしょう。
四択っす。
A その1
B その2
C その3
D ぜんぶ自分の権利を主張している
なにか、書き込みがないですね。たぶん、みなさん、「このブログの読者の方には、もうお分かりと思いますが」にプレッシャーかかりまくりなんだと思います。
それでは、私が最初に恥を晒します。
answer:B
理由
その1:不明確性だけなら別ですが、過度広汎性まで主張するならば、それはY自身をも含むところのすべての人に対する関係で不明確であると主張していることになります。his right ではなく、our rights の主張ですね(ちと、語弊あり?)。
その3:「その3」の記述そのものが、そのまま自らの権利の主張であることを物語っています。
その2:こじつければ、自らの被扶養権侵害とかでてくるかも知れないけど、そもそもAさん、(そんな恥ずかしいこと)主張していないし・・・。ご家族の生命・自由・財産は、法的にはご家族自身に帰属するというほかありません。
以上です。
その1と3は問題ないですよね。
問題はその2なんですが、、もし親族へ刑罰を科すことを、「第三者の権利」に対する侵害を主張しているのだとすれば、それが仮に違憲と判断されても「自分との関係では」違憲とはならないはずですよね。そうなると、自分は無罪にはなりません。ここは、親族に対して刑罰を科すことは、「自分に対する権利侵害である」と主張しないといけないと思います。ア゛~なんか微妙。でもそう主張しないと親族は助かって自分は助からない、ってことになってしまうような気がします。
規制されても仕方がない、ということはYにその規制が適用されることは明確だということになりましょう。
そうだとしますと、Y自身の「不明確な法文で表現行為を規制されない権利」を侵害したことにはならないと思います。
その1
まず、明確性については不明確な法律によって権利制約されないというのは本人との関係で問題となります。また、過度広範の主張についても以前先生がブログでおっしゃっていた気がしますが、過度広範な法令は違憲部分と合憲部分が区別できないことから法令全体が不明確となっており明確性の主張と異ならない。
その2
これは、第三者所有物事件の場合だと考えられます。あの事件は、第三者に手続保障を与えないことで当事者が第三者から損害賠償請求を受けることから第三者に手続保障を与えないことが当事者に手続保障を与えたことにならず、権利侵害となるとなる。そのため、この場合も自身の権利侵害を主張することとなる。
その3
ふー、これで最後か。これは、博多駅事件最高裁判決と似ていますね。あの判決は、まずメディアの事実報道の自由を国民の知る権利に奉仕することから憲法21条1項で保障されるとしています。そのため、これも当事者の権利を主張している場合です。
一般市民なのであっている自信がない……。
自らの言論を理由に、奥さんが鞭打ちの刑に処せられるとしたら、それはA氏自身の表現の自由の侵害と評価されるということなのでしょうか?
つまり、単なる親族への不利益は本人の法的利益の侵害と評価できないけど、親族への不利益という本人にとって嬉しくない事実が、本人の憲法上保護された行為と法的に結合されることで、当該行為をする自由が侵害されたと評価できるようになるということでしょうか?
それとも、まさか、A氏の奥さんに対する何らかの権利が、国家により侵害されたという話ではないだろうし、A氏の言論のせいで鞭打たれたということで、奥さんから損害賠償請求を受けかねないといった話でもないと思いたいです(いや、そうなのか?国家の行為の違法が認められなければ、損害賠償請求権が成立してしまうような気がしてきた)。
いずれにせよ、その2にはっきりと「当人の権利侵害になる」とあるので、これはDが正解だった?
なににしろ、A氏自身の権利・利益の侵害・危殆化の内容を捉える必要があります。
なお、はじめから正当な主張であることを前提してしまうと、そりゃあ個別検討するまでもなく、全部、自身の権利を主張しているはずだよね、となってしまいます。この問題は、そうじゃなくて、主張自体失当の場合も含めて「本当に第三者の権利を主張している」場面を選ぶ問題なんじゃないでしょうか?この辺り、どうなんでしょう?
うーん、先生、私は、「このブログの読者」ですが、「もうお分かり」ではなかったようです。
ある夫婦がいて、妻が車を所有していて夫はそれを借りて毎日通勤していたとします。で夫に恨みをもつ人間が通勤を邪魔してやろうと、夫の出勤前に車のタイヤを繰り返しパンクさせたとします。これって、妻にも不法行為に基づく賠償請求権が成立するでしょうけど、夫も自分の法律上保護された利益が「間接」でなく「直接」的に侵害されたとして損害賠償請求権の成立を認めても別に不自然ではないですよね。ってか、加害者の意図を考えると、成立を認めるのが自然だと思います。これと似たような話しなのかなあと思います。
その1
過度に広汎な法令・明確性を欠く法令は、あらゆる適用場面において不明確なので、
法令全体が不明確な法文により処罰されない権利を保障する憲法31条に違反します。
従って、法令が過度に広汎・不明確である!との主張は、
自己の権利侵害を主張していることになります。
その2
政府批判をしたAさんを弾圧するため、Aさんの親族に刑罰を科すことは、
政府がAさんの表現に対して否定的評価をしたことになるので、
Aさんの表現の自由に対する制約になると思います。
従って、自己の権利侵害を主張することになります。
その3
この場合は、自己の権利の重要性の理由付けとして、第三者の利益に資することを主張しています。
従って、自己の権利侵害を主張することになります。
あってますかね・・
まず,漠然性故に無効の法理については,Y自身の,
不明確な法文により処罰されない権利(憲法31条)が,
不当に侵害されていて許されない,との主張です。
明確か否かは当該行為との関係で判断されるので,
そもそも第三者が登場する余地すらありません
(Yとの関係も含めてあらゆる場面で不明確,ということはありますが)。
次に,過度の広汎性故に無効の法理は,
法令の合憲部分と違憲部分とを明確に区別できないために,
結局,法令全体が(Yの規制根拠部分も含め)不明確となるということですから,
やはりY自身の,不明確な法文により処罰されない権利(憲法31条)が,
不当に侵害されていて許されない,との主張です。
「当該法令はYとの関係では合憲」なのに,
どうして,Yの権利を理由に違憲主張できるのだ,ということですが,
この場合,「Yとの関係で合憲」とは,
例えば表現の自由や思想・良心の自由を不当に侵していない,
という意味であって,それとは別に,
「不明確な法文により処罰されない権利」を不当に制約している,
ということになります。
ですので,その1はいずれも,Y自身の権利を主張している場面です。
【その2について】
>第三者にある種の取り扱いをすること、しないこと、が
>当人の権利侵害になる問題
との言葉通り,A自身の権利侵害になります。
要するに,別の人への不利益が,
回り回って本人への不利益になっている。
そしてその本人の不利益は,憲法上の権利についての不利益と言える,
という主張です。
憲法上の権利の行使を制約する方法は,
「その行為自体を禁止する」とか,
「その行為をするには特別の許可がいる」とか,
「将来別の場面で不利益に働くことがある」とか。
色んなバリエーション・程度があります。
それら全てについて本質的なことは,
公権力の介入が,本人の権利行使に法的あるいは事実的な,
抑止効果を発生させる,という点です。
>政府批判をしたAさんを弾圧するため、Aさんの親族に刑罰を科す。
という場合,Aさんは親族のために,
事実上満足な政府批判ができなくなりますから,
これはAさんの表現の自由を制約していると言えます。
これは「Aさんの親族の生命・身体・自由・財産への侵害」が制約とされているのでなく,
あくまで「Aさんの表現活動に心理的ブレーキをかけること」が制約とされています。
ですので,その2も,A自身の権利を主張している場面です。
なお同じ類型の問題として,第三者没収事件が挙げられると思いますが,
これも,所有者に手続保障を与えないことが,
「所有者から損害賠償等を請求される地位に立たされる」という意味で,
占有者自身の適正手続を求める権利の制約になるということであり,
やはり,別の人への不利益が,
回り回って本人への不利益になっているという主張です。
【その3について】
これは自己の有する権利の内容・性質・価値について,
他者との関わり合いが含まれているというだけですから,
当然,自己の権利に基づく主張です。
「私の表現は価値あるものだ」との理由付けに,
「みんなの役に立つから」と述べているだけで,
主張している利益自体は「価値ある私の表現」(の自由)です。
ですので,その3もやはり,メディア自身の権利を主張している場面です。
と言うわけで,答えは
「D ぜんぶ自分の権利を主張している」
です。
2 自己の権利の中に第三者への配慮が含まれている
3 公共的意義から自分の表現の自由の価値を高める主張
→全部自分の権利の主張の場面です。