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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

カボチャ祭り

2011-10-31 16:11:58 | ちょっと一言
というわけで、ハロウィンです。

私の子供のころは、ハロウィンまだまだ黎明期で、
ハロウィンの日に「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」と言っても、
「はぁ?」みたいな顔をされたものであります。

私は、子供たちが仮装してパレードするのは、とても好きなので、
バレンタインやクリスマスよりも頑張ってほしいと思うのですが。

というわけで、ジャックとティムバートンに頑張ってもらいましょう。




ジャックオーランタンというのは、
本来的には、ものすごく怖い怪物らしいのですが、
(確か、3m以内に近づくと金縛りにあって、
 口の中から細い管みたいなのが伸びてきて、
 キャーみたいな妖怪でしたよね?)
(あ、いま、
 「でしたよね?」って、知らないよ、って思ったでしょ?)
すっかり定着して、このように日本中に出没しています。
おそらく、胃ぶらりんよりはるかに知名度の高い妖怪でしょう。

・・・。
ところで、先日、隣町のハロウィン祭りに行ってきたのですが、
日本妖怪に仮装している人をほとんどみかけなかったなぁ。

バレンタインデーみたいに土着化して、どんどん
和テイストも取り入れていけばいいのに。

そうすると、ハロウィンが、毎年、「水木しげる先生祭り」に
なってしまう!
ああ、楽しみ。
(ちなみに、水木しげる先生に、先生を付けないで呼び捨てにする輩は、
 ひょうすべに病気にさせられた挙句、二口女にかじられた上に、いったんもめんに絞殺されて、
 無念の思いからがしゃどくろの一部にされろ、とか思う。)

純粋処分違憲論について(まとめ)

2011-10-31 16:07:17 | 憲法学 憲法判断の方法
「法令は合憲だが、処分・適用行為は違憲」という
芦部第三類型には、理解が三つあります。

そのうち
第一(法文全体は違憲でないが、処分を基礎づける部分が違憲)と
第二(根拠法は合憲だが、処分が根拠法要件を充たしていない)については
前回の記事で解説した通りでありまして、
芦部第三類型は、さらに二つに区分されると理解すべきなわけです。



ところで、芦部第三類型には、こうした理解とは別に、
文字通り、
「根拠法に違憲部分はないが、それを根拠法とした処分・適用行為が違憲」
という類型として理解する、第三の理解があります。

しかし、このような類型は論理的矛盾をはらむものであり、
理論的に存在し得ません。

ええと、
「根拠法の中に違憲部分はないが、それを根拠法としたこの処分が違憲」というのは、
「カラスの中に白い個体はいないが、このカラスは白い」と、言っているようなものです。
不思議の国のアリスか!

・・・。



もちろん、「処分違憲」「適用違憲」という類型があるのだ、
と主張される方々の主張をよく読んでみると、
前回見た処分違憲・適用違憲の第一から第四のどれかを
いっている、ということがほとんどです。
(例えば、駒村先生の「処分違憲」は、
 限定解釈された根拠法の要件を充たさない処分、
 芦部第三類型第二理解を指してますよね)


さて、しかし、
「根拠法完全合憲・根拠法要件充足処分違憲」
という類型がある、という議論は、根強いわけです。
このような類型を、<純粋処分違憲>と呼ぶことにしましょう。

<純粋処分違憲>論者は、次のAさんとBさんの
大きく二つに分かれるように思います。


1 無効部分を定式化できません。

<純粋処分違憲>論者Aさん

「事案があまりにも特殊すぎて、法令の無効になる部分を
 定式化・類型化して示せない場合もあるはず。
 そういう場合を、部分無効と区別して適用違憲といいましょう。」

これは、その事案に適用される法令の一部が無効になることを
否定しているというよりは、
無効部分を定式化せず、「この処分は違憲だ」という処理を残したい
という方です。

そういう意味で、<純粋>な処分違憲論者ではなく、
「理論的には」あり得る立場でしょう。

ただ、私は、違憲部分を明確に定式化しない処理は、
明確性の要請に反するので、やめてください、という立場です。

そもそも、当該処分を違憲とするには、理由づけが必要で
理由づけで違憲要素が上がってるはずですから、
定式化ができません、という事態は想定しなくてもよかでは?
と思ったりします。


2 行政府の責任が問えません

<純粋処分違憲>論者Bさん

「立法府ではなく、行政府に帰責点がある場合、
 一部無効論を採ると、立法府の責任にされてしまう。
 だから、法令合憲・処分違憲論を採る必要があるのです。」

例えば、立川ビラ事件のような事案では、
住居侵入罪を制定し・維持している国会よりも
それを処罰しようとする警察・検察が、
違憲の帰責点であるようにも思います。

こういう場合は、立法は合憲だけど、その適用は違憲といいましょう、
という立場が、Bさんです。

まあ、確かに住居侵入罪の規定が違憲だとは言いにくいのですが、
そういう違憲な処分もOKとしているのだったら、
少なくともその部分は無効にしないとまずいはずでしょう。

現に、刑法230条には、戦後、憲法21条1項ができたために
あわてて230条の2がつけくわえられたわけで。

それに、国民に対し日本国憲法上の権利保障義務を負っているのは、
「国会」や「内閣」、「警察」ではなく、「日本国」という法人です。
このことは、
国家賠償請求の被告が、警察や内閣ではなく、
「国」になることからも良くわかりますね。

「国会」や「内閣」、「警察」は法人の機関であって、
法人格を持った団体ではないのです。

法的責任は、法人格を持った者にのみ帰属するのであって、
「違憲の帰責点を明らかにする」なら、
「国の責任」と処理することで足りるのであります。

さて、そういうわけで、Bさん言う理由から
<純粋処分違憲>という概念を残す必要はなかろう、と思う訳です。



ということで、以上が、処分違憲・適用違憲のまとめになります。

さて、ここまでの記事に対し、予想される反応は二つ。

第一の反応は、
「でもさあ、やっぱり立川ビラ事件って
 <純粋処分違憲の事案>じゃない?」
 (うーんと、これって、あの事件の構造を完璧に
  解きほぐすとわかる問題なんだけどな)

第二の反応は、
「あんたの言うことは分かった。
 でも、実際の論証は、どうやって書けばよいのよん。」という心の叫び。
 (なんで、そんな身もふたもないことを、とは思うのだが、
  もし受験生だったら、すごく、
  あるいは、実際に判決かかにゃならん裁判官だったら!もっと、気になるよね。)

というわけで、今週末くらいから、
順次お答えする新連載を始めることにします。

適用違憲または処分違憲(まとめ)

2011-10-28 12:22:40 | 憲法学 憲法判断の方法
さて、昨日に引き続き、今度は
「適用違憲」または「処分違憲」という概念についてまとめます。

さて、
<処分審査1>と<処分審査2>は、内容が異なる審査であり、
その帰結も、異なります。


1 <処分審査1>の帰結

まず、<処分審査1>の結果、
法令に違憲部分があることが判明したとします。

 <処分審査1の帰結1>
 この場合、合憲限定解釈でその部分を除去できないなら
 可分の意味の一部の違憲とします。
 (これはいわゆる芦部第一類型です)

 <処分審査1の帰結2>
 他方、合憲限定解釈でその部分を除去できるなら、
 合憲限定解釈をします。
(これはいわゆる芦部第二類型です)

この二つの処理を併せて「適用違憲」ないし「処分違憲」という場合があり、
他方、
前者(1-1)だけを「適用違憲」ないし「処分違憲」という場合があります。
(用語法としては1-1だけを適用違憲・処分違憲とするのが一般的です)


2 <処分審査2>の帰結

さて、これに対し、<処分審査2>の結果、
処分が法令の要件を充たさなかったとします。
この場合、処分は、違法ということになります。
違法な処分は、根拠法なき処分の一種であり、違憲ともいえます。

このような<処分審査2の帰結>を、
「適用違憲」ないし「処分違憲」という場合もあります。



3 芦部第三類型の理解の仕方

もっとも、この「処分違憲」は、
「法令は合憲だけど、処分は違憲」という状況を表す言葉として
使われることもあります。
(いわゆる芦部第三類型です)

問題は、
前段:「法令は合憲だけど」と
後段:「処分は違憲」という言葉の意味です。

第一の理解は、
前段を「法文全体は違憲ではないけど」という意味でとり、
後段を「この処分を基礎づける部分は違憲」という理解をするもの。

第二の理解は、
前段を「この法令に違憲部分はないけれど」
   (この法令を適用して得られる処分に違憲なものはないけれど)ととり、
後段を「この処分は法令の要件を充たしていないから違憲」と理解するもの。

第一の理解は、芦部第三類型を
法文違憲審査(=法文に合憲的適用例があるかどうか)を
クリアした法文(=合憲的適用例を一つでも挙げられた法文)について
その処分に適用される部分の無効が認定された場合として理解するものです。

この理解は、<処分審査1の帰結1>の一種といえるでしょう。

これに対し、
第二の理解は、<処分審査2>の帰結を表現しているものです。

芦部先生の記述からは、
第一の理解、第二の理解のどちらが正しいのか良くわかりません。
芦部理解も、両方の理解が拮抗しています。

私の立場は、だったら芦部第三類型は、さらに二つに分かれる
と理解しとけばいいだろう、という立場です。



というわけで、整理すると「処分違憲」と呼ばれるものには
次の四種類があります。

A型 処分審査1の帰結としてその処分を基礎づける法令の一部が違憲
   (芦部第一類型)
B型 処分審査1の帰結として合憲限定解釈
   (芦部第二類型)
C型 処分審査2の帰結として処分が根拠法要件を充たさない
   (芦部第三類型第二理解)
D型 合憲的適用部分があるので法文全体が違憲ではないが、
   その処分を基礎づける部分は違憲(A型の一種)
   (芦部第三類型第一理解)


 (芦部先生は、
  「第三者所有物没収事件は、第一類型にも第三類型にも分類できる」
  おっしゃっています。
  これは、D型(芦部第三類型第一理解)が、A型の一種だからですね)

と、いうわけで、私の議論は、芦部説と齟齬をきたさないわけなのです。
はい。
このことは、自分自身ではそれほど強く意識していなかったのですが、
やはり、孫弟子ということになるのでしょう。わはは。

・・・。
様々なご指摘を頂き、まことにありがとうございました。



4 「処分だけが違憲」論

さて、このように整理してくると、従来の通説(芦部説)に依拠する限り、
その処分を基礎づける法令は合憲だが、
その処分は違憲だ、という違憲合法論的な処理はあり得ない
ということになります。

A型もB型も、その処分を基礎づけている法令の一部は除去されています。
C型は、その処分が根拠法の要件を充たしていないので、違憲違法型。
D型も、その処分を基礎づけている部分は違憲になっている。

さて、ところで、今回議論を進めているうちに、
やっぱり、根拠法合憲・処分違憲っていう事例はあるでしょう、
というご指摘を、複数の方から頂きました。

そして、そうしたご指摘をされる方は、

「だって、法令合憲・処分違法という概念がないと、
 違憲が、立法府ではなく、行政府に帰責される場合に
 責任の所在があいまいになるではないか?」

という問題意識をお持ちだ、ということも分かりました。

そこで、次回は、この点に対し、私なりの反論をさせて頂こうと思います。
結論を先取りし一言で書いておくと、

 「法的責任は、法人格に帰属する」という法学の大原則に
 戻って考えてみて下さいよ!

ということになります。
ではでは、また次回お会いいたしましょう。




補足 用語法の問題

ここで、補足いたしますが、
「適用審査」「処分審査」という言葉と、
「適用違憲」「適用審査」という言葉は、
<処分審査1>を「適用審査」、その帰結を「適用違憲」といい、
他方、
<処分審査2>を「処分審査」といって、使い分ける論者もいます。

他方、これを区別せずに同じ意味の言葉として
使う人も多いです。
(私は、<処分審査2>を違憲立法審査の一種ではないと
 考えているので、これを「処分審査」と呼ぶことは
 不適切だと思っていますが、
 ここはまぁ、ある程度好みの問題でしょう)

処分審査の概念(まとめ)

2011-10-27 13:58:57 | 憲法学 憲法判断の方法
この数カ月、「処分審査」の概念について、
いろいろご質問をいただき、多くの方と議論をさせていただきました。
ちょっとまとめておきたいとおもいます。


1 二つの処分審査

まず、「処分審査」という言葉ですが、これは二つの使い方があるようです。

第一は、その処分を基礎づけている法令の一部分の合憲性を審査すること、
を指して使われる場合です。

例えば、公務員の政治活動を禁じた国公法102条のうち、
勤務時間外に地位を利用することなく行われた政治活動に適用される部分の審査
(猿払一審の審査ですね)を意味する場合。


第二は、その処分を基礎づける法令の法令審査を経て
その法令の違憲部分の除去(部分無効や合憲限定解釈)ないし
その法令の合憲性の確認を経たうえで、
その処分が、その法令の要件を充たしているか、の審査をいう場合。

例えば、公務員のストのあおり行為を禁じた法律を
これは悪質でないストに適用するのは違憲だから、
これは悪質なストに限定すべきとする合憲限定解釈を経た上で、
これが悪質なストといえるかどうか、を審査する場合ですね。


この二つは、同じ「処分」の「審査」といっても全然違います。
前者は、法令(の一部)の憲法適合性判断であり、
後者は、処分の要件を充たしているか否かの判断です。
後者は、法の適用であり、厳密な意味での憲法判断ではありません。


以下、
前者の(法令の)部分審査を<処分審査1>、
後者の(処分の)適法審査を<処分審査2>と呼びましょう。



2 よくある質問

さて、処分審査をめぐっては、しばしば次のような質問を頂きます。


Q1 (法令審査では立法事実を)処分審査では司法事実を参照するのですか?

Q2 処分審査では、目的手段審査はしてはいけないのですか?

この問題への回答は、そこでいう「処分審査」が
<処分審査1>をいうのか、<処分審査2>をいうのか、
でかわってきます。


3 <処分審査1>=法令の部分審査の場合

まず、法令の部分審査という意味での<処分審査1>です。

 Q1 立法事実と司法事実

ここで立法事実と司法事実の定義をしておきます。
この言葉も例によっていろいろと勝手な使われ方をしますが、
厳密な定義は次のようになります。

立法事実=法令の合憲性を基礎づけ支える事実

司法事実=裁判所が、要件事実の有無を判定するために認定した事実


法令の部分審査は、その処分の合憲性ではなく、
その処分が含まれる類型の法令の合憲性の審査をするものです。

なので、ここで参照されるのは立法事実です。

では、司法事実は?ということですが、
何が要件事実であるか、裁判所がどのような司法事実を認定すべきか?は、
法令の合憲性を審査し、その法令がどのような要件を規定しているか、を
画定しない限り、定まりません。

例えば、上のストライキの例でいうと、
悪質なストに限定する部分違憲又は合憲限定解釈が要求されるか、
そうでないか、によって、
法令上の犯罪成立要件がかわってきます。

もう少し抽象的に言うと、憲法判断は司法事実を認定するための前提であり、
憲法判断の段階で司法事実を参照することは、論理的に不可能である、
ということになるでしょう。

(もちろん、司法事実を、裁判所が認定した事実、と定義すれば、
 この距離規制は、薬品の品質維持に役立つとか、
 この法文から一般人は基準が読み取れないという、普通立法事実といわれる事実も
 司法事実に含まれることになるので、この段階で参照されます。
 しかし、それは司法事実と言う言葉を、法学者一般とは異なる
 過度に広範で無意味な定義を前提につかっているからです)


 Q2 目的手段審査

さて、それでは、法令の部分審査で目的手段審査をするか、
ということですが、これは、するということになるでしょう。

上の政治活動の例でいえば、
公務員の外観的中立性という保護法益を守るという目的のために
勤務時間外の地位を利用しない政治活動を罰することが、
目的の重要性や手段として目的との関連性・必要性を肯定できるか、
を審査することになります。

目的手段審査というのは、法令の憲法判断の手法であり、
憲法判断としての<処分審査1>に適用できるのは、
まあ当然ということになります。

(もちろん、法令の憲法判断の手法は、目的手段審査に限定されず、
 ここで比較考量審査をする、こともできます。
 ただ、これは処分審査では目的手段審査が<できない>という
 ことを意味しません)


4 <処分審査2>=処分の適法性審査

では、処分の適法性審査としての<処分審査2>では、どうなるでしょう?

 Q1 立法事実と司法事実

この審査は、憲法適合性判断が終わった法令の要件を
その処分が充たしているか、ということを判断します。

これは、要件該当性の判断なので、
司法事実を参照してやる必要があり、他方、
その法令の憲法判断は終わっているので、ここで立法事実を参照する必要はありません。

 Q2 目的手段審査

また、ここでは要件を充たしているかどうか、が審査されるのであり、
例えば、ストがあったか、あったのなら、そのストは悪質か、といった
ことが審査されます。
なので、目的手段審査や比較考量審査はしません。

(もちろん、法令の要件が、
 目的が正当で、手段として必要性があること、
 というようなものだった場合には、
 目的手段が審査されますが、これは
 憲法判断としての目的手段審査ではありません)


5 まとめ

このように、
<処分審査1>=法令の部分審査では、司法事実は参照せず、目的手段審査をします。
他方、
<処分審査2>=処分の適法審査では、司法事実を参照し、目的手段審査はしません。

このように、司法事実参照の有無、目的手段審査の適否と言う点で
両者は対照的なのですが、偶然にも同じ言葉をあてられ混同が生じたため
わけがわからない感じになっているわけですね。

以上が、処分審査の概念のまとめになります。


ではでは、次回は、「処分違憲」ってなに?という問題をまとめたいと思います。 

九月は法学部生が多い

2011-10-26 20:13:39 | 作品情報 『憲法の急所』
生協書籍部五大学ランキングが更新されておりました。
なんと、東京大学では、1位返り咲き。大阪大学でも3位。
うれしいなあ。購入してくれた皆様、ありがとうございました。
今後もよろしくお願いいたします。

東京大学の9月というと、法学部・法科大学院の試験があり、
図書館なども法学部・法科大学院生がいっぱい
というような感じだったなあと思い出します。

大阪大学の法学部・法科大学院も9月が試験なのでしょうか?
ご存じの方は教えてくださるとうれしいです。


ところで、私の同僚に西村先生という方がいて、
美濃部憲法学の専門家なのですが、
先日、次のような趣旨のご指導を受けました。

「美濃部ハ憲法撮要ヲ出版シテ後、
 講義ノ評、著シク低減ス。
 是、講義ニテ撮要ヲ読ミ上ゲルノミノ故也。
 余ハ心配ス。
 『急所』出デテ後、木村准教授ノ講義、
 如何ニ為スヤト。」

と、要するに、『急所』が出た後、
それを読みあげるだけでは、学生が苦痛ではないか、
ということであります。
(まあ、あの美濃部『撮要』と『急所』を並べて語ること自体が問題ではありますが・・・。)

ちなみに美濃部先生のこの逸話は、あの柳瀬良幹先生の著書の語るところのようです。
柳瀬先生は、とても偉い行政法の先生ですが、とにかく伝説が多く、
公法学会の飲み会では、『古今東西柳瀬伝説』をやると、けっこう盛り上がります。
みなさんは、いくつ知っていますか?

・・・。
話がずれました。私は、柳瀬先生のファンなので、
柳瀬先生の話になるとあつくなってしまいます。

さて、「読み上げるだけの講義では学生が苦痛」問題は
確かに心配されたところでありました。
あの本を教科書にするとして、どんな講義をすると良いと思いますでしょうか?