東日本大震災2年、1次産業 浜再起、道のり険しく【放射能汚染も忍び寄る】
☆組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
☆前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。
☆管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
☆30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。
☆市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
☆前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と10月の2回とも中止だった。
☆福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
☆定置網に掛かったマダラ、スズキは、、、。
河北新報 2013年03月02日より
…………………………………………………
東日本大震災2年 1次産業 浜再起、道のり険しく
<ホヤ種苗成長>
金づちと貝殻がぶつかる音が、なぎの海に響く。
ホヤ養殖をなりわいにする漁業者にとって 、再起の「つち音」だ。
2月25日朝、牡鹿半島東部の石巻市前網浜 。
沖合数百メートルにホヤの養殖いかだが浮かぶ。
そばで作業するのは前網漁業生産組合の定 置網船「オリエント丸」。
クレーンでいかだを引き上げると、
半年前は豆粒大だったホヤの種苗が一口大にまで成長していた。
金づちを握った組合員たち。
ホヤにこびりつ いたフジツボやムール貝をたたき、そぎ落とす 。
「こうしねえと、ホヤにも栄養がいかねえのさ」。
鈴木信男組合長(61)が言う。順 調に育っている種苗に、漁師たちの目が輝く。
<定置網で収入>
前網浜を含む半島東部は「裏浜」と呼ばれ、
東日本大震災前は日本一のホヤ生産地だっ た。
生産量は前網浜だけで年間70~80トン。
生活していた23世帯全てが漁業で生計 を立てていた。
震災の大津波は、そんな小さな集落から全てを奪った。
ホヤの養殖いかだも漁船も。
逆境に挑んだのは、30~70代の8人。
2011年12月に生産組合を設立した。
昨年8月にはホヤ養殖を再開できたが、出荷まで3年程度はかかる。
それまでの収入源とし て見いだしたのが定置網だった。
国の補助を活用して約8000万円の定置網船を買い上げ、
昨年10月に漁を再開した。 再生への船出は、決して順風満帆ではない。
組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。
管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。
オリエント丸は全長約20メートル。別の船が接岸中は沖で待機を強いられる。
「これ では満足に水揚げができねえ」。喜彦さんはため息をつく。
市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と 10月の2回とも中止だった。
<汚染忍び寄る>
福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
定置網に掛かったマダラ、スズキは国の出荷停止を受けていた。
(マダラは1月解除)。
東京電力に賠償申請する予定だが、風評被害に神経をとがらせる。
「こっからが本番だけど、どう転ぶか…」と喜彦さん。
浜を包む希望と不安。この2年は、
対照的な二つの感情がめまぐるしく入れ替わる日々だった。
養殖いかだでの作業を終えたオリエント丸が浜に戻ってきた。
メンバーがテント小屋で 冷えた体を温める。
ホヤの成長ぶりに手応えを感じたのか、みんな笑顔だ。
鈴木組合長は海を見詰めながら、ホヤの出荷が見込める来年夏に思いをはせる。
「漁業を諦めれば集落がなくなる。道のりは相当険しいが、踏ん張るしかねえんだ」
河北新報 2013年03月02日より
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130302t13032.htm
★★★★★★★★★★★
福島第1原発汚染水「背水」の処理、タンク増設もう限界【何十年も終わらない放射能汚染、海を壊し】
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/760228d4409b75b9ad17388570c9bf68
☆組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
☆前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。
☆管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
☆30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。
☆市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
☆前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と10月の2回とも中止だった。
☆福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
☆定置網に掛かったマダラ、スズキは、、、。
河北新報 2013年03月02日より
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東日本大震災2年 1次産業 浜再起、道のり険しく
<ホヤ種苗成長>
金づちと貝殻がぶつかる音が、なぎの海に響く。
ホヤ養殖をなりわいにする漁業者にとって 、再起の「つち音」だ。
2月25日朝、牡鹿半島東部の石巻市前網浜 。
沖合数百メートルにホヤの養殖いかだが浮かぶ。
そばで作業するのは前網漁業生産組合の定 置網船「オリエント丸」。
クレーンでいかだを引き上げると、
半年前は豆粒大だったホヤの種苗が一口大にまで成長していた。
金づちを握った組合員たち。
ホヤにこびりつ いたフジツボやムール貝をたたき、そぎ落とす 。
「こうしねえと、ホヤにも栄養がいかねえのさ」。
鈴木信男組合長(61)が言う。順 調に育っている種苗に、漁師たちの目が輝く。
<定置網で収入>
前網浜を含む半島東部は「裏浜」と呼ばれ、
東日本大震災前は日本一のホヤ生産地だっ た。
生産量は前網浜だけで年間70~80トン。
生活していた23世帯全てが漁業で生計 を立てていた。
震災の大津波は、そんな小さな集落から全てを奪った。
ホヤの養殖いかだも漁船も。
逆境に挑んだのは、30~70代の8人。
2011年12月に生産組合を設立した。
昨年8月にはホヤ養殖を再開できたが、出荷まで3年程度はかかる。
それまでの収入源とし て見いだしたのが定置網だった。
国の補助を活用して約8000万円の定置網船を買い上げ、
昨年10月に漁を再開した。 再生への船出は、決して順風満帆ではない。
組合代表の鈴木喜彦さん(55)が強く望むのは漁港の復旧だ。
前網漁港は震災で1メ ートル以上の地盤沈下。
管理する石巻市は100メートルの岸壁のうち
30メートルを仮設工事でかさ上げしたが、残りは手付かずのままだ。
オリエント丸は全長約20メートル。別の船が接岸中は沖で待機を強いられる。
「これ では満足に水揚げができねえ」。喜彦さんはため息をつく。
市に復旧を要望しても返答は「業者がいない」。
前網漁港の復旧工事入札は昨年8月と 10月の2回とも中止だった。
<汚染忍び寄る>
福島第1原発事故に伴う放射能汚染も忍び寄る。
定置網に掛かったマダラ、スズキは国の出荷停止を受けていた。
(マダラは1月解除)。
東京電力に賠償申請する予定だが、風評被害に神経をとがらせる。
「こっからが本番だけど、どう転ぶか…」と喜彦さん。
浜を包む希望と不安。この2年は、
対照的な二つの感情がめまぐるしく入れ替わる日々だった。
養殖いかだでの作業を終えたオリエント丸が浜に戻ってきた。
メンバーがテント小屋で 冷えた体を温める。
ホヤの成長ぶりに手応えを感じたのか、みんな笑顔だ。
鈴木組合長は海を見詰めながら、ホヤの出荷が見込める来年夏に思いをはせる。
「漁業を諦めれば集落がなくなる。道のりは相当険しいが、踏ん張るしかねえんだ」
河北新報 2013年03月02日より
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130302t13032.htm
★★★★★★★★★★★
福島第1原発汚染水「背水」の処理、タンク増設もう限界【何十年も終わらない放射能汚染、海を壊し】
http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/760228d4409b75b9ad17388570c9bf68