白山は、遠く加賀との国境からも見事な白い姿を望むことが出来る。
古来、信仰の対象となるも何の不思議も無い。名を神社としようとも、寺であっても、初夏になっても雪に覆われる山への畏敬の念を抱く庶民の心には、何の変わりも無いだろう。
この寺の歴史は古く、700年代前半の創設という。また平安の昔、京都から公家が白山に詣でるのに、このお寺を経由したという。京都から福井などを経由して白山へ参拝しようとするならば、勝山市から谷沿いに麓まで詣でるのが、一番地形からしても楽に感じられる。
白山平泉寺は、そのルートよりも僅かに南側、直線距離は短いが、より上り下りの厳しい路が、山に向かって開かれている。
確かに、この奥に白山があるのだろう。路は霊峰を目指すのだ。しかし、その道のには、どれだけの障害が待っていたのか。
奥の院とも言うべき平泉寺のかなり手前に、旧玄成院庭園がある。成立年代は、はっきりしていて、北陸最古の庭園である。時代の付いた杉の木が辺りを覆い、足元は分厚い苔が。妖しい魅力を感じるのだが、案内の方によれば、この杉や苔は庭園創立当時から庭園の環境要素として計算されたものでは無いとの事。
成立当時の理念をさぐるには、石組みを頼りにするしか、手立ては無いようだ。研究者によれば、灯篭は後世に付け加えられたものらしいが、踏み石は創立当時からのものが残っているそうだ。
この先に池があり、水の豊かな場所なので、この石組みは納得できる。
この苔も、そして苔を培った杉林も、庭園様式とは無関係といわれれても、その場にいる身としては、そうは割り切れない。不思議なほどに、分厚く地表を覆う苔は、創立当時の庭園理論書には出てこなくても、作庭家の眼に入らないはずは無いと思われる。
庭は、自然の素材相手なので、これ程の材料があるならば、苔を前提にした庭としても、不思議は無いように思われる。
古来、信仰の対象となるも何の不思議も無い。名を神社としようとも、寺であっても、初夏になっても雪に覆われる山への畏敬の念を抱く庶民の心には、何の変わりも無いだろう。
この寺の歴史は古く、700年代前半の創設という。また平安の昔、京都から公家が白山に詣でるのに、このお寺を経由したという。京都から福井などを経由して白山へ参拝しようとするならば、勝山市から谷沿いに麓まで詣でるのが、一番地形からしても楽に感じられる。
白山平泉寺は、そのルートよりも僅かに南側、直線距離は短いが、より上り下りの厳しい路が、山に向かって開かれている。
確かに、この奥に白山があるのだろう。路は霊峰を目指すのだ。しかし、その道のには、どれだけの障害が待っていたのか。
奥の院とも言うべき平泉寺のかなり手前に、旧玄成院庭園がある。成立年代は、はっきりしていて、北陸最古の庭園である。時代の付いた杉の木が辺りを覆い、足元は分厚い苔が。妖しい魅力を感じるのだが、案内の方によれば、この杉や苔は庭園創立当時から庭園の環境要素として計算されたものでは無いとの事。
成立当時の理念をさぐるには、石組みを頼りにするしか、手立ては無いようだ。研究者によれば、灯篭は後世に付け加えられたものらしいが、踏み石は創立当時からのものが残っているそうだ。
この先に池があり、水の豊かな場所なので、この石組みは納得できる。
この苔も、そして苔を培った杉林も、庭園様式とは無関係といわれれても、その場にいる身としては、そうは割り切れない。不思議なほどに、分厚く地表を覆う苔は、創立当時の庭園理論書には出てこなくても、作庭家の眼に入らないはずは無いと思われる。
庭は、自然の素材相手なので、これ程の材料があるならば、苔を前提にした庭としても、不思議は無いように思われる。
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