福井の寺といえば、まず思い浮かぶのは曹洞宗本山の永平寺だろう。仏教の事は良く分らないが、曹洞宗の寺で永平寺に次ぐのが、宝慶寺だという。越前大野からのどかな田舎道を走ること、だいたい30分。谷沿いの道が山に突き当たるような場所に、宝慶寺が建っている。
しかし、今回の目的地は寺ではなく、橋本家という古民家である。行ってみるまで分らなかったが、橋本家は宝慶寺の門前にある。この家の主が曹洞宗の信徒で、家を寺に寄贈し、この場所に移築したらしい。
確かに、よく手入れされているが、門前というと、ついでにここに置いてあります、というような感じがして、古民家らしい存在感はあまり感じられない。越前大野のさらに外れに立つ、代々の庄屋格の存在感を期待していたのだが、ちょっとがっかり。なお、管理は大野市による。
囲炉裏には火が入り、もう馴染みとなったいぶり臭い煙がただよう。建築年代は、江戸中期の18世紀だそうだ。下座敷、神座敷もあり、当時としては大変な造りなのだろう。これだけ山深い場所での生活には、さぞや苦労があっただろう。
この日は、宝慶寺では大きな行事が行われたのか、橋本家の前庭はVIP用の駐車場として使われていた。
しかし、今回の目的地は寺ではなく、橋本家という古民家である。行ってみるまで分らなかったが、橋本家は宝慶寺の門前にある。この家の主が曹洞宗の信徒で、家を寺に寄贈し、この場所に移築したらしい。
確かに、よく手入れされているが、門前というと、ついでにここに置いてあります、というような感じがして、古民家らしい存在感はあまり感じられない。越前大野のさらに外れに立つ、代々の庄屋格の存在感を期待していたのだが、ちょっとがっかり。なお、管理は大野市による。
囲炉裏には火が入り、もう馴染みとなったいぶり臭い煙がただよう。建築年代は、江戸中期の18世紀だそうだ。下座敷、神座敷もあり、当時としては大変な造りなのだろう。これだけ山深い場所での生活には、さぞや苦労があっただろう。
この日は、宝慶寺では大きな行事が行われたのか、橋本家の前庭はVIP用の駐車場として使われていた。
土間の囲炉裏の炉ぶちの端部の仕口が、三方は止めなのに右上の端部のみ、付き付けの仕口になっているのが興味深かったです。
あまりシャープな写真が無いのでよく分らないのですが、問題の角の所に、四角いふちとは別の部材を入れている感じです。恐らく、何かをぶつけるか何かで、破損したのではないでしょうか。
鬼門の方向にあたるとことを、鬼門封じとして仕口を変えていたのを見たことがあります。
考え過ぎだったのかも知れまさんね、仰るように角が破損して修理したものなのでしょう。