私が大映九州支社宣伝課に配属されたのが昭和29年です。それまでは脚本や演出
の勉強が主で、急に月額1,000万に近い九州全区宣伝費の分けとその帳簿作成には
尻込みしましたが、なんとかやり抜きました。
その次は人の前でしゃべることの訓練で、映画の表彰式をはじめあらゆる会合に出席
させられました。最初の内は上がってしまい、何を話したか自分でも判らないくらいでし
たが、上手くしゃべろうと気負うのではなく、普通の会話でいいのだと感じるようになり、
舞台の上でも観客の顔を見渡しながら話せるようになりました。後年、大映を離れてか
らもと某総理の選挙演説を、約800人の前で行うことが出来たのも、大映で鍛えられた
からだと思っています。
それから俳優さんを引き連れての地方挨拶まわり。彼らが九州に入って出るまでは宣
伝課の責任と言われ、人が思うほど楽しいな仕事ではありませんでしたが、それも段々
慣れて来て俳優さんとの交流だけではなく、楽しい仕事の一つと思うようになって来たの
は不思議なくらいです。挨拶の1回目は長崎大映の開館に、北原義郎、高松英郎、近江
輝子らとの同行でした。高松ちゃんや近江のおばちゃんは亡くなりましたが、今でもお元
気な北原義郎さんとは昵懇にしていただいており、懐かしい思い出になっています。
貴重な、画像とお話をありがとうございます
昭和29年、当時のお金で一千万円って、想像もできませんが、けんさんは大きな責任を持たされていたのですね
長崎大映の開館の一葉、館内のサービス係の女性達のユニフォーム姿と人数の多さに驚かされます。
大映は映画館内でも この様に高級感あふれた形で
お客さまにサービスをされていたのですね。
高松さんを挟んで右が北原さん、左が近江さんですね。
最近、大映映画の古い作品を拝見してますが、必ずと言って良い位近江さんのお名前とお姿を見かけます
そして、BSの朝の時間に勝プロ制作のテレビ版「座頭市」を放映していて時々観るのですが、そこにも近江さんのお名前が・・・・(^。+;
息の長い女優さんだったんですねぇ
当時の映画館は皆さん多忙で、このくらいの人数がいて当たり前でした。
近江さんは宝塚歌劇の出身で、華麗な経歴を持った方でした。
とても明るく人付き合いのいい方で、私も個人的にいい思い出を持っています。
皆さん笑顔☆映像で見ていた世界
けんさんのBlogに、本当に感謝の気持ちです
北原義郎さんのお茶目で恰好いい表情
好青年の高松英郎さんの笑顔
俳優さんのように素敵なけんさん
大映の新しい風を感じます
その時期は本当に新しい風が吹いていたのですが、雷蔵が病気になったころから
変な風向きになってしまいました。
でも一生懸命に当時の思い出話を書くつもりですので宜しくお付き合いください。
どのような映画をご覧になっていましたか☆
洋画や邦画、時代劇や現代劇どちらが多かったでしょうか(,,・ω・,,)
サイレントの古典的な時代劇から始まって、
市川雷蔵さんの頃には、正統派且つ新しい時代劇スタアと思いました
現代劇も存在で深いものを現していて、
普段は朗らかで普通の方ということが、
とてもとても魅力があります
私は映画館全館に入れるパスを持っていましたから、当時の邦画・洋画は
ほとんど見ています。どちらも好きですよ。
雷ちゃんについては語られ尽くされていますが、普段は本当に普通の青年でした。
それだからいいのですね、きっと。