前回⑥で最盛時の大映組織図をアップした際に、全国津々浦の営業はどのようにしていたのか?の質問を頂きました。
今のように交通網がない中で大変だったのではないか、九州だと南九州、山陰や四国のような不便な場所も、営業の方は定例的に回っていたのではないか?の質問でした。そのお答えです。
当時の大映は各支社があり、毎月前半に主要館主さんが本社・支社に来社されてフイルム賃貸の打ち合わせを行い、それ以外の地方館には月の後半に各県担当のセールスマンが出張して商談をする仕組みになっていました。
図表は当時の各県別大映上映館数ですが今のようにシネコンは無くて全てが単独館で、東京の71館に対し福岡県の上映館数が80、北海道が100と、炭鉱が隆盛した時期ということもあって非常に多かったのにご注目下さい。