大映の初代社長が菊池寛先生だったことについて、意外性もあったのでしょうがかなり反響がありました。当時、吉川英治氏も「大映社長としての菊池寛氏を偲ぶ」と言う文を書いておられますが、とても面白い文なので機会をみてご紹介したいと思っています。
下の文は、昭和19年末に菊池寛氏が自分で書かれた外部への未発表原稿で、如何に大映に心をかたむけられていたかわかります。
大映は、映画新体制の申し子として発足したが、運用の上でも非常な苦難を経たことは、永田・河合両専務によって詳細に語られる通りである。が、申し子であるだけに新体制から受くる便益も充分に受けることが出来た。それが当務重役の奮闘と相俟って、大映の基礎正に成らんとする時に私は社長として迎えられた。
私は多年映画に深い関心を持っていた。しかし映画事業に関与しようなどとは私の夢想もしないところであった。が、大映の大株主及び大映当事者からその話を聞いたとき、私の就任が日本映画の改良進歩に少しでも貢献するものならば、就任してもいいと思った。
私の知人の一部には、私が多難にして暗礁多き映画会社に入ることに賛成しない人々もあった。しかし、私は常に人の善意を信じ、また自分自身の善意を信じるものであった。私は私を迎えんとする人々の善意を信じた。私が自分で何の野心もなく、ただ映画事業の改善進歩にのみ努力するならば、私は大映の社長として、ある程度の業績を挙げ得ないわけはないと思った。
幸いにして私の就任以来、大映の業績は大映本来の実力の然らしむるところに依って、隆々たる進歩を示した。私が大映映画の進歩に尽くし得たところも多少はあると信じている。会社内の人事的折衝に於いても、私は愉快に過ごしている。ただ、大映の映画製作の現状に於いて、社長として不満に感ずるものが、なお多く残存している。戦時下、真に止むを得ざるもの、また私の非力にして如何ともしがたきもの、またその短日月には処置しがたいもの、その他多く欠陥と不足とが感ぜられる。
就任当時と現在と、私の心境には少しも変化はない。私は現在も将来も大映映画を立派な娯楽映画たり、完璧な芸術映画たらしむるために、努力を続けるつもりである。
菊池 寛
(左・永田専務、右・菊池社長)