映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

舞台芸術2021

2021年11月29日 | 日記

福岡文化連盟主催の「芸術舞台2021~今こそ文化の感動を~」が昨日28日、福岡市の薬院鷹の会能舞台で行われましたので、来福中の紺野ユカちゃんと行って参りました。
午前の部は笛・長唄・日本舞踊・能でしたが、私たちが懇意にしている日本舞踊泉流・泉徳乃さんの常磐津「松島」をじっくり拝見。内緒で撮った携帯画像なので上手くお伝え出来ないと思いますが、技量・美しさ・お色気が揃った素晴らしい踊りでした。
徳乃さん、お疲れ様でした。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

博多座「ナイツ・テイル~騎士物語~」

2021年11月28日 | 日記
           

11/27、博多座でミュージカル「ナイツ・テイル~騎士物語~」を観てきました。原作はシェイクスピア最後の作品「二人の貴公子」として有名ですが、「レ・ミゼラブル」の演出家ジョン・ケアードの脚本・演出により、とても分かりやすくて楽しいミュージカル作品に仕上がっています。
主演の堂本光一・井上芳雄に加えて音月桂、上白石萌音、岸祐二、大澄賢也、島田歌穂らの豪華メンバーで、歌と踊りが素敵です。更に生オーケストラと舞台最上段に構える和楽集団(和太鼓、三味線、尺八、笛など)の演奏とコラボして素晴らしい音楽効果を上げています。
今回も紺野ユカちゃんと一緒に舞台を堪能しました。

        


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年第一回目の忘年会

2021年11月27日 | 日記
博多座で、ミュージカル「騎士物語」を観ようと紺野ユカちゃんが来福です。今日11/27、今から博多座へ出かけます。
昨晩は楽しかった今年第一回目の忘年会。私とユカちゃんと、私の健康相談役2人の計4人でした。

     


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出 ⑬

2021年11月26日 | 日記
大映の初代社長が菊池寛先生だったことについて、意外性もあったのでしょうがかなり反響がありました。当時、吉川英治氏も「大映社長としての菊池寛氏を偲ぶ」と言う文を書いておられますが、とても面白い文なので機会をみてご紹介したいと思っています。
下の文は、昭和19年末に菊池寛氏が自分で書かれた外部への未発表原稿で、如何に大映に心をかたむけられていたかわかります。

大映は、映画新体制の申し子として発足したが、運用の上でも非常な苦難を経たことは、永田・河合両専務によって詳細に語られる通りである。が、申し子であるだけに新体制から受くる便益も充分に受けることが出来た。それが当務重役の奮闘と相俟って、大映の基礎正に成らんとする時に私は社長として迎えられた。
私は多年映画に深い関心を持っていた。しかし映画事業に関与しようなどとは私の夢想もしないところであった。が、大映の大株主及び大映当事者からその話を聞いたとき、私の就任が日本映画の改良進歩に少しでも貢献するものならば、就任してもいいと思った。
私の知人の一部には、私が多難にして暗礁多き映画会社に入ることに賛成しない人々もあった。しかし、私は常に人の善意を信じ、また自分自身の善意を信じるものであった。私は私を迎えんとする人々の善意を信じた。私が自分で何の野心もなく、ただ映画事業の改善進歩にのみ努力するならば、私は大映の社長として、ある程度の業績を挙げ得ないわけはないと思った。
幸いにして私の就任以来、大映の業績は大映本来の実力の然らしむるところに依って、隆々たる進歩を示した。私が大映映画の進歩に尽くし得たところも多少はあると信じている。会社内の人事的折衝に於いても、私は愉快に過ごしている。ただ、大映の映画製作の現状に於いて、社長として不満に感ずるものが、なお多く残存している。戦時下、真に止むを得ざるもの、また私の非力にして如何ともしがたきもの、またその短日月には処置しがたいもの、その他多く欠陥と不足とが感ぜられる。
就任当時と現在と、私の心境には少しも変化はない。私は現在も将来も大映映画を立派な娯楽映画たり、完璧な芸術映画たらしむるために、努力を続けるつもりである。
                               菊池 寛

        
           (左・永田専務、右・菊池社長)


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出 ⑫

2021年11月09日 | 日記
大映の思い出⑫です。
大映社長は永田雅一とばかり思っている方もいるでしょうが、昭和17年に発足した大映の初代社長は、永田雅一に乞われて社長に就いた菊池寛さんです。

菊池寛さんの温顔に一度でも接した人は、終生そのあふれるばかりのお人柄、温かさを忘れないと言われていますが、鷹揚で、無頓着で、親切で、物に動ぜず、部下をいたわり、知り人の面倒をよくみられ、人に強いる事の絶対にない先生だったそうです。が、仕事となり、芸術上の問題になると全く別人で、少しの妥協も許されず、何の容赦もなかった信念の固さをお持ちだったとも伺いました。
昭和22年に社長を永田雅一に引きついで相談役となられましたが、昭和23年3月に持病の狭心症の発作により永眠されました。
私は息子さんの英樹さんとは大映で一緒にお仕事をしましたし、お孫さんの夏樹さんとは2年前の大映会でお会いしています。

         


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする