↑「人斬り」福岡キャンペーン(矢印が新條多久美)
映画の宣伝には、監督や出演俳優などによるキャンペーンがとても有効だと
考え、我々が九州で行った色々なスタイルのキャンペーンをこれまで幾度も
ご紹介しましたが、その中でも一番大掛りだったキャンペーンは昭和44年(19
69)の「人斬り」でした。
この作品の内容については既にブログでもご紹介しましたので詳細は省略し
ます。
「人斬り」は勝新太郎・仲代達矢・石原裕次郎・それに三島由紀夫が競演し
ていて、更に倍賞美津子・新條多久美・中谷昇・田中邦衛・萩本欽一・坂上
二郎・辰巳柳太郎と多士済々で、このようなキャストは二度と組めないもの
だと思います。
そして福岡キャンペーンにやってきたメンバーは、五社監督・法亢製作者(フ
ジ・テレビ)・勝新太郎・仲代達矢・倍賞美津子・新條多久美に加えて、三島
由紀夫先生までもが来てくださり大成功でした。
前置きが長くなってしまいましたが、今回書きたかったのは、「人斬り」で綾
姫を演じ、福岡キャンペーンにも参加してくれた新條多久美さんです。
手元に彼女の資料が乏しく、詳細のご紹介は叶いませんが、この作品に出
演したことも、キャンペーンに参加したことも、勝ちゃんが可愛がっていた子
ですし、彼なりに彼女の将来を楽しみにしていたことが伺えます。
大映末期ですから、この後に出演した「玄海遊侠伝」「兇状流れドス」「あゝ
独身」「怪談累が淵」「おんな牢秘図」と、いかにも末期的な作品でしたが、
その中には勝の作品もあります。
大映後も勝作品に数本出ていますが、東京撮影所所属の南美川洋子と同
様に大映が存続していれば本格派女優として成長しただろうとの想いが残
る女優さんでした。
私はキャンペーンの時と、その後何回が京都撮影所で会いましたが、とても
素直な子だったの思い出があります。
今でも幸せに暮らしていておられることを祈りながら書いています・・・。
この映画を製作するほんの少し前までは考えられないことでしたよね。
大映は、娯楽作品も、芸術作品も、レベルの高い作品を製作していたので、
その環境の中で育っていたはずの新條多久美さんが、
その魅力を発揮できなかったのは、本当に残念に思います。
大人が楽しめる映画作品、役者さんの少なくなった現在、
大映は、今でもあって欲しかったと本当に思います。
12から鹿児島です。
その前に三島さんの写真を見れて幸せ
勝さんが演技指導して「からっ風野郎」の三島さんの演技とは打って変わって、石原裕次郎までも影を薄くさせるようだったと言わしめた三島さん。何度見ても役になりきっているなぁぁと
三島さんて、やっぱり凄い方ですよね。
いいなぁぁけんさん、三島さんにお会いになっておられて、羨ましい。
鹿児島へご旅行ですか?いいですねー。
鹿児島には撮影監督をしていた親友の上原明氏がいて、私も久しぶりに
大映の昔話をしたくなりました。鹿児島はいいところですよ。
大映が存続していたら・・・時々そんな事を考えないでもありませんが、
復水は盆に返らず・・・です。
大映での経験は、その後の私にとって貴重そのものでした。
それにしても新條もそうですが、有能なスタッフ・キャストが放置されたことは、
残念でたまりません。
ご招待なんですよ
12日12時から、宝山ホールで
一般社団法人詩吟朗詠錦城会認可 鹿児島県本部設立50周年 鹿児島県本部大会
ここの宗匠さんを存じ上げていて金丸さんが大会委員長でいらして、その金丸さんから是非にと、素敵な心優しい方達の団体で、お会いするたびに心かほっとします。
宜しかったら、ご親友の上原明様に、当日宝ホールにいらしていただくようにご連絡ください。
受付に話しておきますから。
そして、舞台が跳ねた後の懇親会にも。
愉しいのですよ、この打ち上げは、大勢ですから、カラオケあり踊りあり、けんさんのご親友なら
金丸師匠もきっと大歓迎してくださると思いますから。
お心遣い有難うございます。
上原氏のお父さんは南国交通の社長などをされていた方で、鹿児島では著名一家です。
上原明氏の代になって、彼なりの考え方で生前に借金ゼロにしたいと、不動産の処分や
財産を親族に分与したりして目的を達成、目下悠悠自適です。
ですが特に知り合いのいない会合には絶対出ない人でもありますので、折角のご案内ですが、
上原氏のことはご放念ください。すみません。