このブログを開設したおかげで、親しく交流するブログ仲間が増えました。
もう何十年も経っているのに旧大映作品をよく覚えていてくださり、私が忘
れていることも度々あって恐縮しています。
リクエストも度々ありまして、意外に多いのは脇役をもっと紹介してくれの
ご要望です。今回は京都作品にほとんど顔を出していたお二人を書きます。
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まず「伊達三郎」さんです。東映にも名物の斬られ役がいますが、伊達三郎
さんも大映の名物悪役で、名前を知らなくっても、あの特徴のある面長の風
貌を、あああの人かと思い出していただけると思います。
彼の善人役は記憶にありませんし、現代劇も時代劇も悪人役一筋です。私
は毎月のように撮影所に行っていたのでよく顔を合わせて挨拶はしますが、
ゆっくり時間を取って話したことはとうとうありませんでした。
悪人役に本当の悪人はいないの喩え通り、素の伊達さんはとても真面目な
人に見えました。
彼は大阪の出身で大正13年(1924)生れですから、戦争中は軍隊に行き、復
員して大映に入ってきた人です。大映倒産後はテレビに移り、相変わらず悪
役オンリーで活躍していましたが、平成3年に67歳で亡くなっています。
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↑左が近江さん、右は藤村志保(鹿児島で) ↑左から三番目が近江さん(鹿児島で)
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↑左端が近江さん(鹿児島で) ↑右が近江さん(長崎で)
もう一人は、既に少しばかり書いたことがある「近江輝子」さんです。
この人も現代劇でも時代劇でも、悪役でも善人役でもなんでも来いの女優さ
んで、東京でも京都でも活躍しましたが、どちらかと言うと京都撮影所の方が
多かったようです。
伊達さんも出演本数は歴代ナンバースリーに入りますが、近江さんも200本
以上出演して凄い女優さんでした。
とても面倒見のいい明るい方で、私たちは「近江のおばちゃん」と呼ばせて
もらっていました。
大映には戦後まもなくして入り、最初は「大美輝子」と名乗っていましたが途
中で「近江輝子」に変えました。彼女の明るさおしゃべりの上手さから、私た
ちはよく主要館への俳優挨拶実演の司会者としてお世話になったものです。
演技も司会も上手い筈でして、彼女はバリバリの宝塚出身でなので、宝塚
同期には宮城千賀子さんや深緑夏子さんが居ます。
3~4年前に残念ながら亡くなられたそうですが、大正9年(1920)生れですか
ら、もし生きておられたら今年94歳でした。
ついに伊達三郎さん登場!ですね。伊達さんのお名前を知らなくても、時代劇が好きな方でこのお顔を見たことがない、という方はいないでしょう。ほとんど悪人役でしたが、「大魔神」での藤巻さんと同僚の家臣役、「新撰組始末記」での山南敬助役、「兵隊やくざ」(何本目かは失念しました)での大宮・有田コンビに同情する兵隊役などは、やや善人風の役柄だったと思います。雷蔵さんの「鞍馬天狗」での土方歳三役は悪人役ではなくて敵役ということでしょうかね。それから、田宮さんの「犬」シリーズ(これまた何本目かは失念しました)で、北城寿太郎さんと2人1役のような形で出演されていましたね。北城さんはお元気でしょうか。北城さんも取り上げていただきたい脇役のお1人です。
今回のお二人は、前から書こう書こうと思っていまして、やっと
アップ出来ました。
東京の成田三樹夫、杉田康、千波丈太郎の各氏もアップ済み
でしたのでこれでホッとしています。
あと、東京の早川雄三、夏木章、藤山浩二なども残っていますので、
これもその内に手を付ける予定です。
現在私自身が少々多忙で、それでもこのブログだけは休まない・・・と
心に決めているのですよ。
近江輝子もよく見かけた女優でした。渥美マリの「いそぎんちゃく」だったか、やり手の女将を演じててはまり役でした。
けんさん、このブログのバックナンバーも楽しく拝見していますが、脇役ということでいえば村田知栄子さんについても書いていただけませんか。私の見落としなら申し訳ないのですが、彼女についての記述はなかったようなので。
年増の有閑マダムなど演じたら適役で、増村保造監督の「暖流」での病院長夫人など印象的でした。目鼻立ちのはっきりした、なかなかの美人ですよね。
どんどん昔の名前が出てきますね。
村田知栄子さんもいい俳優さんでした。彼女は同じ大映にいた見明凡太郎さんの
奥さんで、旦那とともに活躍しました。
ご夫婦とも亡くなっていて残念ですが、私も大映後のことは知らないことの方が多く、
消息通に聞いて出来るだけアップしたいと考えます。
大映映画に無くてはならぬ二人の記事、ありがたく拝見しました。
保育園の頃の私は、伊達さんと近衛十四郎さんの見分けが中々つかずに混乱したのが笑い話ですが、息の長い俳優生活をすごされたのですねぇ・・・・
又、けんさんのお蔭で拝見する事の出来た「鬼の詩」でもコミカルな伊達さんのお姿を拝見出来、とてもうれしかったです。
そうそう、一寸、古い作品ですが昭和24年(1949年)大映映画「幽霊列車」で、パーマネントを掛けたヤングな伊達さんと艶っぽい近江(大美)さんが観られます。
これからも、羅門光三郎さんや脇の方々の貴重なお話、楽しみにしておりますです。
去年一杯で大映の思い出話は終りにするつもりでしたが、脇役の人をアップすると
どんどん増えて中々終われない状況です。
もう暫く思い出話を続けようと思っていますが、羅門光三郎さんは、私も中学生の
頃に見た「孫悟空」の主役が印象とすれば強烈です。私が大映に入った頃も
まだ出ておられましたので、長い長い俳優生活です。
このブログを見るようになり、人間の記憶力の不思議さに驚いています。懐かしい俳優のお話をきっかけに、完全に闇の彼方へ消え去っていた記憶がどんどんよみがえってくるのですよ。例えば、三木裕子という女優の名前をここで見た時、彼女のブロマイドを買いに浅草まで行ったこと、その時一緒に行った友人のこと、友人の家は歯医者で自分も治療に通っていたこと、歯医者の待合室には当時なかなか買って貰えなかった少年雑誌が置いてあり、夢中で読んでいたこと、等々、半世紀以上昔の記憶が次々と戻るのです。三木裕子の名前に出会わなければ、二度と戻ることのなかった記憶でしょう。こんなことを思いながら、一人で感慨にふけっています。これからも楽しいお話を期待しています。
私も似たような思いを抱きながら思い出話を書いています。
ブログに書こうと思い立たなかったら忘却の彼方です。
もうこのあたりでいいだろうと想いながら、次から次に出てくるので、
自分でも不思議です。
お名前は存じて
おりませんでしたが
大概悪役で出演なさって
いらしたので、
東映の作品でも
お目にかかりました。
独特の雰囲気をお持ちになり
出た瞬間にああああって
声になってしまい程
アクがあって素晴らしい
俳優さんでしたね(^◇^)
何時でしたか、伊達さんは珈琲のお店をやっていらしたらしいとのお話を聞いた気がしますが。