行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言⑨

2017-06-08 23:58:11 | 日記
中国人の目線で「中国」を考えてみる。

先日、台湾出身の先生が退任のあいさつに際し、「当初、まさか中国に来るとは思わなかった」とさりげなく話した。スピーチの本人は意識していないが、私は、その場にいた何人かが、表情をこわばらせ、首をかしげ、あるいはその他の人の表情をうかがうようにするのを見て、緊張した。一瞬だが、ピンと張り詰めた空気が流れた。

中国にとって核心的利益に当たる公式見解は、「台湾は中国の一部分」である。中国とは別に台湾が存在しているかのような言い方は、受け入れるわけにはゆかない。台湾に各種各様の見解があるのは承知している。だが、日本にはこの問題について発言権はない。ポツダム宣言から日中国交正常化に至る経緯を調べれば誰にもでも明らかだ。沖縄県人が「我々は日本ではない」と言い出し、中国がそれを支持するような発言をしたら、日本政府はどのような反応を示すだろうか。それと同じである。

昨晩、気の置けない仲間と酒を飲んだ。広東省汕頭は距離的には香港に近く、言葉を含め文化的には台湾に近い。学生がインターンやメディア交流で香港や台湾に行くのも日常的だ。宴席の話題もしばしば境外(=香港、台湾、マカオ)の話になる。7月1日は香港返還20周年を迎える。

共産党政権を強く支持する者は、香港の現状に悲観的だ。2014年、香港中心部で起きた反政府デモの記憶がある。

「英国植民地下の香港で、住民はみな中国へのアイデンティティがあった。それが今では、あんな調子だ。一国二制度は失敗だ。最初から一制度にしておけば問題はなかった」

そこにすかさず、突っ込みが入る。

「香港人が言う『中国』ってなんだ!。共産党から逃れて、文化大革命から逃れて、最後には天安門事件から逃げて、そういう人間が香港にははくさんいるじゃないか。今の政権と、いわゆる中国という抽象的な概念を一緒するのは、大きな誤解のもとだ」

私にとっては、わが意を得たりの指摘だった。言われた当人も、これには口ごもった。「確かにそうだな」。そして、「じゃあ、『中国』ってなんだ」という話題に移った。私はこのブログでこれまで書いてきたようなことをくだくだと話した。外国人には特別な思い入れもなく、より冷静、公正になれるので、私の見解は、大きな反論もなく受け入れられていく。

そこで調子に乗って、私は、上海と香港の関係から、中央と香港の関係を語った。

--毛沢東率いる共産党による建国後、多くの資本家、文化人が香港や海外に逃れた。メディアをはじめとする文化産業は北京に持っていかれ、以後、上海は文化の根を絶たれた。1930年代の上海黄金時代を描いた映画が、なぜ上海でなく、香港で量産されているのかを考えてみればよい。だが、改革開放後、香港資本の多くが上海に戻ってきた。上海には香港資本のオフィスビルが林立し、虹橋空港の管理も香港資本が行っている。

--そもそも、香港人は政治を語る人々ではない。むしろ、それから逃れ、経済に生きてきた人たちだ。改革開放の成功はまさに、香港に隣接する深圳を試験地に選び、経済優先をアピールしたからではないか。政治スローガンに人はついてこない。利益があれば、人は呼び戻すことができる。その方針は揺らいでいない。香港を政治を通してみるのは間違っている。

--中国における香港問題との関係でいえば、香港は大陸との関係からビジネスを通じて大きな利益を得ている。それは今でも変わらない。ただ、富が一部の資本家に独占され、広く社会に行き渡っていない。その屈折した構造が、香港社会の分裂を招いている。しかも北京が一枚岩でない場合、香港問題は容易に政治闘争のはけ口として利用される側面がある。十分、注意して観察しなければならない。上っ面だけを見て、単純な民主化運動だと思ったら大間違いだ。

どこまで聞き入れてもらえたかはわからないが、中国人と「中国とは何か」について語り合うのは面白い。とはいえ、これは中国人が絶えず問い続けてきた課題でもある。そして今、台湾人が「中国人よりも台湾人」、香港人が「中国人よりも香港人」と、アイデンティティを強化する現状に対し、北京は無関心ではいられない。身を切られるように感じている者もいることは、日本人も知っておいたほうがよい。

それがまた真の中国を知ることである。反政府運動ばかりを追いかけ,それを「中国は・・・」と言うメディアは、世論を惑わしているとしか思えない。

(続)

建築現場に飛び込み取材した中国の女子学生

2017-06-08 21:19:00 | 日記
汕頭大学内のネットメディア「草根播報(GRASSROOTS REPORT)」に本日8日、新たに未公表原稿がアップされた。取材チーム「新緑」メンバーの夏燕南が北九州の建築現場に足を運び感じた環境問題を書いた記事だ。もともとエコハウスに興味をもって北九州市立大学国際環境工学部の高偉義教授に取材をした。だが、北九州滞在中、自由時間に建設現場を飛び込み取材し、秩序だった安全管理に魅かれて、「建築」をキーワードに関心を広げた。

高教授にはわざわざ大学のエコ施設まで案内をしていただいた、と聞いている。また、アポなしにもかかわらず、対応していただいた建設関係の方々にも感謝を申し上げたい。怖いもの知らず、無鉄砲さが、時には、真実に近づく重要な第一歩になることがある。そんなことを、私は教え子から逆に教えてもらった。

http://stu.dahuawang.com/?p=33426

「日本の建設リサイクル--自然の負担を最小限に」

いかに経済利益を保証するかと同時に、環境への影響を最低限にするため、日本の建築業界は新たな言葉を作り出した。建設リサイクル、または循環型建設という。簡単に言えば、再生不可能な資源を最小限にし、できる限り再生可能な資源を用いることである。

「もともと建設の最初の定義は器だった。容器と同じように、人間にふさわしい環境を提供することだ」。北九州市立大学国際環境工学部の高偉俊教授はこう話す。高教授は1982年、上海の同済大学を卒業し、現在は北九州市立大学の終身教授だ。30年以上、都市環境の計画から建築資材の循環利用までにかかわってきた。

「省エネ、省資源」

「省エネについて、我々はまず自然の力を考え、ほかに方法がないときに機械を使うべき」。高偉俊教授は、自然力と建築学を組み合わせ、エネルギー消費ゼロで無公害の建築を創造することが、リサイクル建設の重要な目標だと指摘する。

日本は資源が乏しく、建築設計師は二酸化炭素(CO2)排出を減らし、持続可能で、エネルギーを節約するなどの理念をもって実践に生かそうとする。太陽光発電や風力発電を利用する一方、建築の構造を使って自然の風力を生み出し、夏の室温を下げることも行われている。

「一般的にリサイクルはみな材料の再生利用を意味するが、実際、省エネもまた一種の資源だ」と高教授は話す。

日本の電気料金の算定は段階式で、ピーク時に電気代も高くなり、逆の場合は低くなる。氷蓄熱システムを使えば、夜間の比較的安価な電気を蓄えて日中に使えうことで、電気料金を節約できる。また、部屋の気密性を高め、冷気が下にたまる原理を使えば、エアコンの送風方向を変え、降温効率を高めることで節電につながる。実験によれば、リサイクル建設では毎年、使用電力を23%減らし、単にこのシステムだけで費用は42%削減できる。

建築には二種の理念がある。一つは、建築の再生率を高めることだ。日本の伝統的な家屋は、20年ごとに建て替えが必要となるが、建築の際に新技術を用いて、旧建築の資材をもう一度新たな建物に使えば、資源の浪費を削減できる。もう一つは、建築の寿命をのばすことだ。頑丈な鉄骨の枠を用いれば、耐力壁がなくとも安定した構造枠ができ、居住者は自分の好みにによって各種の改造ができるほか、建物の寿命も300年以上に及ぶ。

「みなが迷惑し、社会が進歩する」

第二次大戦後、日本は経済の上で成功を収めたが、大量の農村人口が年に流入し、住居不足から短期間のうちに高層ビルが建てられ、都市環境はひどく害された。1991年、日本のバブル経済が崩壊して後、経済発展は停滞し、人々はそれまでの発展モデルを反省するようになった。北九州市の北橋健治市長は、環境の改善は市民の理解と支持がなければ成り立たないと指摘している。

日本では建設現場では必ず証明書が必要で、作業中、こうした証明書は通行人が見えるように壁の上に掲示しなければならない。私はだれで、何をしていているのか。私にはその資格があるのだ!、というわけである。





北九州で建設中のあるビルを訪れると、毎朝8時、あらゆる作業員が現場に集まり、まず体操をし、からだをほぐし、そのあと、責任者の高須さんが当日の作業内容と注意事項を詳しく話していた。「私たちは一人一人がが勝手に仕事をするわけではなく、みな事前に話し合って分業をし、そして作業にあたる。こうすることで、効率も高まる」と、高須さんは話す。

「予定工事時間:12000時間、既工事時間:10240時間」。建物の防護外壁には工事進行表や当日の作業項目、責任者の名前が掲示されている。建物全体は黒い膜で覆われているが、外壁には建物のデザイン図や、各階の構造、毎日の作業事項などが示され、通行人は建設の進行状況がひと目でわかるようになっている。





建物のの防護壁を隔ててすぐ隣には繁華街があるが、人々は平気で行き来し、だれも目に留める人はいない。「日本の建築現場では安全に注意し、もしすこしでも事故が起きれば、ただちにすべての工事をストップさせなければならない」と、高須さんは話す。

工事現場にはセメントもなく、大型の攪拌機もない。ただトラックがひっきりなしに出入りし、すでに出来上がった建築資材を運び入れている。現代の日本では、建築は積み木を積み上げるようなもので、あらゆる資材は工場で生産され、規格も統一され、工事現場で行うのは組み立て作業だけだ。現場で発生したゴミは、分別して回収される。工期の短縮は、エネルギー消費の削減につながる。

政府が各種の政策を打ち出し、企業は自身の利益と環境保護の要求をバランスさせ、市民がそれを監督する。この三位一体によって環境問題を解決していくことで、北九州市は環境模範都市になった。

高偉俊教授は、「リサイクルには努力が必要だが、みながそれを行えば産業が生まれ、一つの資源になる」と語る。

「成功の経験を実践に生かして飛躍的な発展」

環境と経済の矛盾は、国家の発展において避けることのできない問題だ。北九州市は前世紀の公害都市から現在の環境模範都市に転身する中で、困難なプロセスを経験した。高教授は、北九州市の環境対策を振り返りながら、「多くの人は手っ取り早い道を選ぼうとするが、最後には、多くのことは自分が経験しなければわからず、経験がなければ変えられないと気付くのだ」と話す。

「都市環境の問題は、企業が自覚を持たなければならない。多くの企業は次世代のことを考えない。いったん空気が汚染され、水が汚染されれば、取り返すことは非常に困難なのだ」。これは高教授の言葉だ。

経済成長と環境保護とのバランスをいかに保つか。高教授は、他国の成功事例学び、飛躍的な発展をすることができると考える。彼は、携帯電話を例にとり、後発の国家はゼロからのスタートではなく、より早く技術の転換ができることを指摘する。北九州市はすでに多くの海外都市と協力関係を結んでおり、環境保護の経験と技術を海外に広めると同時に、他国の経験も学ぶことができる。

高教授は話す。「建築工学は実際の行動が必要だ。机上の空論ではダメだ」

(完)