行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日本取材ツアー④】ビール栓のコルクを得るために守られた森林

2017-04-06 10:28:56 | 日記
27日午前中はアサヒビール博多工場を見学した。無料の一般観光コースで、学生の一人がネットで見つけてきたのだ。ネット時代の若者の情報収集能力には圧倒される。取材テーマは、環境保護における企業の社会的責任。観光コースなので、薄っぺらな取材になるのではと危惧したが、学生の希望は可能な限り取り入れ、積極性、主体性を引き出すのが当初の方針だ。私の視点を加えすぎると、若い芽を摘んでしまうことになりかねない。それでは本末転倒だ。



社会部で事件記者を長く経験したからか、政治家の発言や企業PRには一歩も二歩も身を引く習性が染みついている。どうも素直に記事にしたくないという気持ちが先走る。だが中国人学生を引率する立場に立って初めて、異なる視点を持つことができた。無料で見学を受け入れ、ビール3杯まで振る舞われるのだから、立派なPRである。もちろん、彼女たちもそんなことは承知の上だ。だが、まっさらな目をもって眺めれば、企業PRの中身から社会が見えてくる。そう学生たちは考えた。

レコーダーのガイダンスは英語、ハングル、中国語がある。受付に聞くと、半数以上が外国人でその中でも韓国人が一番多いとのこと。てっきり観光客の比率から中国人だと思っていたので意外だったが、説明を聞いて納得した。工場見学は毎回が40~50人が限度。韓国人は小グループが多いが、中国人は何百人、あるいはクルザー観光であれば数千人が一気に申し込むので、とても対応できない。中国人も個人観光時代を迎えているので、いずれトップになるのは時間の問題だろう。

ビール工場の見学は初めてではないが、恥ずかしながら知らなかったことがある。アサヒビール(大日本麦酒)が戦時中、物資窮乏に備え、ビールびんのふたの裏に使うコルクの代用品としてアベマキの樹皮に目をつけ、広島の山林を買収した。結果的に使われなかったが、時代が変わり、今は環境保護をアピールするため、「アサヒの森」として半世紀以上、保護、管理されているという(https://www.asahibeer.co.jp/asahi_forest/summaly/profile/history.html)。

「なんのために・・・???」。学生たちはなかなかこのコンセプトがピンと来ない。私も経緯が十分にわからないため、時間的に、かつ理念的にあまりにも飛躍しているので、説明に戸惑う。たかだか1時間半の見学ですべてを理解するのは困難だ。そこで、彼女たちに提案した。案内ガイドの女性に直接、取材を申し込み、疑問に答えてもらおうではないか、と。私は半信半疑だった。果たして社内規定でそんなことが許されているのか。

だが声をかけると、案内の女性は、いとも簡単にわれわれの取材に応じてくれた。名札には「采女」とあり、フルネームを尋ねると、「采女鮎子」と答えてくれた。地元九州のご出身だという。感激した学生たちは早速、疑問をぶつけた。「なんのために森を?」

采女さんはカメラの前で、物おじせず、はっきりと答えた。

「ビールの原料は自然から得られるものだから、同じ自然のものは大切にしなければなりません。自然はみなつながって生きているからです」

「それと、アサヒビールは大企業ですから、それだけ社会的責任も大きいです。率先して環境保護に取り組まなければならない責任があります」

社会部記者時代であれば、企業PRの模範解答だとして聞き流したであろう。だが、真剣な彼女たちの視線を見て、同じ気持ちに立って、この言葉を受け入れた。PRであってよい。だが、企業がそういうメッセージを進んで発しなければならないほど、日本の社会における環境保護意識が高まっていることはうかがえる。学生たちの発見はここにあった。私は逆に、中国人の日本社会に対する視点を教えられたわけである。

こんなふうに世の中を眺められたら、きっと違った世界が見えるのではないか。そんな励ましを受け、取材の旅を続けた。(続)

(後記)
采女さんの率直な受け答えに感銘を受けた。企業の責任、時に大企業の責任を、こうした末端の人たちが支えている日本の社会を心強く思った。と同時に、大企業の看板にあぐらをかき、あたかも大きな権力を握ったかのように振る舞う人たちも多くみてきた。企業の命運を左右する不祥事が起きるたび、常に問題となるのは老害とも言われるトップの傲慢、公私混同、危機意識の欠如である。企業のトップはもう少し現場に出て、生の声に接した方がいい。