行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国ネットの笑い話に表れた一般庶民の正直な抗日戦争観

2015-09-01 16:06:06 | 日記
「抗日戦争を8年も戦ったのに、3日間だけの休みじゃ記念するのに十分じゃない」

「どうして3日かというと、8年の間、我々の党はこの数日間分しか役に立たなかったからなんだ」

これは中国のネットで広まっているジョークだと、中国の友人から教えてもらった。中国は9月3日、抗日戦争勝利70周年を迎えるにあたり、同日から3日間が祝日となった。戦争の8年というのは盧溝橋事件(1937年7月7日=七七事変)を起点としているが、中国にでは柳条湖事件(1931年9月18日=九一八事変)から戦争に入ったとするのが公式の歴史認識である。

いずれにしてもこの笑い話は、余暇を楽しむほど経済的余裕が出てきたということ、そして事実に即した歴史認識が生まれていること、それをある程度は自由に話せる言論空間が生まれていること、を意味している。習近平政権は大学や研究機関、メディアなどの知識階級に対し、思想イデオロギーの統制を強化しているが、ネットを中心に広がる自由な領域の拡大は止めようがない。

歴史認識といえば、注目されるのが7月30日、習近平氏が党中央政治局の第25回集団学習会で行った「歴史に語らせ、史実に言わせる」と題する演説だ。「抗日戦争の偉大な意義に対する研究を深め、世界の反ファシズム戦争における重要な地位や共産党の堅固な支柱の役割を明らかにする」という。自身が提唱する「中国の夢」に合わせ、新たな抗日戦争観を打ち立てようという壮大な構想だ。

「史実」を強調しているものの、政治家が特定の政治目的に沿って歴史研究を呼びかけること自体、研究の独立を損なっている。大学や研究機関に学問、研究の独立を認めれば済む話である。研究に独立性がなければ史料の収集、選択や史実の認定も政治に奉仕することになる。「歴史に語らせる」ではなく、「歴史を使って語る」のである。歴史研究はそれ自体が目的ではなく手段となる。

習氏の意図は、戦勝国の立場に立ち、国民党の重要な功績や国際社会の支援を含めた歴史的、国際的な位置づけを強化しようというのである。台湾と連携して中華民族として勝利に焦点を当てる一方、共産党軍に参加した日本人を含めた国際的な連帯を強調する。8月15日、中国黒竜江省ハルビンの731部隊(旧関東軍防疫給水部)跡地にオープンした展示施設「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」新館をはじめ、従来ある抗日戦争記念施設を世界遺産に申請することが目標だ。

こういう話をすると日本人はたいてい構えてしまうのだが、相手を知れば慌てることはない。中国は日本の軍国主義と一般国民を峻別し、いわゆる対日二元論の立場に立っている。国内の経済改革に不可欠な日系企業は大歓迎であり、中国人の訪日旅行は衰えない。相手を知ればどんどん入り込む余地が見えてくる、知らなければ、知ろうとしなければ怖くなる。一つ一つの事象に一喜一憂するのではなく、大きな流れを見極めることが肝要だ。ネットのジョークも習近平氏の演説もまったく矛盾することなくそうした流れの中にある。

ではその大きな流れとは何か?まず第一に考えるべきは、もはやその流れは一国だけで形作れるものでなく、国際化しているということだ。日本もその流れに加わっているという視点からスタートした方がいい。中国の歴史観も日本の動向と不可分である。日本の歴史認識が甘ければ、「歴史を忘れるな」という中国側の主張が説得力を増す。むしろ、習氏の呼びかけに呼応して改めて歴史の共同研究を提唱し、政治主導の歴史観から文字通り事実に即した歴史観を主導すべきではないのか。外野で批判しているだけでは、日本の利益につながらない。