2011/03/21関東地方で放射線量が急上昇
”3/12~3/15の1号・3号・4号爆発時に匹敵”
3月21日の関東地方の放射線量急上昇について
http://59665.diarynote.jp/201106272042517207/ より
2011年6月27日
今となっては はるか昔に思える、3月についての話。
福島第一原発事故の初動体制問題では、
3月11日~3月16日あたりまでの行動が焦点になり、国会などで議論になった。
しかし、3月の関東地方の放射線量の推移を冷静に見てみると、
事故発生から10日後の3月21日に かなり大きなピークがある。これは一体何だろうか?
数日前、原発に関する記者会見で とある記者が3月21日の早朝から関東地方で放射線量が急上昇したことについて、「21日に何かあったのでは?」と指摘していた。
なるほど この記者の指摘は鋭いと思った。その時の保安院の回答は「調査中」とのこと。
それ以降、おいらは会見を見ていないので、保安院から回答があったかどうかは不明。
たしか3/20~3/21については 特に政府から爆発や重大事故の発表は無かった筈。
しかし3/21には、3/12~3/15の1号・3号・4号の爆発時に匹敵するほどの
空間放射線量の急上昇が 関東各地で記録されている。
ひょっとして、3/21の朝に 何か重大な事故があったのではないか?
その前日にあたる3/20には 消防庁による3号機への初の海水連続放水が断行された。
これとの因果関係は あるのかないのか?
問題の21日が過ぎた後の、22日~24日にも、何度も線量の急上昇がみられた。
これも現在(6月末)では見受けられないような、そこそこ大きな線量上昇であった。
***************************
さて、時系列で 整理してみようか。
(※空間線量の記述については、計測人や機械や場所によって 細かい誤差があるので、 具体的なシーベルト/hの数値は書かないことにする。
ただ、線量が『急上昇』した日時に関してだけは、各地方自治体等の公式発表と 関東地方在住の有志の結果は ほぼ一致しているので ご信用願いたい。)
・3月11日(金)
14時46分、三陸沖で大地震発生。ほぼ同時に大津波警報発令。
この時、気象庁の第一報の大津波予測では『 岩手3m 宮城6m 福島3m 』だった。
地震直後にNHKを見ていた人なら、記憶があるだろう。
しかし第一報予測は 大きくはずれていた。15時過ぎ頃から予測を超える大津波が到達。
大津波がとっくに到達してしまってから気象庁は予測を「10m超える」に修正。
だが これはもはや予測ではなく、来てしまった事実を報じただけになってしまった。
・3月12日(土) 15時30分ごろ 1号機爆発
・3月14日(月) 11時01分ごろ 3号機爆発
・3月15日(火) 朝6時ごろ 4号機で火災と称した爆発的事故。
この日の福島周辺県の線量は 早朝から一気に数十倍に急上昇している。
・3月16日(水)~ 3月19日(土) 線量は緩やかに下降。
爆発前よりは高いが、それなりに低い値で推移。
線量は このまま沈静化していくかと思われた。
・3月19日(土) 消防庁、初の本格放水。3号機へ海水2400トンを連続放水する。
14時過ぎから翌朝4時前まで 13時間半もの連続放水。
・3月20日(日)
3号機の格納容器の圧力が危険値まで上昇。
これに伴い政府は 弁を開けることを一時検討したが、
圧力が安定してきたようなので放出は見送った・・・と発表。
(しかし正午前から、なぜか各地の線量が一時的に急上昇。)
この日の夜に、消防庁は連続放水を再開。21時半から翌朝の03時頃まで。
・3月21日(月)
早朝から 一気に隣接県各地の放射線量値が急上昇。水戸でも一時は1μSv/hを超えた。
場所によっては、15日の4号機火災(爆発?)時に近い値まで到達してしまう。
しかし、政府発表は「15時55分ごろ 3号機から灰色の煙を確認」と
「18時20分ごろ 2号機からも煙を確認」のみ。
放射線量が 約1週間前の爆発時(12日~15日)と同じくらい一気に高くなったのに、
政府は『 煙を確認した 』という発表しかしていない。
まさに この日が最大の謎。 一体何があったのか?
・3月22日~3月24日
時折急上昇と下降を繰り返しながら微増。横ばいにはならず、3日間、微増しつづける。
この3日間は、21日の余韻か。 うねるように何度も線量上昇が繰り返されていた。
・3月25日~ 現在まで
空間線量は わずかに下がってきているが、実質は ほぼ横ばい状態で現在に至る。
北関東では地震前の約2倍~約5倍(地域によって落差あり)の値で高止まりが続く。
**************************
< まとめ >
福島~北関東の線量が 現在でも地震前よりは高止まりしている原因は、
3月12日~15日の爆発よりも むしろ21日に生じた「何か」にあると思われる。
実は、3月16日~19日の4日間の線量は、相当低い値まで下がって収束しつつあった。
この期間の状態のまま収束していけば、被害はまだまだ小さかっただろうと思われる。
しかし、21日に起きた「何か」による放射線量の爆上げのせいで、
関東各地に慢性的な線量の高止まりをもたらしてしまった。そしてそのまま現在に至る。
福島第一原発事故の初動体制問題では、
3月11日~3月16日あたりまでの行動が焦点になり、国会などで議論になった。
しかし、3月の関東地方の放射線量の推移を冷静に見てみると、
事故発生から10日後の3月21日に かなり大きなピークがある。これは一体何だろうか?
数日前、原発に関する記者会見で とある記者が3月21日の早朝から関東地方で放射線量が急上昇したことについて、「21日に何かあったのでは?」と指摘していた。
なるほど この記者の指摘は鋭いと思った。その時の保安院の回答は「調査中」とのこと。
それ以降、おいらは会見を見ていないので、保安院から回答があったかどうかは不明。
たしか3/20~3/21については 特に政府から爆発や重大事故の発表は無かった筈。
しかし3/21には、3/12~3/15の1号・3号・4号の爆発時に匹敵するほどの
空間放射線量の急上昇が 関東各地で記録されている。
ひょっとして、3/21の朝に 何か重大な事故があったのではないか?
その前日にあたる3/20には 消防庁による3号機への初の海水連続放水が断行された。
これとの因果関係は あるのかないのか?
問題の21日が過ぎた後の、22日~24日にも、何度も線量の急上昇がみられた。
これも現在(6月末)では見受けられないような、そこそこ大きな線量上昇であった。
***************************
さて、時系列で 整理してみようか。
(※空間線量の記述については、計測人や機械や場所によって 細かい誤差があるので、 具体的なシーベルト/hの数値は書かないことにする。
ただ、線量が『急上昇』した日時に関してだけは、各地方自治体等の公式発表と 関東地方在住の有志の結果は ほぼ一致しているので ご信用願いたい。)
・3月11日(金)
14時46分、三陸沖で大地震発生。ほぼ同時に大津波警報発令。
この時、気象庁の第一報の大津波予測では『 岩手3m 宮城6m 福島3m 』だった。
地震直後にNHKを見ていた人なら、記憶があるだろう。
しかし第一報予測は 大きくはずれていた。15時過ぎ頃から予測を超える大津波が到達。
大津波がとっくに到達してしまってから気象庁は予測を「10m超える」に修正。
だが これはもはや予測ではなく、来てしまった事実を報じただけになってしまった。
・3月12日(土) 15時30分ごろ 1号機爆発
・3月14日(月) 11時01分ごろ 3号機爆発
・3月15日(火) 朝6時ごろ 4号機で火災と称した爆発的事故。
この日の福島周辺県の線量は 早朝から一気に数十倍に急上昇している。
・3月16日(水)~ 3月19日(土) 線量は緩やかに下降。
爆発前よりは高いが、それなりに低い値で推移。
線量は このまま沈静化していくかと思われた。
・3月19日(土) 消防庁、初の本格放水。3号機へ海水2400トンを連続放水する。
14時過ぎから翌朝4時前まで 13時間半もの連続放水。
・3月20日(日)
3号機の格納容器の圧力が危険値まで上昇。
これに伴い政府は 弁を開けることを一時検討したが、
圧力が安定してきたようなので放出は見送った・・・と発表。
(しかし正午前から、なぜか各地の線量が一時的に急上昇。)
この日の夜に、消防庁は連続放水を再開。21時半から翌朝の03時頃まで。
・3月21日(月)
早朝から 一気に隣接県各地の放射線量値が急上昇。水戸でも一時は1μSv/hを超えた。
場所によっては、15日の4号機火災(爆発?)時に近い値まで到達してしまう。
しかし、政府発表は「15時55分ごろ 3号機から灰色の煙を確認」と
「18時20分ごろ 2号機からも煙を確認」のみ。
放射線量が 約1週間前の爆発時(12日~15日)と同じくらい一気に高くなったのに、
政府は『 煙を確認した 』という発表しかしていない。
まさに この日が最大の謎。 一体何があったのか?
・3月22日~3月24日
時折急上昇と下降を繰り返しながら微増。横ばいにはならず、3日間、微増しつづける。
この3日間は、21日の余韻か。 うねるように何度も線量上昇が繰り返されていた。
・3月25日~ 現在まで
空間線量は わずかに下がってきているが、実質は ほぼ横ばい状態で現在に至る。
北関東では地震前の約2倍~約5倍(地域によって落差あり)の値で高止まりが続く。
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< まとめ >
福島~北関東の線量が 現在でも地震前よりは高止まりしている原因は、
3月12日~15日の爆発よりも むしろ21日に生じた「何か」にあると思われる。
実は、3月16日~19日の4日間の線量は、相当低い値まで下がって収束しつつあった。
この期間の状態のまま収束していけば、被害はまだまだ小さかっただろうと思われる。
しかし、21日に起きた「何か」による放射線量の爆上げのせいで、
関東各地に慢性的な線量の高止まりをもたらしてしまった。そしてそのまま現在に至る。
2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
福島第一原発から、今まで放出されてきた放射性物質の大半は、
3月15日までに放出されたかのように発表されてきた。
ところが、大気圏核実験が頻繁に行われていた
(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、
ほとんど同量のCsセシウム137が、
たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もっていたのだ!!
もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、
あまり一般には知られていません。
その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、
それを東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること
―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。
3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、
大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の
同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。
3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が
雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、
また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも
大破したことが明らかである。
1000トンを超える放水が行われた。
3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
原子炉が破損した物理的な帰結であるが、
東電は当然それを認めることができない。
データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。
3月21日前後、関東地方を襲った放射性物質降下について
現在、様々な農作物や海産物などから放射性物質が検出され、
内部被曝が懸念されておりますが、
そのもっとも重要な被害は、主に関東地方に
降りそそいだ3月21日の放射性物質降下(以下フォールアウトと呼びます)に
よってもたらされました。
3月15日にも放射性物質が放出されたことはよく知られていますが、
それは希ガスが主体であり、農作物や人体への被害は比較的軽微だと
考えられるからです。
それにたいし、21日のフォールアウトは、ヨウソ・セシウム・ストロンチウムなどが
主だったと考えられています。
図1 全国の放射線量 3月15-5月2日
これを見れば全国、とりわけ関東地方で、
まったく同型のグラフの動きが確認できます。
15-16日に非常に大きなピークがありますが、
それは直後に急降下しています。
それに対して、21日にピークがありますが、
それは漸近線を描いて下がっていっています。
図3 東京都健康安全研究センターにおける放射線量と降下物
諸々の研究機関による各種分析により、
15日と21日では、その主成分が異なることが判明しています。
15日は、キセノン133など人体に軽微な影響しかない希ガスが主ですが、
21日のフォールアウトでは、セシウムやヨウソ・テルルなどが
主体であることが判明しています。
21日のフォールアウトは想像を絶するものだったことが、
直後から判明しています。
文部科学省は、毎日の全国各地のヨウソ131とセシウム137の
フォールアウトを「環境放射能水準調査結果(定時降下物)」と
その3月20-21日、21-22日のデータは以下の通りです。
図4(PDF) 図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時
上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの
図4(PDF) 図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時
上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの
積算フォールアウトの表を作成してみました。
特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。
特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。
MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、
ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、
25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。
新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレル、
セシウム137が6400ベクレルです。
そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。