1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。6回目の紹介
【フクシマ見聞録】このままいけば、子供達、高齢者たちが先に死ぬことになる
Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月07日、08日のツイートから
福島行-
最後、彼は懇願するように言った。
恥も外聞もない。恥も外聞も踏み越えて、
彼は話したのだった。一人で。
彼が渾身で言葉をぶつけた相手は、
通りすがりの人間だった。
政府や行政に対する怒りも
当然前提としてあるのだが、
それを踏まえて動かぬ郡山市の
一般の人間に挑みかかったのだった。-
-潮のぶつかり合う様を眼前で
見るような思いで自分は立っていた。
その五ヶ月前の4月22日、
東京から郡山集団疎開裁判のリーフレットを
配る一行がバスで郡山へ向かっていた。
自分もそこに参加していたのだが、
行きの車内で参加者がひとりひとり
自己紹介をする場面があり、
それぞれが何がしかのこと-
-を順繰りに話していた。
「飯館に行ったことがあって、、、。」
参加者のひとりの若い娘さんが言っていた。
「そこは皆さんご存知だと思いますけど、
放射線量がものすごくて。
でも、そこにおじいちゃんおばあちゃんがいて。
本当に優しい人達なんです。
そういう人達に対してどう話して-
-わからなくって、、、。
本当のことを外から来た人間が言うのも、
なんか傷つけてしまうような気がして、、、。
だから、郡山でもそこで生活している
人達の気持ちをなるべく
傷つけないようにしてゆきたいと思います」
そんなことを言った。
そのことは他の参加者も口にしていて、-
-”傷つけないようにしたい”というようなことを
言っていたのを思いだす。
しかし郡山に住み、働いていたハンドマイクの男性は、
そうした配慮を踏み越える。
現地人だからこそ、同じ現地人に挑みかかる。
そうして罵声を浴び、絶望の言葉を吐かせる。
そこにはむき出しの衝突があった。-
-「なにか話しますか」関西弁の男性が自分に言った。
時刻はまだ18時30だった。
たった二人で話してゆくものだから、
どうしても時間が余る。
一瞬の逡巡を感じたが、自分はマイクを受け取った。-
-自分は、右隣で肩からハンドマイクを
かけた男性からマイクを受け取り、話し始めた。
「郡山のみなさん、こんばんは。東京から来ました。
ええと、交番の前で放射線量を測りました。
東京の、世田谷のうちの前の7倍ありました。
そこにある、置いてある放射線の計測器より
全然高い値が出ています-
-夜の中で濡れる空間ができていた。
「-2012年、福島市である女性に会いました。
その女性はこんな話を、自分にしました。
-「自分の知り合いの娘さんは2011年6月に
結婚しようとしてた-。」”ジューンブライド”ですね。
しかし3月11日に地震が起きて、原発事故が起きた。-
-「その方は、福島県外のおうちのお婿さんと
結婚する予定だったそうです。
だけど、その3.11で放射性物質が郡山市に
降っただろうと、降った、と。
その結婚するつもりの女性も被爆しただろう、と。
福島県外のその家の方は思ったらしいです。-
-「それで、”健康なこどもを埋めないかも
しれない女とは結婚させることはできない”、
そう言ったそうです。
そしてその婚約は、破棄されました。
で、その女性はノイローゼになったと。
そして”自殺未遂をしたんです”、
こんな話を聞かせてくれました。」
先の方、駅ビルの光を光景に、喫煙所に人が-
-屯していた。
「%%%%ッ」その中から、
罵声とともに何かが投げられ、
濡れたタイルの上を勢いよく弾んで滑りながら、
自分の左手5メールほどに届いた。
段の袖にぶつかりゴツン、というような音がした。
瓶だった。
段の袖にあたった瓶は割れもせず、
無機的に転がる。エッジ-。
自分は思った。-
※次回に続く
2016/9/28(水)22:00に投稿予定です。