*『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 を複数回に分け紹介します。3回目の紹介
被爆医師のヒロシマ 肥田舜太郎
はじめに
私は肥田舜太郎という広島で被爆した医師です。28歳のときに広島陸軍病院の軍医をしていて原爆にあいました。その直後から私は被爆者の救援・治療にあた り、戦後もひきつづき被爆者の診療と相談をうけてきた数少ない医者の一人です。いろいろな困難をかかえた被爆者の役に立つようにと今日まですごしていま す。
私がなぜこういう医師の道を歩いてきたのかをふり返ってみると、医師 として説明しようのない被爆者の死に様につぎつぎとぶつかったからです。広島や長崎に落とされた原爆が人間に何をしたかという真相は、ほとんど知らされて いません。大きな爆弾が落とされて、町がふっとんだ。すごい熱が放出されて、猛烈な風がふいて、街が壊れて、人は焼かれてつぶされて死んだ。こういう姿は 伝えられているけれども、原爆のはなった放射線が体のなかに入って、それでたくさんの人間がじわじわと殺され、いまでも放射能被害に苦しんでいるというこ と、しかし現在の医学では治療法はまったくないということ、その事実はほとんど知らされていないのです。
だから私は世界の人たちに核兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。死んでいく被爆者たちにぶつかって、そのたびに自分が感じたことをふり返りながら、被爆とか、原爆とか、核兵器廃絶、原発事故という問題を私がどう考えるようになったかということなどをお伝えしたいと思います。
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**『被爆医師のヒロシマ』著書の紹介
前回の話:『被爆医師のヒロシマ』著者:肥田舜太郎 ※2回目の紹介
かっ、と目の前が真っ白に光り、熱風が顔や腕の皮膚をすべり去りました。
あっと声に出したのは覚えています。とっさに両手で目をおおって、はいつくばりました。強烈な光を受けたせいで何も見えません。注射器もどうしたかわかりません。
目のくらみが落ち着いてきたので、はいつくばったまま顔をわずかに上げて、あたりの様子をうかがいました。嘘のように静かでした。何ごともない青い空が広がっています。あの閃光と熱風はどこへ行ったのでしょう。私は目をこらして、もう一度、広島の空を見つめました。
広島の市街と戸坂をへだてる山なみの向こうの空に、突然、真っ赤な大きな火の輪がうかびました。その輪の中心に真っ白な雲のかたまりができたかと思うと、またたく間にふくらみます。それが火の輪にふれたとたんに、巨大な火の玉ができました。
目の前に太陽が生まれたかのようです。この火の玉の直径が700メートルくらいあったことを、あとになって知りました。
火の玉は上にどんどん白い雲をたちのぼらせ、下のほうは火柱となって広島の街をふみしだくように立ちはだかっているのが、山の向こう側に見えます。5色の光をはなってチカチカ輝く火柱はきれいで、それはおそろしいものでした。私は縁側に腰をついたままながめていました。
すると山なみのむこうから帯のように長く真っ黒な雲があらわれ、一気に山の斜面をなだれ落ちてきます。見る見るうちにうずを巻きながら戸坂村をおしつつんでいきます。私のいる農家の正面に立っていた小学校にも黒いうずがやってきて、かわら屋根を木の葉のように舞い上げます。
それを見てハッとした瞬間、私の身体は空中にすくい上げられていました。縁側から家のなかにむかって吹き飛ばされたのです。雨戸やふすまも飛びました。大きな重たいわらぶき屋根も天井もろとも吹きぬかれ、ぽっかり青空が見えます。私は背中をまるめたまま、奥の座敷にある大きな仏壇に打ち付けられました。そこに大屋根がくずれ落ちてきて、わらぶきの泥のなかに飲み込まれたのです。(次回に続く)
※続き『被爆医師のヒロシマ』は、8/31(月)22:00に投稿予定です。