パールライスのつれづれなるままに

日常のちょっと気になった事を気ままに書くブログ
最近は、美術鑑賞・ガジェット紹介が中心です。

めぐりあうものたち Vol.2 in 松岡美術館

2022年10月29日 | アート・文化
当美術館の創設者、松岡清次郎氏の審美眼には敬服いたします。
マスコミには、そうは登場しない氏のコレクション。まさに埋もれた名画と言えます。
私の好みでもあるサロン派、印象派、エコール・ド・パリの作品が展示中です。
サブタイトルの「東洋のかおり」とは、絵画のなかからジャポニズムの影響を見てとろう、と言う試みです。
それはそれとして、ここはいつ行っても、ほとんど見学人がいません。独り占め状態でゆっくりと楽しめます。
あんまり教えたくない美術館なんだよなぁ(笑)
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美をつくし―大阪市立美術館コレクション in サントリー美術館

2022年10月26日 | アート・文化
関東の人間にとって、日本文化の発祥の地であり、近代までの中心は関西(京都)だと言う事は分かります(笑)
大阪市立美術館はボストン美術館みたいですね。民間のコレクションから成り立っているところが。
個人のコレクションが基ですから、一味違った収蔵品ですね。

尾形光琳の素描、初めて観ました。これは貴重なものを見せて頂いたなと。関西の方にはどうと言うものでは無いのでしょうが。
根付もユニーク、可愛らしいのもので見飽きませんでした。

白鳳時代の仏像から上村松園まで、文化の歴史の厚みとバラエティーさに感服いたしました。
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学年誌100年と玉井力三 描かれた昭和の子ども in 千代田区立日比谷図書文化館

2022年10月22日 | アート・文化
みんな、この絵を見て大きくなりました(笑)
もしかすると、我々のアートの原体験とは、いわさきちひろと、この玉井力三かもしれません。
なんたって、美術史家の山下裕二氏が応援団長になるくらいですから。

「学年誌」その勢いが良かった1950年代から70年代にかけて表紙画を担当したのが洋画家・玉井力三です。
1928年より「太平洋画会」にて中村不折に師事。満州国新京美術院助教授。戦後は洋画家として「示現会」に所属。人物画を得意としたそうです。
凄いですよね、その体力・気力は。小学1年生から6年生まで毎月描いていたのですから。四半世紀もの間、これほどまでのリアルで溌溂とした子供を描き続けること1500点に及びます。

大きくなって、この絵の存在をすっかり忘れてしまいました。
子供の頃、この良質な絵を見続けていたことに感謝しなくてはいけませんね。
今更ながら猛省しております。
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アールヌーヴォーからアールデコに咲いたデザイン in そごう美術館

2022年10月19日 | アート・文化
オールドノリタケとは、明治中期から第二次世界大戦期にかけて、森村組および日本陶器(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)によって製作・輸出された陶磁器のことです。

森村組は、アメリカに代理店を設立。現地デザイナーまで雇い、徹底した欧米人好みの陶磁器を製造します。
和洋折衷の、和の部分がほんの少しスパイスの様に微妙に効いたデザイン。
職人魂をここまで抑えて、よくもまぁ洋物に徹することが出来るものだなァ、と感心しました。明治の超絶技巧ばかり見てるとそう思いますね。

題名の通り、アールヌーヴォーからアールデコ、特にアールデコの作品が秀逸なのです。
残念ながら、ポスカードは1枚しか販売していませんが。
アールデコはユニバーサルデザインの走りだったのか?だからコピーしやすかったのかもしれません。

ノリタケの様に長命の企業をみるたびにマネジメントの神様、P・F・ドラッカーの言葉を思い出します。「企業の最終目的は、維持・存続にある」
妙なこだわりを持たず、マーケティングに徹し、時代と共に柔軟に変化する。「言うは易く行うは難し」ですねぇ。
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鴨居玲展 in 中村屋サロン美術館

2022年10月15日 | アート・文化
社会や人間の闇を描いた画家(ウィキペディアより)
1964年 創作に行き詰まり、スペイン、パリ等を渡り歩きます。
老人や酔っ払いに自身の姿を重ねる独自のスタイルを確立。1977年に帰国、裸婦像を中心に創作活動そ始めます。
晩年、自画像を量産します。それは1982年に心筋梗塞による入院以後だそうです。生死について見つめ直したのからでしょうか。1985年、自ら人生の幕引きを行います。

「5年前に観た戸嶋靖昌の作品に似ている。両者ともスペインに在住していたし。こちらの方が先輩か」と言うのが私の第一印象。

光と闇をここまで陰鬱(ある意味不気味)に、かつ不明瞭に描いているにも関わらず、魅入ってしまう。
我々のダークサイドを見せつけられているような気がします。しかもかなりリアルに。
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