韮山農園生活

 定年後の生活を妻と二人で韮山で暮らしています。園芸、食品加工、陶芸鑑賞、散歩などの感想を綴ります。 

お荒神さん

2013-01-29 17:40:06 | 日記
 今年もお荒神さんの例大祭が巡ってきました。このあたりでは火伏せの神様として有名で、沼津や三島からも大勢の参詣者が来ます。私達も28にお参りに行って来ました。息子たちも来ていたので、1歳の孫娘も連れて行ってきました。我が家から約2kmの道のりを、歩いて行きましたが、風もなくポカポカ陽気で楽しいひとときを過ごしました。
 約100mくらいの参道の先に小高い山があり、その山頂に神社があります。
 


 参道沿いに露店があり、甘い香りと賑やかさがあり、老人でもわくわくしてきます。トウダンゴとさくら棒という麩菓子を土産に買い、鯛焼きを頬張りながら帰ってきました。鯛焼きは人気で、20分くらい並んで買ったので、一層美味しくいただきました。孫娘もしっかり歩いてご機嫌でした。

切り干し大根

2013-01-18 13:04:40 | 日記
 寒の頃、農作業はほとんどありません。寒いし、植え付けも種まきもありません。それでも、雑草は伸びています。今の内に雑草をかじっておくのがよいのですが、なかなか実行に移れません。
 今年は、1月5日が小寒、1月20日が大寒、2月4日が立春です。この頃の私の主たる農作業は、切り干し大根作りです。大根を短冊に切り更に細く切ってから寒気にあてます。昼間は太陽、夜は寒風に晒して仕上げます。大体、5日間くらいで仕上がります。
 大根8~10本くらいからできる切り干し大根は、300gくらいです。歩留まりは3%くらいでしょう。
 今干している切り干し大根は、8本の生大根から作りました。約300gくらいです。
 


 畑では、紅菜苔が咲いています。お正月頃から芽を摘んで食べています。自然はありがたいものです。この紅菜苔は去年の9月4日に種まきしたものです。
 


 先日、絹さやにネットをしました。これは去年の11月8日に種まきしたもので、もう草丈が20cmくらいになりました。ツルも伸び始めて、何か巻き付く物を欲しがりはじめました。さほど広くもない所に、赤花と普通の白花の2種類に、スナップエンドウまで植わっています。
絹さやの奥には、ほうれんそうが植わっています。真冬のほうれん草はロゼット状になり、地べたにへばりついて寒さを凌いでいます。甘味や旨みはこの時期が最高です。トンネルやハウス栽培物では味わえない醍醐味です。
 


 今月末頃には、ジャガイモの植え付け準備に入ります。春は馬車に乗ってではなく、雑草に乗ってやってきます。冬籠もりもあと少しです。







 

蛭ケ小島異聞

2013-01-06 15:51:10 | 日記
 韮山は歴史が豊かで、相互に関係なさそうな史跡が残されています。今ではあまり話題にもならなくなりましたが、弥生時代の遺跡があって、壺や田下駄などが出土されました。
 その後は、源頼朝が伊豆に流されていたことや彼の伴侶となる北条政子との関係が鎌倉幕府の成立や北条執権政治との関わりなど、興味深い事柄がいくつかあります。
 更には、江戸時代末期には韮山代官の江川太郎左右衛門英龍(坦庵公)の活躍、とりわけ反射炉の建設などが有名です。この小さな町に、なぜこのように多様な歴史的人物が輩出したのか、不思議です。
 最近では遠くからこの韮山を訪れてくる人も多くなったような気がしますが、蛭ケ小島については、若干の疑問を持っています。私が子どもの頃には、何の変哲もない小さな島、正確には田圃の中の小さな史跡だったのですが、随分広くなったような気がします。
 
 

 これが何の像かよくわかりませんが、多分頼朝と政子の像かなと勝手に思っていますが、私が子どもの時には、この像はありませんでした。いつからここに立っているのかわかりません。
 


 茶屋ですね。これも比較的新しい物で無料休憩所になっています。旅人にはありがたいことでしょう。
 


 地元の言い伝えによると、この史跡の北側500mくらいの所が本当の島の跡地らしいといいますが、真偽はわかりません。明治になって耕地整理をやり、余った土地をここに寄せ集めて史跡にしたなどという話も伝わっています。


 いずれにしましても、韮山に弥生時代の大きな集落があったことや鎌倉時代に頼朝と政子がこの地で出会って武家政権のさきがけとなったことや、江戸時代末期に江川代官が優れた人物で、反射炉の建設や種痘を日本ではじめてなしたことやパンの製造など多分野で活躍したことは事実です。