答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「受け売り」の効能

2011年06月06日 | ちょっと考えたこと

 

だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです」(NRIグループ、「この人にインタビュー」2005年1月掲載)、

という、リチャード・クーの言葉は、それはホントに仰るとおりなのであって、「受け売りの継ぎ接ぎ」で日々を生きる私なんぞは、こんなふうに言われてしまうと恥ずかしい限りではあるのだが、

「受け売り」もまた、考えようによってはそれほど悪いものでもない。

例えば私が本を読むとき、小説でもエッセイでもビジネス書でも哲学書(読まんか?)でも、すべからくすることは、蛍光ペンで気になった部分をマークすることである。

それは「お勉強」をするときの、要点へのマーキングという意味は持っておらず、言い回しや考え方の「お気に入り」を選ぶ、という行為なのである。そしてそれを(主にここで)披瀝する。

さらに出来得れば、それを自分で咀嚼し説明をすれば尚よろしいのだが、なかなかそうはいかない。

いかないがしかし、そうやって私にとっての「お気に入り」を選択するという行為を繰り返すうちに、それらの集合は自分の考え「のようなもの」になるのだ(つまり「受け売り」)。

そうすると、きちんと「自分の頭で考えて」ないうちは付け焼刃がすぐはがれ、底の浅さを露呈するということになるのだが、

それはそれで、それによって「恥をかく」ことの繰り返しが、自分自身の成長の糧なのだと考えると、そんなに悪いことではない。

したがって、冒頭の言葉を私のような凡人流にしてしまえば、

だから大切なことは、勉強をして、誰にでもいいから受け売りを出力して、そこで気づいた理解不足を自分の頭で考えて、また出力する。そして自分のものとすることです」となる。

心がけなければならないのは、「出力する」ということである。

「出力」をしないでインプットの量をいくら増やしても、自己満足の域を出ない。

その行く末はメタボなアナタであり、メタボな私である。

だから、「受け売り」でもなんでもいいから、「しゅつりょくしようぜ、えぶりばでぃ!」なのである。

 

 

 ←高知県人気ブログランキング

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする