昨年の12月、高知県建設短期大学校『紀要』に寄稿した拙文「三方良しの公共事業についての私的考察」が、三方良しの公共事業推進研究会ホームページにアップされた。
http://www.sanpouyoshi.jp/torikumi/ronbun.html#y2010
さわりだけ紹介する。
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「負けて勝つ」。
私はこれまで幾度となくこの言葉を聴いてきました。公共建設工事の受注者の心構えとでもいいましょうか。面従腹背でしたたかに実利をとれ、とでもいうような意味合いでしょう。
これは、何も公共建設工事の世界にかかわらず、世間一般ではよくあることです。人と人との関わりには、必ず「大」と「小」あるいは「強」と「弱」が生まれ、「小」は「大」の顔色をうかがい、「大」の都合によって「小」は規制されます。「小」が「大」と対等な関係を築けるのは、技術や人間関係など、特殊な条件のもとでのみ可能なのです。
そんななかで、「負けて勝つ」という戦術をとろうとするのは、ある意味で非常に正しいことであり、私はそのことを全否定するものではありません。しかしながら、今という時代の公共建設工事を「三方良しの公共事業」という切り口でとらえようとする私にとって、 「負けて勝つ」は個別の戦術としては正しくとも、大きな戦略としては間違っていると言わざるを得ないのです。
公共建設工事の発注者と受注者は、その契約書の名称から、発注者を「甲」、受注者を「乙」と呼びます。請負契約書の字義どおりにいけば、甲乙は同等なのですが、現実には同等ではありません。甲が「大」で乙が「小」である場合がほとんどです。そのことから「甲乙同等」であるとか「片務性の解消」であるとかが叫ばれて久しいのですが、土木を中心とした請負工事業の歴史的な成り立ちを考えてみても、そのことが実現するのは現実的には厳しいと言わざるを得ません。
しかし、私がここで言わんとしているのは、だからもっと「甲乙同等」を推進しなければならないのだ、とかいうことではありません。「負けて勝つ」にしても、「甲乙同等」にしても、その発想は発注者と受注者の2項対立のうえにしかありません。私は「甲vs乙」という枠組みや発想そのものに限界があると考えるものなのです。
では、そこに何をプラスして考えるのか。「三方良しの公共事業」をとおして、今という時代の公共建設工事と、そこを拠り所とする私の考えを明らかにしていきたいと思います。
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先日、「なんかないですか?」との事務局からの問い合わせに、そういえばと思い当たり、
「こんなんありますけど」 と、おもむろに提出したものである(ウチからは他に二つの文章があり)。
「論文コーナー」に掲載されているが、論文といえるものかどうなのか、私にはよく判らない。
しかし、どうせWebに流れたんだもの。もしも、興味があるという奇特なかたがいれば、読んでもらいたいと思う。
ご笑覧あれ。
http://www.sanpouyoshi.jp/torikumi/ronbun.html#y2010