チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「読むだけで禅修行」

2018-11-30 09:43:45 | 独学

 178. 読むだけで禅修行  (ネルケ無方著 2014年9月)

 著者は、ドイツ人で、京都大学留学中に禅に出会い、現在、安泰寺住職です。私たちは、日本人ですが「禅とは何か」と問われて、答えられる人は、あまりいないと思います。では、読んで行きましょう。

 『禅の考えでは、生活そのものが修行です。禅の実践はつまり、ただ生きること。一日二四時間のあいだ、修行ではない時間は一分もありません。

 わたしが住職を務める安泰寺(あんたいじ)では、朝の三時四五分に起床して、四時から暁天(ぎようてん)座禅が始まります。しかしそれ以前に、顔を洗うことや布団をたたむことから、修行はすでに始まっています。

 それから食事をいただくのも、掃除をするのも、日中の作業も当然、修行です。トイレに行くのも、お風呂に入るのも、また同じく修行とみなされています。そういう修行は禅寺でなければできない、ということでは、もちろんありません。

 一般社会の中で普通の生活をしながらも、修行として一日を過ごすことはできるのです。そこでまず考えたいのが、「修行」という言葉の中身です。英語ではプラクティス(practice)と訳します。つまり、実践です。

 何を実践しているかといえば、仏(ほとけ)の教えです。仏法に沿って、菩薩となって生きることがすなわち修行なのです。その具体的な方法を、一日一日の実践として示すことがこの本の狙いです。

 わたしが繰り返し申し上げるキーワードの一つは、「自分を手放す」です。「手放す」というのは、ぼんやりすることではありません。そうではなく、「今ここ」に立ち返るために自分の囚われから自由になることです。

 一日の時間を修行として送るにあたって、まず見返りを期待しないことが一番大事です。わたしたち人間は何かを追いかけて生きていることが常です。

 それはお金だったり、他人の評判だったり、異性だったり、あるいは自己実現だったりします。あるいは「悟り」を求めて修行に臨んでいる人もいますが、それはしょせん鼻の前にぶら下がったニンジンでしかありません。

 安泰寺の五代目住職・澤木興道老師(1880~1965)が「得は迷い、損は悟り」といわれたのは、そのためです。悟りを得ようと思っているあいだ、その悟りは遠くへ逃げてしまいます。

 悟りも含め、一切を手放すことから修行が始まらなければなりません。それでは、手放すためにはどうしたらよいでしょうか。答えは簡単、「ただする」ことです。掃除のときはただ掃除をし、仕事の時はただ働く。

 食事はただ食べ、トイレではただ用を足せばよい。しかしその「ただする」とは、「ただなんとなく」という意味では決してありません。今、この一瞬の命をただ生きることです。

 実は、「ただ生きる」ことほど難しいことはありません。どうしても意味らしいもの、答えらしいものを求めてしまうからです。 』


 『 安泰寺では、座禅を行なう禅堂の中に入るときは左足から、外に出るときは右足からと、昔から決まっています。「それはどういうワケがある? その逆ではダメなのか?」

 住職のわたしにそういうふうに問いかけてくる参禅者も少なくありません。安泰寺には外国人の参禅者も多く、特にわたしのような理屈っぽいドイツ人などは、何にでも意味を求めたがります。

 頭の中で納得して初めて行動しようとするのです。「左は陰で、右が陽。陰である内側に向かうときは左足、陽である外側に向かうときは右足……それが理由かなぁ」

 しかし、ここで陰陽の哲学を知ったとしても、それこそ意味がありません。座禅するだけなら、右足から入っても左から出ても、あるいは、逆立ちで出入りしても、できるのですから。

 参禅者にとって重要なのは、歩き方の意味などではなく、この一瞬、この場所で、前へ一歩踏み出したそのときの、自分自身の心です。つまり、「実際に歩いて見なければ、何も分からない」ということ。

 それなのに理屈にこだわって、一歩一歩に集中できないとしたら……。なにも禅寺の境内にかぎった話ではありません。日常の街中でも同じです。昨日の出来事を引きずりながら歩いている人もいる。

 明日に向かって頭の中で計画を練っている人もいる。あるいは、スマホの画面を見ながら歩いている人も。歩くこと以外のことに心を奪われています。

 街を歩くときにかぎらず、毎日の暮らしのあらゆる場面で、やるべきことに集中できずに、何か別のことを考えている自分がいる。気がつけば、わたしたちは何かにとらわれて生きていることが、なんと多いことでしょうか。

 そういうわたしたちに共通しているのは、「今ここ」をおろそかにしているということです。みぎ・ひだり、みぎ・ひだり……その一歩一歩に自分の心がこもっていなければ、人間はやがて立つ瀬を失ってしまいます。

 思えば、わたしもそうでした。「人生の意味はなんだろう」 この疑問がふと頭に浮かんだとき、わたしはまだ小学生でした。人生の意味がわからなければ、生きていても仕方ないと思っていたものです。

 そのときの状態を振り返れば、それはまるで深い穴の底で暮らしているようでした。わたしをその穴から救ったのは、禅との出会いでした。禅が提供してくれた答えを簡単にいうなら、こうです。「人生に意味なんて、ありゃしない。自分の思いを手放して、ただ生きることだ」

 禅では「不立文字(ふりゅうもんじ)」といい、理屈を極端に嫌うフシがあります。だからといって、仏典を勉強する必要がないというのはウソです。また、禅僧がいつもじーっと黙っているわけでもありません。

 「ああでもない、こうでもない」と理屈をこねる禅僧はわたし一人ではないのです。理屈では真実そのものを表すことはできませんが、真実の向かって指すことはできます。禅ではそれを「指月の法」(しげつのほう)といいます。

 真実そのものは空に浮かぶ月のようなものです。言葉は、その月を指し示すユビでしかありません。しかしユビで指さなければ、月に気づかない人もいるでしょう。そのため、禅寺でも言葉を頼りに勉強するのです。

 安泰寺では、五日間に一度「輪講」を開催します。輪講とは、参禅者の一人が当番制で仏典を読み、自らの生活に照らし合わせて解釈を述べる修行です。修行仲間はそれについて鋭い質問で突っ込んだり、異なる持論を述べたりもします。

 わたしもその輪講に加わることがあります。弟子は師匠に横からにらまれながら真剣勝負をしているのです。安泰寺の参禅者には外国人が多いため、仏典を原文で読み上げた後に、まず英語に訳します。

 漢文や鎌倉時代の古い日本語を英語にすることによって、日本人でも新たな意味が見えてくることがあります。それから言葉の内容を現代語と英語で説明し、全員でディスカッションをする。このときもさまざまな言葉が飛び交うことがあります。

 一概には言えませんが、私の日本人の弟子の中にはおとなしい人が多いようです。「このテキストを、あなた自身はどういうふうによんでいるわけ?」とわたしが問うと、どういうふうに読んでいるって、書いてあるとおりにしか読んでいないけど……」と答えるのが日本人のよくあるパターン。 

 その読み方にはつまり、自分の解釈がありません。これではダメです。一方で欧米人に多いのは、原文をそっちのけにした、わがまま勝手な解釈です。

 それはそれで面白いときもありますが、ほとんどが幼稚な自己主張で終わってしまいます。それでは、仏典から学んだことにはなりません。 』

 以上は”はじめに”の前半部分です。次に三十四ある仏教用語の項目の中から、三つを選んで読んでいきます。

 『 身心脱落(しんじんだつらく)  

 仏教の眼目、それは解脱することです。解脱のことを、英語では、「liberation」(解放)と訳しています。つまり、束縛から解放されること、それが解脱なのです。

 問題は解放にいたる道筋です。どうしたら、束縛から自由になれるのでしょうか。この問いに答える前に、まずわたしたちがどうして不自由を感じてしまうのか、その理由について考えてみまよう。

 わたしたちが「なに不自由ない」というのは、好きなことができる、欲しいものが手に入る、物事が思うとおりになるといったときです。しかし、それは「自由」と「気まま」の履き違えではないでしょうか。

 仏教では、「気まま」「やりたい放題」を決して自由な生き方とは考えず、「欲しいまま」と呼んでいます。もっとも不自由なのは、欲しいままに生きている人です。

 欲しいままに生きている本人は自由のつもりでも、実は自分の欲望の奴隷になっているのです。束縛は外的なものではありません。自由でありたいと願っていながら、自分を不自由にしているのは、わたしたちの心です。

 縛られているのではなく、自分で自分を縛っているのです。「これが欲しい」「あれがしたい」という思い、それが束縛の正体なのです。

 ですから、わたしたちをその束縛から解放させるのも、自分自身の働きでなければなりません。自分を縛っているその紐を一本また一本、自分で解いていかなければなりません。

 一番分かりやすいのは、所有物に対する執着です。仏道の入り口とされているのは、「お布施」ですが、小さな寄付であっても世のために役に立つばかりではなく、まず何より自分の束縛の紐を一本解くことができます。

 しかし、物ばかりの話ではありません。人間関係がギクシャクして、相手と意見が合わないときに、自分を無理に押し通そうとしてもうまくいくことはまずありません。相手もそう簡単には引かないからです。

 むしろ自分が譲れば、相手も譲ろうというきもちになることが多いのではないでしょうか。そうすれば、結果的には自分も相手も自由になれるのです。

 道元禅師はこの不思議なカラクリを「はなてばてにみてり」という言葉で表現しています。手放してこそ、手のひらの上で発見できるものがあるという意味です。

 小さな額のお布施も、身近な人にかけた思いやりの言葉も、手放しの実践です。そういう些細な実践でも、仏道の実践にほかなりません。その実践を日々やり続ければ、いずれは解脱を実感することもあるでしょう。

 道元禅師はその実感を「身心脱落」という言葉で表現しています。そして解脱の力は、その人だけにとどまりません。一人が自分を手放せば、その人と縁のできる人にも、「放てば手に満てり」という不思議な力が伝わります。 』


 『 一日不作、一日不食(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)

 インド仏教では、修行僧が労働することは固く禁じられていました。田畑を耕せば、土の中のミミズを殺すこともあるでしょう。それは不殺生戒に触れます。また、作物に対する執着も湧いてきます。

 ですからインドの修行僧は、あらゆる執着を捨て去る意味合いもあって、托鉢だけに頼っていました。タイやスリランカ比丘(びく:南方仏教のお坊さん)は、今日もその生活スタイルを守っています。比丘がクワやスコップを持つのは、とんでもないことです。

 中国に仏教が伝わった当初ももちろん、この戒律は守られていましたが、唐代の中頃から仏教界の堕落が問題視され、一時的にお坊さんへの寄付が朝廷によって禁じられたこともあったようです。

 多くの叢林(そうりん:僧侶の共同体)はそのときから廃滅に向かってしまいました。ところが、その大ピンチをチャンスに変えた人がいました。それは百慧海(ひゃくじょう・えかい:749~814)という禅僧でした。

 百丈禅師はその「百清規:ひゃくじょうしんぎ」という僧侶の生活マニュアルの中で、戒律を抜本的に改革しました。作務すなわち肉体労働こそが、仏弟子に一番ふさわしい修行だと言って、従来の考え方を一八〇度ひっくり返しました。

 そしてその思考の転回こそ、仏教の後世への発展につながったといわれています。さて、その百禅師ご自身も田畑に出かけ働いていたことはいうまでもありません。

 弟子たちが禅師のお身体を心配していたほど、ご高齢になられてからでも作務に精を出していたのです。ある日、作業小屋に行った禅師は、そこで自分のクワやスコップをいくら探しても見つけることができませんでした。

 どうやら、弟子たちがそれらを隠してしまったようです。禅師は仕方なく、自分の部屋に帰っていきました。ところが、食事の時間になっても百禅師は部屋から出ようとしません。弟子たちが呼びに行くと、有名な禅語が返ってきました。

 「一日不作、一日不食」(一日作(な)さざれば、一日食らわず) その後、弟子たちが禅師の道具を返したのはいうまでもありません。

 ところで、禅師の言葉がよく知られるようになったわりには、その言葉の真意はあまり深く理解されていない気がします。無駄メシを食べてはいけない、という意味ではありません。むしろこういうことではないかと思います。

 食べ物は天地からいただいた命の源です。食べることによって、仏道を歩むためのエネルギーも湧いてきます。ですから、食べることも大事な修行なのです。

 そして作務のエネルギーも、天地からいただいたものにほかなりません。作務という仏道修行は、食べることと同等です。作務は食べるための手段ではなく、同じ天地いっぱいの命の贈り物なのです。

 ですから「一日不作、一日不食」は世間でいわれている「働かざるもの食うべからず」とは基本的に違います。また、それは「働いた分だけ受け取ろう」というような交換条件でもありません。

 働いた人だけが食べられるというのではなく、あらゆる人が天地いっぱいの力によって働かせていただき、食べさせていただいているということです。働かせていただけないことは、生かしていただけないことを意味します。

 百禅師の時代にはまだ雇用問題はなかったでしょうから、彼には先見の明があったのかもしれません。人から仕事を奪うことは、その人から生きる意欲を奪うことなのです。「作」も「食」も同じ「大いなる命の働き」です。

 その働きに生かされて、「今日この一日を作る」のです。敢えて漢語風に表現するならば、「作一日」という三文字に凝縮できるでしょう。

 悲しいかな、天地の命の力が一番身近に感じられる田畑の仕事に携わっている日本人の数は減っているそうです。田舎に行けば、荒れている田んぼがたくさんあります。

 都会で仕事が見つからない人、あるいは会社勤めを終えた人が畑や田んぼを耕すというのも、仏教を深める一つの修行になるのではないでしょうか。田畑を耕すということは、自分の命を耕すことでもあるからです。 』


 『 日々是好日(にちにちこれこうじつ)

 中国の唐末から五代十国時代にかけて活躍した雲門(うんもん)禅師(八六四~九四九年)は、多くの公案(こうあん)の題材を提供しました。公案とは、修行僧に出される試験問題のようなものです。

 雲門禅師は、「仏とは何か」という弟子の問に対して、「乾屎橛(かんしけつ)」と答えました。所説はありますが、乾屎橛はどうやら尻ぬぐいに使われた、へらのような木製の道具です。

 どうしても上の空を向きがちな弟子たちの視線を、今ここにある日常に向かわせようとしたのが、この雲門禅師の言葉の狙いです。雲門禅師の言葉の中でもっとも有名なのは、「日々是好日」でしょう。

 読み方として、「にちにちこれこうにち」や「ひびこれこうじつ」というものがあるようですが、わたしは「にちにちこれこうじつ」として教わりました。まぁ、読み方にこだわる必要はないと思います。

 まずこの言葉の背景からご説明しましょう。ある月の中日、十五日のことだったのでしょう。雲門禅師は弟子たちに向かって、こう問いました。

 「十五日以前のことはどうでもよい。十五日以降のことについて、誰か一言を持ってこい。ここに出てくる「十五日」とは、わたしたちが今生きている、今日のことです。

 過ぎ去ったことにとらわれてしまい、くよくよしたり、いらいらしたりするのは人間の常ですが、雲門禅師の問いかけは「そんなことよりも、ここからどっちを向いて一歩を踏み出すか」という意味ではないでしょうか。

 ところが、雲門禅師の弟子の中で、発言するものは誰もいなかったようです。そこで雲門禅師が自ら言いました。

 「日々是好日」 この言葉はとても有名ですが、その意味について誤解している人が少なからずいるかもしれません。決して「毎日を楽しく生きていこう」というレベルの話ではないのです。

 そもそも、人生は毎日が楽しい事ばかりというわけにはいきません。いい日もあれば、悪い日もあります。晴れたり曇ったりの毎日です。もちろん、雨の日もあるでしょう。

 さて、安泰寺では六月、田んぼに植えられた苗と苗のあいだを、毎日のように田車(たぐるま)を押して歩きます。田車とは、日本人の知恵が明治時代以降に生み出した、田んぼの除草のための道具です。

 これから大きく育つはずの稲株のあいだを耕しながら、田車についた爪で草の根を浅く掻き廻します。そうすると、除草剤を使わずに雑草を抑えることができるのです。

 雨の日には、田んぼの泥沼の中に入って田車を押すのはなかなかの重労働です。なぜそんなことをするかといえば、一年分の米を育てるためです。今日も、明日のことを考えて生きていかなければなりません。

 しかし、どの日を取っても、わたしが今生きているかけがえのない「今日、この日」ということも、忘れてはいけないでしょう。今日、この日以外には、わたしたちの生きる時間はありません。

 この日は過去のどの日とも、未来のどの日とも違う一日なのです。この日を今、わたしたちが生きている、生かされていることは、なんとも不思議で尊いことではないでしょうか。

 五月には田植えの日々、六月には田車の日々があるからこそ、秋には稲刈りの日々もあるのです。そのどれを取っても、人生ではたった一回しか訪れることのない一日なのです。

 今日、この日のために、全力をつくして、自分の人生の中の最善の一日にしようと務める子と……、「日々是好日」という言葉で雲門禅師が提唱しようとしたのは、そういう生き方ではなかったでしょうか。 』 (第177回)


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