チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

バッハとカザルスと賢治と私

2019-04-04 09:48:21 | 独学

185. バッハとカザルスと賢治と私     チェロ研究家  五十嵐玲二談

 この大それた表題の中心に据えるのは、“バッハの無伴奏チェロ組曲”の予定でした。バッハは、作曲者ですから、当然です。

 カザルスは、この曲を世の中に広めた人物です。私は、自分が“バッハの無伴奏チェロ組曲”の演奏を聞いて、30歳の時、チェロを買ったので、宮沢賢治も“バッハの無伴奏チェロ組曲”をレコードで聞いて、チェロを買い、練習し、“チェロ弾きのゴーシェ”を書いたと思い込んでいました。 

 しかし、チェロと宮沢賢治(横田庄一郎著)などで賢治とチェロの関係を調べ、カザルスと“バッハの無伴奏チェロ組曲”との関係を調べると、宮沢賢治が“バッハの無伴奏チェロ組曲”を聞いていないと考えられるのです。(あとで理由が出てきます) 

 本来なら、これでこの表題を含めて、すべてを没にすべきですが、宮沢賢治と私に以下の三つの共通点がありました。

 ①   独学で30歳近くなってから、チェロを学ぼうとした。

 ②   持っていたチェロが名古屋の鈴木ヴァイオリン製のチェロであった。

 ③   共に持っていたチェロから“チェロ弾きのゴーシェ”のように、美しい調べを奏でることはなかった。 

 私は、現在72歳ですが、チェロに出会ってから40年の月日が流れてしまいました。そこで、チェロ弾きの端くれとして、チェロ弾き40年間の挫折の記録として、まとめようと考えました。なぜなら演奏者というものは、どこまで上手に弾けたとしても、どこかで挫折を味わい、世界的演奏家と言ども、レコードやCDがある限り、歴史上の名演奏家と競わなくてはなりません。 

 次に、バッハ(1685~1750)とカザルス(1876~1973)と“バッハの無伴奏チェロ組曲”について、見ていきます。

 バッハは、ワイマールの教会のオルガニストとして、マタイ受難曲、ロ短調ミサ曲、トッカータとフーガ、平均律クラビィア曲集などが、本職です。(23~31歳までバッハの前半でワイマール時代、後半はケーテン時代と呼ばれています)

 ここで取り上げるのは、ケーテンの宮廷楽長時代(31才以降)の1720年ころに書かれたと言われる、“無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ(パルティータ)”、“バッハの無伴奏チェロ組曲”です。

 “無伴奏ヴァイオリンソナタ”は、新約聖書に例えられ、“無伴奏チェロ組曲”は、旧約聖書であるとも言われています。

 “無伴奏ヴァイオリンソナタ”の中では、シャコンヌが有名です。 

 しかしながら、“無伴奏チェロ組曲”は、カザルスが13歳の時、父親とバルセロナで楽譜を探しているとき、ほこりだらけの楽譜の山から発見される1890年まで、永い眠りの時代を過ごします。

 カザルスは、その楽譜を家に持ち帰り、無伴奏チェロ組曲(第1番から第6番までCDで2時間と少し)を通して弾いてみた、自分の魂に最も近い音楽を見つけたと実感しました。 

 パブロ・カザルスは、スペインのバルセロナ地方のオルガン弾きの息子として、1876年に生まれました。13歳の時には、すでにオルガン、ピアノ、チェロを弾けましたので、バッハの楽譜(妻のアンナ・マグレ-ナの写譜が残るだけ)を見ておそらく音が浮かんできたと考えられます。 

 カザルスは、12年間練習したあと、ようやく公衆のまえで披露し、この作品の独創性を広めた。バッハがこの曲を1720年頃作曲し、カザルスが演奏するまで、180年の歳月が流れていた。 

 ではなぜ、無伴奏チェロ組曲が、かくも長いあいだ忘れ去られていたか、私の考えを述べます。

 ①   バッバの時代、ヴィオラダガンバは、エンドピンがなく、股に挟んで弾いていたので、奏法が制約され、これをダイナミックに弾くことが難しかった。

 ②   バロック時代のチェロの弦は、羊の腸でつくられていたため、張力に限界があり、演奏が制約された。(現在はスチール弦です)

 ③   右手の弓の自由度を高める奏法が、カザルスによって開発された。

 ④   無伴奏チェロ組曲の楽譜を見て、この曲の真価を理解できるものは、オルガンとチェロと楽譜を同等に扱える、バッハかカザルスしかいなかったと考えます。

 カザルスは、1901年25歳の時、バッハの無伴奏チェロ組曲を演奏していますが、このレコーディングは1936~39年にかけて行われ、カザルスが63歳の時、レコードによって日本でも無伴奏チェロ組曲が聴けるようになった。 

 宮沢賢治は、1896年8月岩手県花巻に生まれ、1933年9月(37才)で亡くなる。生前の賢治は、童話作家としても無名で、死後谷川徹三によって、評価され有名になった。 

 従って、私のもくろみは、見事に外れ賢治は、バッハの無伴奏チェロ組曲を聴いていないと考えられます。 

 宮沢賢治は、いつチェロを買ったか。賢治のチェロのラベル(鈴木ヴァイオリン製作ラベル)に、F孔から水彩画の筆で“1926K.M”とサインがありますので、賢治が30歳の時、チェロを買ったことになります。従って、30歳からチェロをマスターしようとしたことになります。 

 賢治のチェロは、ほぼ独学ですが、三日間だけチェロをかついで東京に行き、伝手を頼って、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)のチェロとトロンボーンを弾く大津三郎に習ったとあります。(チェロと宮沢賢治:横田正一著) 

 そして、この時、ドイツ留学から帰国した斉藤秀雄が新交響楽団の弦楽パートを指揮しており、この練習風景を見て、有名な童話“セロ弾きのゴーシュ”の構想を得たと思われます。 

 では、“セロ弾きのゴーシュ”の一部分を読んでいきましょう。 

 『 ゴーシュも口をりんと結んで眼を皿のようにして楽譜を見つめながらもう一心に弾いています。にわかにばたっと楽長が両手を鳴らしました。 

 みんなぴったりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。「セロがおくれた。トォテテ、テテティ、ここからやり直し。はいっ。」みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。

 ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗を出しながらやっといまいわれたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍ました。 

 「セロっ。糸が合わない。困るな。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込んだり自分の楽器をはじいてみたりしています。 

 ゴーシェはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシェも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。「今の前の小節から。はいっ。」みんなまたはじめました。 

 ゴーシュも口をまげて一生けん命です。そしてこんどはかなりかなり進みました。いいあんばいだと思っていると楽長がおどすような形をしてまたぱたっと手を拍ました。 

 またかとゴーシュはどきとしましたがありがたいことにこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたようにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考えるふりをしていました。 

 「ではすぐ今の次。はいっ。」そらと思って弾きだしたかと思うといきなり楽長が足をどんと踏んでどなりだしました。「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。 

 音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶(かなぐつかじ)だの砂糖屋の丁稚なんかの寄り集まりに負けてしまったらいったいわれわれの面目はどうなるんだ。

 おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情というものがまるででてきていない。怒るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。 

 それにどうしてもぴったっと外の楽器と合わないもな。いつでもきみだけとけた靴のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ。……」 

 みんなが出ていったあと、ゴーシュはその粗末な箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもういちど弾きはじめました。…… 』 

 最後に、チェロのドレミファ(五度調弦)について、述べます。チェロには、4本の弦が張られています。低い方からC弦又は4弦、G弦又は3弦、D弦又は2弦、A弦又は1弦です。

 

 開放弦は、低い方からC弦をド、G弦をこれより5度高いソ、D弦をさらに5度高いレ、A弦を5度高いラに調弦します。(これはチューナーで合わせます) 

 これを完全5度調弦と呼び、完全5度とは、ドレミファソと5つで、その間に全音3つと半音が1つを含みます。弦楽器は、弓で弾きますので、角度を変えて音の重なりを防ぐために4本の弦で、構成されています。(4弦完全5度調弦) 

 12平均律は、1オクターブを12の半音で構成するものです。1オクターブ高いとは、弦の長さが半分で、振動数は2倍になります。(弦の長さと振動数は逆数の関係となります) 

 C弦のナットからブリッジまでの長さが70cmすると、低いドの音を65ヘルツ(振動数の単位)とすると、半分の35cmの位置がオクターブ上のドの音(振動数は130ヘルツとなります。 

 12平均律とは、70cmの弦を少し短くして、これを12回繰り返したとき、半分になる値この少しの値が、70x(1-0.0561)=66cmで、振動数は65x1.0594=69ヘルツになります。 

 この値70x(1-0.0561)**12=35cm 、Bx1.0594**12=130ヘルツ 、1オクターブ高くなります。半音階を数学的に表現すると2**1/12=1.0594 で振動数を表し、この逆数1/1.0594=0.9439となります。半音階が12回で、1オクターブです。 

 レは、ドから長2度上がって、弦の長さは、70x(1-0.0561)**2=70x0.8909=62.3cm、振動数は、65x1.0594**2=65x1.1224=73ヘルツとなります。 

 ミは、ドから長3度上がって、70x(1-0.0561)**4=70x0.7937=55.5cm、振動数は、65x1.0594**4=65x1.2599=81.8ヘルツとなります。 

 ファは、ドから完全4度上がって、70x(1-0.0561)**5=70x0.7491=52.4cm、振動数は、65x1.0594**5=65x1.3348=86.7ヘルツとなります。 

 ソは、ドから完全5度上がって、70x(1-0.0561)**7=70x0.6674=46.7cm、振動数は、65x1.0594**7=65x1.4983=97.3ヘルツとなります。 

 ここで、フレット(弦)の長さを70cmとすると、C弦での開放弦は

 70x1.0   =70    ド

 70x0.8909=62.3  レ  ≒8/9

 70x0.7937=55.5  ミ  ≒4/5

 70x0.7491=52.4  ファ ≒3/4

 70x0.6674=46.7  ソ  ≒2/3

 70x0.5946=41.6  ラ  ≒3/5

 70x0.50  =35.0  ド  1オクターブ上


 講演会での 演奏予定曲について 

 〇 バッハ作曲  無伴奏ヴァイオリンパルチータ第2番シャコンヌより、(少し)

 〇 バッハ作曲  無伴奏チェロ組曲第2番より、(少し)

 〇 カザルス作曲  スペイン民謡 鳥の歌

 〇 バッハ作曲  G線上のアリア

 〇 シューベルト作曲  トロイメライ

 

 〇 ロシア民謡  黒い瞳

 〇 日本民謡   さくらさくら

 〇 滝廉太郎作曲  荒城の月

 〇 ビートルズ  イエスタデー 

 〇 アメリカ民謡  朝日のあたる家

 〇 谷村新司作曲  いい日旅立ち

 〇 小林亜星作曲  北の宿から

 

 〇 カッチーニ作曲  アベマリア

 〇 ホルムベルト作曲  望郷のバラード(少し)

 〇 シューベルト作曲  ます第4楽章より(少し)

 〇 ドボルザーク作曲  新世界第4楽章より(少し)

 

 〇 ゴットファーザー  愛のテーマ(ギターと歌)

 〇 五木ひろし作曲  契り ピッチカートと歌

 〇 杉山長谷夫作曲  花嫁人形

 〇 竹久夢二作詞   宵待ち草

 〇 阿木燿子作詞   夢一夜 (ギターと歌)

 〇 荒井由実作曲  「いちご白書」をもう一度 (ピッチカートと歌)

 

 〇 松山千春作曲  旅立ち 

 〇 中島みゆき作曲  この空を飛べたら

 

 なお、この演奏会は、聞く人のいない演奏会です。音楽を60年近く聴いてきて、音楽とは何かについては自分なりに考えてきました。ロマンロランは、「ベートーヴェンの生涯」の中で、聴衆は音楽に言葉の矢をつげないと理解しにくいというようなことを述べていました。

 私は自分のチェロに挫折して、コードだけでギターをつま弾いて、演歌やポピラー音楽や世界の民謡を歌って、バランスをとってました。現代は、ジャズ風とかクラッシック風という雰囲気があるだけで、ジャンルはあまりこだわらない時代かもしれません。

 例えば、ビートルズの曲は、現代では、クラッシック音楽のように感じます。最後にクイズを出します。有名な作曲家で、自分が書いた交響曲を聴いていない人が三人います。誰でしょう?

 一人目は、ベートーベンです、第五番運命を作曲したころから、音が聞こえなかったようです。

 二人目は、シューベルトです。未完成交響曲ですので。

 三人目は、ショパンです。自分で書いた交響曲を演奏するオーケストラを雇うお金がなかったそうです。

 では、素晴らしい音楽に出会えることを祈って、ペンをおきます。(完)

 


 

 

 

 

 

 

 

 


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