夏の間、目にしていた鮮やかな植物たち。
雨が降るとザワザワ延びて悩ましいですが、やはり美しいですね。
そんな植物の生命力は
テレビや画像や写真には写らない。
近くに居ないとわからないけれど、
翠色、緑色の色鉛筆を買いました。
片鱗くらいはきっと思い出せるかなと。
話しは飛びますが、
16世紀に終わりを告げたインカ帝国。
今は南米ペルー一帯のある意味巨石文化として記憶されていますが、高度な文明圏を創造していたことが偲ばれます。
樹木や繊維などでつくられたものは風化し朽ち果てほとんど失われました。
石造物だけが形を変えずに遺っている。
そこに佇んで目を閉じると
往時の豊かさが甦ります。
鬱蒼とした森、谷に湧く温泉、鮮やかな岩盤、ゆっくり削る河川。
あざやかな織物や編物、多種多様な土器、黄金の宝飾品。
そして豊富な作物の原種、品種改良。
……16世紀以降ジャガイモ、ピーマン、コーンなど西欧を下支えしましたね。
13世紀にクスコ王国ができ、
1438年、パチャテクの即位により国家再建がはかられます。
(ちょうど鎌倉時代〜戦国時代)
最盛期は人口1600万人
80もの民族が4つの王国になり、
連邦国家と呼べるものを形成。
その頂点にインカ帝国。
現在のコロンビアからチリまで5200kmを超える道路、高低差がある地形は吊り橋などを掛け繋ぎました。要所には神殿と要塞。
約7km(1トポ)毎に里程が定められ
約19km毎に宿駅(タンボ)を置き、タンボには食糧備蓄庫を設けました。税収としての食糧の保管場所であり、食糧難になれば平等に分配するためにどんどん放出したそうです。
1日に240kmも走るチャスキと呼ぶ飛脚が、8km毎に置かれ緊急事態を伝えました。
なぜか文字は無く、キープ(発音はキプーが精確ですね)と呼ばれる縄の束が使われました。
縄の結び目の形や位置で数字を表し、統計情報に使われたとか。
暦や納税記録とわかるものが現存していますが、最近言語情報と考えられるものも見つかっているそうです。
本当に、クスコやサクサイワマン、マチュピチュに佇んでみると、
文字が無いのは何故?
と疑問が湧いてきます。
能力ではなく理由があるな、と。
一説に、
「文字を持っていたが迷信的理由で廃止した」
そうなのです。
……文字を使うと不都合が?
……誰に?
知識、文化活動は貴族の為のものであり庶民のものではない、というのは何となく想像できます。
また1600万人を擁するために積極的に「公用語」を普及させたのもわかります。
でも、エジプトやケルト、日本にも数多く遺る石の遺跡には文字が彫られているのに、
インカ帝国一帯には無い?
美意識?
かもしれない。
後世に消された?
いややっぱりインカ帝国には文字は拡がらなかったようです。
貴族だけは使っていたのかな?
いや、何かべらぼうに強い「意思」を感じてしまいます。
文字を盡くしても伝わらない
文字が氾濫すると混乱する
じゃ、文字封印しましょ。
かくて、キプーのみになりました。
そうなのかな、どうなのかな。
カエサル ジュリアスシーザー
ケサル チベットの奇祭
ケツァール 中米(マヤ文明)の鳥
ケチュア インカ地域の言語(ケチュア語、アイマラ語)
そのケチュア語で
インカ帝国をタワンティン スーユ
再興の王パチャテク
といいます。
なぜだか漢字が浮かんでくる
大王帝四邑
覇者大君
(●´⌓`●)(> <;)
さてはて。この秘密を解くのは誰?
1533年にスペインのコンキスタドールにより
インカ帝国はあっけなく滅亡しました。
実に勿体ないお話です。
真夏よりちょっと秋めいてきた夜の手前の黄昏れ時の夢の後先
あ、文字が過ぎたようです。
おあとがよろしいようで。