柏崎ロケ始まる 映画「ふみ子の海」
飯塚邸、旧別俣小で
上越市などで撮影中の映画「ふみ子の海」(C.A.L)製作の柏崎ロケが二十七、二十八日、市内新道の史跡・飯塚邸と鵜川神社で行われた。
原作は、今月末に閉校する高田盲学校の元教諭で上越市、市川信夫さん(73)の同名小説(理論社刊)。同校教諭として生涯を視覚障害者教育にささげた故粟津キヨさんがモデルだ。柏崎出身の本間信行プロデューサー(58)=(C.A.L)=が映画化までに四年をかけた。(略)
柏崎ロケにはスタッフ約四十人が入り、飯塚邸では料亭シーンを撮影。「本番、よーい、スタート」の掛け声で邸内に緊張感がみなぎった。(略)
四月一日には旧別俣小学校で病室と教室シーンを撮影する。地元小学生がエキストラで出演する。その後市内の海岸で「母ちゃん、海ってきれいだ」というふみ子のせりふで作品テーマにもつながる場面の撮影も予定されている。出演は中村敦夫さん、水野久美さん、高橋恵子さんほか。(略)
このロケ隊すでに柏崎での分は撮り終え、上越市旧高田の雁木通りでの撮影をしていると「新潟日報」に載っていた。原作者の市川信夫さんが高橋恵子さんにマッサージを受けるという出演シーンがあるそうで、まったくもって羨ましい。
この頃にわかに活発化したフイルムコミッション(柏崎FC・上越FC。長岡FCももうすぐ発足するそうだ)の話もいいし、旧別俣小学校の行方の話もいいのだが、今日は改めて飯塚邸を取り上げる。
監督から「色々に使える有能なロケ地」というようなお墨付きを貰ったようだが、今回は建物の事でもない。
昭和天皇は昭和二十二年十月、甲信越を御巡幸なされ、十日、十一日の両日飯塚邸で過ごされた。
「──十一日の午前中、雨にぬれた庭園を散策になり、その後裏門からお散歩にお出かけになった。その後一時間半にわたって飯塚邸附近を歩かれた。御巡幸の中では珍しい出来事と言われている。
その後、昭和天皇の御散歩を大変な名誉とし、新道村(当時)の有志で道順に沿って記念の石碑が18ヵ所に建てられた。表面には碑文としてその場所での出来事と時間が、裏面には寄贈者の氏名が彫られている。
道順をたどって碑文を読むと、終戦から2年経た当時の世相や、昭和天皇のあたたかい人柄を偲ぶことができる。(「昭和天皇の御散歩道と新道の柿」より)」
飯塚邸の周囲と現在柿団地になっている風牧山、それに沿った礼宝山には、全国的にも珍しい「天皇陛下の御散歩道」がのこされているのだ。
この様子は飯塚邸の内部にパネル写真で紹介しているから、ご覧になった方は多いかもしれない。去年この「御散歩道」を予に知らしむべくパンフレットが作られた。私の仲間で「綾子舞街道通信(毎月1回発行)」の発行者の骨折りによる。
天皇陛下御散歩の御様子には、同行した記者による面白いエピソードなどもあるのだが、パンフレット発行の際お伺いを立てた宮内庁に「断定はできないことだから」と採用を見合わせた話もあるので、機会があればいずれ。
このパンフレット「飯塚邸」「柏崎市立博物館」「ふるさと人物館」「高田コミュニティセンター」などで手に入る。
「綾子舞街道通信」は国道353号線沿いを、綾子舞にちなんだ街道として紹介、活性化しようというもので、群馬県の側にまで交流が進んでいる。この件もおいおい紹介していきたい。
飯塚邸、旧別俣小で
上越市などで撮影中の映画「ふみ子の海」(C.A.L)製作の柏崎ロケが二十七、二十八日、市内新道の史跡・飯塚邸と鵜川神社で行われた。
原作は、今月末に閉校する高田盲学校の元教諭で上越市、市川信夫さん(73)の同名小説(理論社刊)。同校教諭として生涯を視覚障害者教育にささげた故粟津キヨさんがモデルだ。柏崎出身の本間信行プロデューサー(58)=(C.A.L)=が映画化までに四年をかけた。(略)
柏崎ロケにはスタッフ約四十人が入り、飯塚邸では料亭シーンを撮影。「本番、よーい、スタート」の掛け声で邸内に緊張感がみなぎった。(略)
四月一日には旧別俣小学校で病室と教室シーンを撮影する。地元小学生がエキストラで出演する。その後市内の海岸で「母ちゃん、海ってきれいだ」というふみ子のせりふで作品テーマにもつながる場面の撮影も予定されている。出演は中村敦夫さん、水野久美さん、高橋恵子さんほか。(略)
(平成18年3月29日 柏崎日報より)
このロケ隊すでに柏崎での分は撮り終え、上越市旧高田の雁木通りでの撮影をしていると「新潟日報」に載っていた。原作者の市川信夫さんが高橋恵子さんにマッサージを受けるという出演シーンがあるそうで、まったくもって羨ましい。
この頃にわかに活発化したフイルムコミッション(柏崎FC・上越FC。長岡FCももうすぐ発足するそうだ)の話もいいし、旧別俣小学校の行方の話もいいのだが、今日は改めて飯塚邸を取り上げる。
監督から「色々に使える有能なロケ地」というようなお墨付きを貰ったようだが、今回は建物の事でもない。
昭和天皇は昭和二十二年十月、甲信越を御巡幸なされ、十日、十一日の両日飯塚邸で過ごされた。
「──十一日の午前中、雨にぬれた庭園を散策になり、その後裏門からお散歩にお出かけになった。その後一時間半にわたって飯塚邸附近を歩かれた。御巡幸の中では珍しい出来事と言われている。
その後、昭和天皇の御散歩を大変な名誉とし、新道村(当時)の有志で道順に沿って記念の石碑が18ヵ所に建てられた。表面には碑文としてその場所での出来事と時間が、裏面には寄贈者の氏名が彫られている。
道順をたどって碑文を読むと、終戦から2年経た当時の世相や、昭和天皇のあたたかい人柄を偲ぶことができる。(「昭和天皇の御散歩道と新道の柿」より)」
飯塚邸の周囲と現在柿団地になっている風牧山、それに沿った礼宝山には、全国的にも珍しい「天皇陛下の御散歩道」がのこされているのだ。
この様子は飯塚邸の内部にパネル写真で紹介しているから、ご覧になった方は多いかもしれない。去年この「御散歩道」を予に知らしむべくパンフレットが作られた。私の仲間で「綾子舞街道通信(毎月1回発行)」の発行者の骨折りによる。
天皇陛下御散歩の御様子には、同行した記者による面白いエピソードなどもあるのだが、パンフレット発行の際お伺いを立てた宮内庁に「断定はできないことだから」と採用を見合わせた話もあるので、機会があればいずれ。
このパンフレット「飯塚邸」「柏崎市立博物館」「ふるさと人物館」「高田コミュニティセンター」などで手に入る。
「綾子舞街道通信」は国道353号線沿いを、綾子舞にちなんだ街道として紹介、活性化しようというもので、群馬県の側にまで交流が進んでいる。この件もおいおい紹介していきたい。
(陸)