「明治十年大晦日から明治十一年年等の中村家」
「明治十年」
十二月 三十一日 小雨 無事越年セリ○除夜海津叔父来リテ中濱叔父書置キ冥途ニテ云々ヲ談ス因テ弟鉄ヲシテ様子ヲ伺ハシムルニ別条ナシ
是月下モ町ニテ恒太郎ヲ戸主トナシ景三郎ヲ順養子トシテ嗣子トナシ宗右衛門君ハ隠居ト戸籍ヲ改メタリ是ヨリ先キ景三郎ハ上ハ町ノ戸籍ニ載セアリ也此ニ至リテ引戻シテ取究メタルヨシ承之タリ
紀元二千五百三十八年明治十一年戊寅平年三百六十五日火曜
一月一日 小雨 年首ノ式都テ旧年ノ如シ当年ハ住宅換テヨリ初メテノ一月一日也家族無事ニテ善太郎機嫌宜シク大慶ナリ
五日 近例ニ因リテ陛下ノ尊影并皇后宮ノ尊影ヲ拝謁シ奉リ左ノ品ヲ献セリ是日新年宴會ナレハナリ
前夕 茶 菓 〈松葉三本。赤落雁三。鶴ノ初レ雪三枚〉
本日朝 茶
同 昼 皿 鱈 小皿 数ノ子
汁〈芹 百合根 小味噌〉 飯 酒
同 夕 皿〈玉子焼 慈姑。山芋〉 小皿 沢庵
汁 鱈味ソ汁 飯 酒
「明治十一年大晦日から明治十二年年等の中村家」
「明治十一年」
○三十一日風雪吹善太郎モ不快ニ候ヘ共格別ノ事モ無之家人一同列坐イタシ珎重々々」山岸叔母清子当三月頃ヨリ乳ニ塊ヲ醸シ海津叔父治療ナサレ候ヘ共終ニ十月ノ末ニ破レテ十一月廿日後ヨリ床ニ打臥サレ腫レノ傷大ニ痛ミタリ困リテ今夜歳暮ニ行同人ノ病気平癒イタシタク心願此事ニ候病気名乳癌ナリ
紀元二千五百三十九年
明治十二己卯年平年三百六十五日火曜
第一月一日 吹雪 元旦ノ式例ノ如クシ善太郎モ先ツ平穏ニテ大慶〃〃○二日雨吹○三日元始祭雨フル○四日小晴午後ヨリ風フク○五日微雪新年宴会ニ付
両尊影ヲ奉謁ス即チ左ノ御饌ヲ献ス
前夕 茶 蒸羊羹五切宛楊枝添ル
本日朝 茶
皿〈大根膾花鰹入〉 手塩皿 ナラ漬
仝昼 小皿 数之子 碗〈粟餅汁雑煮〉 手作リ酒
皿〈焼豆腐山芋百合〉 手塩皿 ナラ漬
仝夕 吸碗 芹汁 碗 小豆飯 手作リ酒
随分ほったらかしにしていて気が引けたが、少しは更新しようかなと……。
で、正月らしい部分をと、思ったのだが明治の御代になってからの中村一族は斯様な状態だ。
明治五年に生れた長女美喜は亡くなったようだ。続鏡月堂日記は第七巻にあたる明治七、八年の分がないから、その間の事と思われる。が、明治九年に長男善太郎が生れている。日記にも記されているように、善太郎は篤之助同様蒲柳の性質。近代医療は未の時代。コレラ騒ぎに世上も不安定だ。それでも新年の礼は欠かしていない。
中村家の盛りは、父雄右衛門、祖父長佐衛門が存命だった、慶應元年の年末から慶應二年の年頭だろうか。世上は不安ながら、篤之助、次郎作(養子に出た)、鉄三郎、辰四郎の兄弟が揃って、更に叔父、叔母達(篤之助は伯の字も宛てことがあるが殆ど父の弟妹)も健康、家業もまずまずの、大一族だから。
明治の御代になって、一族の家運が傾き始めた。出来あった昔の事ながら、この様を辿って行かざるをえないのは、胸の痛むところだが、その辺は避けて、明治の出来事をボチボチと紹介することにしようと思う。が、活発な人間ではないので次が何時になるかは言いかねる。
(陸)