雪割草は正しくは、キンポウゲ科の「スハマソウ」もしくは近縁の「ミスミソウ」を指す。雪の消えた地面に他の草に先駆けて花を開くので雪割草と呼ばれることが多いが、他の地域ではフクジュソウなど別の花を指す場合もある。スハマソウは葉の先端が丸く、ミスミソウは縁が三角に近い。
交配によって花弁の変種ができやすいので愛好家がまた多い。
こんなチラシが入ってきた。
雪割草販売専門店
西山雪割草園
1月28日 オープン
http://www.yukiwarisou.net(工事中のところが多いようだが)
■営業期間:1月28日~4月中旬(毎週水曜日定休)
■営業時間:午前10時~午後5時
柏崎市西山町上山田888
TEL:0257-47-3848
西山町では柏崎市との合併前より、大崎地区に「雪割草の里」を設けて
「大崎水仙」とともに雪割草での地域活性を図っている。同所では毎年三月雪割草の開花と共に、「雪割草祭」を催している。現在雪割草の里がどのような扱いになっているのかは、インターネット上で調べた限り不明。西山での雪割草栽培は岩淵名人などを擁して、非常に活発。
またこんな記事も見つけた。
雪割草を復興産業に
小国町森林組合が「山野草園」オープン
長岡市の小国森林組合(稲波忠昭代表理事組合長)では二月十日、小国町上岩田の越後おぐに森林公園に「小国山野草園」をオープンさせる。同園は約五十坪のハウスで、雪割草をはじめとする山野草約三百種、五~七千鉢を年間を通じて展示、販売する。(以下略)
http://www.town.oguni.niigata.jp/sisyo/kanko/kanko_f.html
(越後タイムス:平成18年1月27日号より)
雪割草とは全く関係ないのだが、同日の越後タイムスのこの記事に胸を突かれた。
人と話題
先祖の写真還る
須田一彦
市内大清水の大泉寺に戦時中、武運長久を祈願して収められた三百五十枚の写真が発見され、小林清禧住職はそれらの写真を護摩供養した後、遺族に還したいと懸命の努力を続けておられる。そのうちの一枚が、柏崎出身で現西宮市在住の私の祖父・國三郎が、三人の息子の無事を祈って昭和十九年五月十五日、大泉寺に収めたものであることが判明し、写真現物が昨年十二月二十三日、私の元へ無事届けられた。
写真は、長男・芳郎(昭和十九年中国で現地召集されたが無事帰還し、平成十四年十月、八十八歳で天寿全とう)、次男・謙吾(昭和二十年八月二十三日、北千島占守島で自決戦死)、三男・達郎(インパール作戦で昭和十九年三月十八日、インド国ウクルルにて戦死)の三兄弟が揃って中国・天津で撮った貴重なものである。(以下略)
(越後タイムス:平成18年1月27日号より)
日付や地名を良く見ていただきたい──兄弟の上に降りかかった運命は酷薄というほかはない。とりわけて今、占守島(しゅむしゅとう)の戦いの意味を知っている人はどれ位いるのかと。
越後タイムス主幹のブログに
興味深い記事がある。併せて読んでいただきたい。