柏崎百景

柏崎の歴史・景観・民俗などを、なくならないうちにポチポチと……。
「獺祭」もしくは「驢馬の本棚」。

帰って来ました

2006年06月11日 | 言葉
 5月28日夕方から、思いもかけず、斯様な状態に陥ってしまいした。
 6月11日朝、ようやく娑婆に戻る事ができましたが、なかなか調子が出ません。
 今しばらくご猶予を。

(陸)


俳句の中の柏崎 其四

2006年01月25日 | 言葉




飯涌山牌堂(はんようさんはいどう)

 寝覚てや木魚を老の薬喰    良 恵
 雪国かソモサン唐の香積寺   重 英

飯涌山は現西本町三丁目の「香積寺」の山号。元は剣野にあったが、約七百年前大旦那柏崎勝長が没した後この土地を賜って同場所へ移ったとされる。牌堂は柏崎勝長の位牌を祀った所とされている。■陽だまり 柏崎勝長邸跡■

竈馬(こほろぎ)古橋

 禁足も忘れッ橋の虫の声    玄 務
 竈馬に抜足したり橋の月    筌 滉

香積寺の付近にこほろぎ橋という橋があったとされているが、諸説があって特定できない。菅江真澄の随筆には、北国街道の柏崎の町の入口(かつての水道橋付近)と記されている。こほろぎ=香呂木の事だとは柳田國男。




正行寺江流

 誰か魂そ柳に通ふ雷光      友 治
 行水や裳(もすそ)を繋く玉柳  う 曲

西本町一丁目の聞光寺と旭小路の間に「正行寺」という寺があったそうだ。『小太郎』には「往時ハ一宇の御堂なりしか、いつかあれ果て唯流のミのこる」とある。

真光寺夜市

 人ひとよ蓮買ふなら十七夜   祐 真
 月毎の藤のさかりや夜の市   樹 風

 現西本町一丁目、貞心尼の「不求庵」標柱のある所。明治以前この「真光寺」の境内では夜市が立ったのだそうだ。


 其壱に「挿絵は土地の画家が引き写したものとは思われない」と書いたが、「今は昔柏崎市十八題」には以下の記述がある。
「当時の画風として、これ以上写生に近づくことはできなかったであらうが、親しく現場に臨んで、実景を見ての画であることは、山の形とか、隅々昔のままで残っている建物とかに対照して見ると出たらめに書いたのでないことが察しらる」
 昭和二十四年頃の景色はこの絵に近かったようだ。

(陸)


柏崎のことわざ

2006年01月16日 | 言葉
『柏崎市史資料集 民俗編』に、「文化伝承・ことわざ」という項目があった。かなりの数が収集されていて、多くは地域の差無く言われていることだが、中に地名の織り込まれているものや、地域性の見えるものがあったので、拾い出してみた。( )内は当該文内の解説。
 殆ど意味の分らないものもあるし、なるほどと思えるようなものもある。
 意味についてご存知の方は、ご指導願いたい。



・善根七村鍋かけず
・青物は新町で買い、魚は四ツ家で買い(安く物が買える場所)
・カマドの口は八石山に向けよ
  風向きが逆のような気がするが。
・二度と効かぬ泉福寺の目薬
・イルカの番神参り
  今は「いるかウオッチ」などやってますが、昔から春鰯を追ってイルカが来ることは知られていたんだ。
・鉈で頭するか、豊田屋へ行くか(厳しい奉公 だそうです。)
  頭を割られるのと比べられるくらいだから、よほど厳しい。豊田屋は不明。
・七が盒蓋(がんふた)こわすよだ
・七が鉄砲打ちばなし
・七の鉄砲無鉄砲
  「七」という「与太郎」のような人が居たんだろうか。
・ハツタケ山火事、剣野のニオ火事
  火事が出やすい季節と場所ということか。
・話しや納屋町、火事は四ツ家へ
  風向きからすると火事が四ツ家に向うのはよく分かるが。
・河内の祭は雨祭、鯨波の祭は天気祭
・鯨波の祭は雨祭、河内の祭は天気祭り
  場所が変われば正反対に言うね。
・久米の親父の尻まくり
・春日のしゃぎりで雪つかい
・娑婆はやかましい、平井でも行こう
・藤井中田へじょらじょらと
  平井藤井あたりはいい場所だったんだろうか。安藤出雲守領地の時には騒動があったんだが。藤ノウテをじょらじょらと歩くのか。
・半田半五右衛門新道の弥十郎
・高町からもらった猫のようだ
・椎谷の市でうますぎる
  春日の馬市の向こう側だから?
・椎谷の観音さんのようで沢山の人
・矢田下戸八合
  矢田の人間は飲兵衛ってことか。
・矢田の焼餅
・吉井の米の飯に芋煮物
・曽地の惣太か花田の花蔵、悪田の仁まだか春日のあんばい
・曽地の反り歯か花田の鼻糞吉井の夜ン糞
・ハゲの横山稲妻光り、ここで光れば江戸まで光る、江戸の若い衆は提灯いらぬ
  このへん良い調子だけど、意味不明。
・河内の昼間なかのようだ(いい月夜)
  確かに河内は谷間で、日の射す時間が少ないが。
・赤めしに豆腐汁
  母親もよく言っていて、田植えの手伝いなんぞの時に出すご馳走で「赤の飯に豆腐汁(あかのまんまにとうふじり)」と。
・雪道と鯨汁は後ほどよい
・雪隠と鯨汁はあとほどよい
  この辺分るね。


 以下はあまり耳に馴染みが無い諺。

・いたち眉目(みめ)よし猫の眉目は杓子(反対のことを言う)
・餌の銭かぶり(下宿の漁師は餌の銭まで負担してしまう)
・鋳物師話してタタラにかけられた
  体よく丸め込まれたという意味だろうか。
・網の目にも風
・運は天にあり、ボタ餅は棚にあり
  なるほど。でもあまり聞いたことが無い。
・空茶は米搗きよりこわい
・赤子の指から乳が出る
・鮭の腹みがいたようだ(腹にはなんにも無いこと)
・キスの腹みがいたようだ
・飴で餅食うか、おばさと寝るか(都合の良いこと らしい)
  子どもをあやすときに使ったんだろうか。
・仇や愚かでない
  「加藤のばばさん」の伝えにも出てきますが、一般には「仇やおろそか」にできない、というふうに言われますが。


 昔話は、夜、寝しなに語るもの。さらに正月明けに解禁されるものだそうで。

・昼なかムカシ語ると鼠が小便ひっかける
・正月語りでないと鼠が小便ひっかける

人相書

2005年11月09日 | 言葉
慶應四年の『郷会所 人足審判中誤用留』を眺めていたら、人相書きが出ていた。
近頃の時代劇では人相書きは半紙に線画の似顔が出てくるがどうなのかね。
人の特徴というものをどう考えていたのか面白かったのでここに写してみる。
間違っても私がその子孫だという人は居るまいけど、この男何だか哀れなので名前は判らないようにする。

青盛新町無宿
 入墨
   福太郎事
    小●郎

小●郎人相書
一 年齢二十五歳
一 片髪片眉剃落
一 顔長き方色白き方
一 目常体
一 耳同断
一 鼻同断
一 口小さき方
一 丈高き方
一 言葉奥州言葉交り
一 髭少々有之
其節之衣類紺浅黄継し袷同鳴海絞三尺を〆居ル

で、何で手配されたかというと

右之者共盗いたし候依科死罪可申付処此度御即位被為済候に付格別之御詮議を以当所宿場人足申付置候処去十七日逃去候ニ付人相書左之通

 一 片髪片眉剃落 って罰か、受刑者の印でしょうか。ほっかむりしても目だってしょうがないと思うんだが。
盗みで死罪って、無宿人故か。入墨者で仲間の人相書きが上がっているから、徒党を組んで荒っぽいことでもしていたのか。
恩赦があったのだからおとなしくしていればいいのにと思うんだが、無宿人の性か。この節は新政府ができたばかりの騒然とした時期、どうでもなると踏んだのか。奥州訛りは子供時分の名残で、郷の方へでも廻ったかと考えた次第。

柏崎の訛語

2005年11月02日 | 言葉
関申子次郎『刈羽郡案内 全』を眺めていたら柏崎の方言が載っていた。いささか懐かしくなったので、揚げておく。
越後人の訛りはなんといっても「い・え」の混乱だろう。小学生時分時分「衣桁」の漢字を辞書で調べて途方にくれたことがある。家中の者が「えこう」であると信じて疑わなかったからだ。

※文字使いなどが今といささか異なっているものもあるが、そのままとした。まだまだ「鵜川流域の部」「鯖石川流域の部」「渋海川の部」とし大量に掲載されているのだが、とりあえずここまで。



 ◎方言訛語の部
いヲえと誤る例えばさむえ(寒い)えと(糸)えん(犬)
いヲよ  よはひ(祝ひ)
ろヲど  どーそく(蝋燭)
はヲあ  くあ(桑)
はヲや  へぐ(剥ぐ)
はヲや  きや(際)
にヲの  のじ(虹)
にヲね  のじ(虹)
とヲど  どんぼ(蜻蛉)
どヲろ  かろんぼ(かとんぼ)
ちヲつ  うつわ(団扇)つまき(粽)つつ(槌)
りヲる  とる(鳥)てんまる(手毬)つるがね(鐘)
りヲじ  じこう(利口)じっぱ(立派)
ぬヲに  こにか(小糠)
ぬヲの  のの(布)のし(主)のる(塗る)
ぬヲら  くちびら(唇)
るヲろ  きせろ(煙管)ろす(留守)うろし(漆)
をヲご  あごい(青い)はごる(羽織)
わヲば  ちゃばん(茶碗)
わヲや  せや(世話)いやし(鰯)にやとり(鶏)
だヲら  かんらんけい(寒暖計)けらもの(獣)
たヲだ  はだく(はたく)はだらく(働く)
たヲな  いなだく(頂く)
れヲる  くるた(呉れた)うるしい(嬉しい)
そヲす  かみすり(剃刀)あすぶ(遊ぶ)
そヲしゆ みしゆ(味噌)
つヲち  ちべたい(冷い)ちち(土)
ねヲな  やない(屋根)
らヲだ  だんぷ(らんぷ)かだら(体)
らヲな  あなれ(霰)
むヲみ  ごみしん(御無心)みしろ(莚)
むヲの  のかで(百足)
むヲぶ  ねぶる(眠る)さぶい(寒い)
むヲも  もり(無利)もこ(婿)もち(鞭)
むヲみ  みし(虫)みかし(昔)みぎ(麦)
うヲよ  よごく(動く)
うヲん  んま(馬)んめ(梅)
うヲお  おごかす(動す)おさぎ(兎)おしろ(後ろ)
ゐヲや  しばや(芝居)
ゐヲえ  とりえ(鳥居)えど(井)
おヲう  うよぐ(泳ぐ)
ぐヲご  てんご(天狗)あまご(雨具)
くヲこ  ひこい(低い)
まヲめ  うめい(うまい)
げヲぎ  とぎ(とげ)
ふヲひ  ひね(船)ひろしき(風呂敷(
えヲよ  ふよ(笛)
でヲれ  なれ(なで)
でヲぜ  たぜ(蓼)のかぜ(百足)
あヲは  はしだ(足駄)
ぎヲじゃ じゃしき(座敷)
きヲち  ちんちゃく(巾着)
ゆヲよ  よき(雪)
ゆヲえ  えき(雪)えだれ(涎)えび(指)えく(行く)
めヲべ  つべたい(冷い)
みヲん  かんなり(雷)かんすり(剃刀)
みヲに  にがく(磨く)
みヲめ  めめず(蚯蚓)めいない(見いない)
みヲび  きびがよい(気味がよい)
しヲす  すずか(静)
じヲり  りんりき(人力)
ひヲほ  ほろう(拾ふ)
ひヲへ  へざ(膝)へぼ又へも(紐)へる(蛭)
びヲむ  さむし(さびし)
ひヲし  しと(人)
ひヲふ  ふと(人)ふとつ(一つ)ふたい(額)
もヲむ  むらひもの(貰ひもの)
すヲし  しし(すし)
すヲそ  くそり(薬)そそ(裾)
すヲせ  せんせい(泉水)
此外語頭語尾に、んだ、んだすけ、がん、けら、てば、おやつか、おいたがんだ、のし、あのそー等の語は郡内多数の人の用ゆる所なり。





 近頃方言で遊ぶ番組もあって、それを見ながら「柏崎は余り方言はないわよね」などと女房がのたまわった。なに、己の顔は己で見えないだけではないか。
 弟の嫁さんが始めてうちに来た頃、弟と私の会話は判らないと言っていた。私たち兄弟は敢えて柏崎弁を楽しんでいるのである。明治生まれの祖父祖母に仕込まれたおかげだと感謝している。
 九州と東北に友人が多いのだが、彼の地に行くと同じ日本とは思えないことが多い。
 青森の友人に会いに行くとき、秋田市内で少し遊んで、国道に出られなくなりSSで道を尋ねたことがある。その頃の私と大して年は違わない二十歳代の店員だった。言葉に関しては耳が良いと思っていた私の自身はものの見事に崩れ去った。話の半分がわからなかったのだ。山形では会話ができていたのに!
 青森ではもっと深刻だった。友人が友人同士で話し始めると、その会話の殆ど全部が理解できないのだ。野辺地の彼女と結婚した友人が、嫁さんの実家で一週間外国旅行の気分を味わったというのが理解できた。
 日本の端っこで道を聞く愚を、これ以降冒していない。九州でも四国でも道路地図をたよりにしたのだ。今ならカーナビでもあろうが、二十余年以前のことである。

 標準語の必要性は軍隊の指揮命令のためだと聞いたことがあるが、当然だろう。
 日本固有の偽漢文が公文書書式になった事は大変なことなのだろう。文書がどの時代どの地域で書かれたものでも、今の今まで(私など何とかだが)読めるのである。この辺りの教育をもっとやるべきだろう。

(陸)