柏崎百景

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この遊びをご存知か?

2006年03月29日 | 風俗
 「いっけんにけん」という遊びをご存知だろうか。たぶん距離の単位「間」を使って「一間二間」と称したのだと思う。
 私は昭和三十年代生まれで、柏崎市の比角小学校へ通ったのだが、比角小学校ではごく普通の屋外での遊びだった。誰から教えてもらったのか、もはや記憶には無い。中学生になってする遊びではないので、小学生時分きりで遊ばなくなったが。
 この遊びは柏崎の中でも、比角地区だけのローカルな遊びだったのか、それとも全国には類例があるのか。熱心に聴きまわったわけではないが、他の地域で似たような遊びをしたという話を聞かない。
 誰かご存じないか?

いっけんにけん【遊び方】
(文字だけでは分りにくいので、気が向いたらそのうち絵をつける)

0)はじめに
・場所は校庭、公園など地べた。
・各人石を拾って集合。石の選択も勝負どころになる。
・人数は何人でもよい。二組に分かれる(普通はじゃんけんで。じゃんけんの話は別の機会に)。
・地面に、組に分かれたメンバーがゆったり並べるくらいの巾の線を引く。
・その線から五歩離れた場所にもう一本の線を引く。五歩といってもこの線の間隔が勝負の面白さを決めるので、程ほどに距離を置く。助走をつけて三段跳びの要領で計るが、メンバーを見て加減はする。
・線のどちらかを陣地とするかと、先攻後攻を決める。

1)先ず「いっけん」
・メンバー各人、線の外に立ち、「一歩分」で跳べる所に石を投げる。
・その石をめがけて各人跳ぶ。助走をつけてもよいが、石の近くに足を着かなければならない。石と両足(靴)が同時に指で触れられなければアウト(両手を尺取の要領で足と石に置ければよい)。着地で体制が崩れ、足の裏以外が地面についてもアウト。
・アウトになった子は向こう側の敵陣で待つ。
・セーフの子はさらに、石を線の向こう側に投げる。
・「四歩分」で線に近付く。このときは助走をつけられない。
・線の向こう側の石を拾う。この時手のひら以外を地面に付けられない。
・石が拾えたら、線の向こう側へ「一はね」で跳ぶ。この時も助走はなし。線を踏んだらアウト。
・セーフなら、線の間を「五歩」で自陣に帰る。これで上り。
・アウトになった子は、自陣に帰れた子が、代わりに「いっけん」で救う事ができる。
・救う子は必ず手を繋いで、「五歩」で自陣に帰らなければならない。
・全員セーフなら。「いっけん」終了。
・全員アウトなら攻守が変わる。

2)次いで「にけん」
・同じ要領で「二歩」で跳べる所に石を投げる。
・残りの敵陣までの間は「三歩」で行く。以下同じ。
・同様にして「さんけん」「よんけん」と繰り返す。

3)自軍全員が「ごけん」を上がれば勝ち
 なのだが、最後の「ごけん」の記憶が曖昧だ……。石を線の向こう側に投げておいて、五歩で飛べさえすればよかったのか、「よんけん」で勝負が終わったのか……。

 ともあれ、石の選択が勝負どころで、投げた時、滑りやすく止まりやすい。指で尺取タッチがしやすい大きさということになる。私はもっぱら瓦の破片を使っていたが、中には瓦一枚を秘密の場所に隠し置く猛者も居た。
 それにしても昔の校庭には、まこと石だの瓦の破片だのが落ちて(?)いた。今のグラウンドからは考えられない。春先になると、冬の暖房に使った(教務室や校長室だけコークス、教室は石炭)コークス殻をぬかるんだ所に撒き入れていた頃だ。我が校は裸足を推奨していたから、皮が厚くなるまでの間それは痛かった……。
 私らの世代、遊びはもっぱら男女別れてやっていたので、女の子と手をつなぐなどという事はまったく無かったのが少し残念。

(陸)