柏崎百景

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「獺祭」もしくは「驢馬の本棚」。

綾子舞街道通信 風土市

2006年10月17日 | 綾子舞街道通信


綾子舞街道観光まちづくり会議
綾子舞街道 風土市
綾子舞街道(国道353号線)沿いで開催


 私たちは「風土」とは自然と人、歴史と人、人と人の関係が安定している地域にあると考えています。言い方を変えれば地域の生き方、暮らし方であり、まさに「地域文化」そのものであります。この地域文化を内外にしめす取組として「風土市」を計画しました。
 今回は、綾子舞街道沿いの個人所有の庭園もご覧いただけます。地域の魅力を体感してください。〔龍雲時庭園(黒滝)、隅田邸庭園、秋幸苑(飯塚邸 有料)、野沢邸庭園、静雅園(綾子舞会館隣)  掲載写真は秋幸苑〕

会  期:10月22日(日)
時  間:午前10時~午後3時
会  場
    ●新道即売所
 柏崎市新道 飯塚邸駐車場
     ・新道柿組合がもぎたて柿を販売
     ・綾子米関連グッズ販売
     ・飯塚邸にてとん汁無料サービス
     
    ●別俣即売所
 柏崎市久米 別俣コミュニティセンター
     ・ぬか釜で炊いた新米コシヒカリを販売
     ・有志農家による朝取り野菜の販売
     ・お汁粉、漬物、ポン菓子の販売
     
    ●鵜川即売所
 柏崎市女谷 綾子舞会館
     ・有志農家による朝取り野菜の販売・味噌の量り売り
     ・みそ漬、米、きのこの販売 ※そば打ち体験(有料)

問合せ:飯塚邸 0257-20-7120  柏崎市観光交流課 0257-21-2334



※『綾子舞街道通信』の企画・製作は海津印刷によるものです。毎月20日発行 発行部数7500 お問合せはTEL 0257-22-3979(海津印刷)まで


 このところイベント告知が続いてしまっている。このまま終らせるのも芸がないので、関連のお話を。
 庭園解放に名の挙がっている黒滝の龍雲時。この辺り一体を上条口と呼んでいて、上条氏の居城としては、上条にある城跡をいうのが一般的だが、時代がさかのぼって室町から戦国時代までは、山城を居館としていたと言われている。その黒滝城があったのが、龍雲寺の後背の山だ。
 龍雲寺の並びの小公園から、城址へ登る道もついているが、今は秋草が生茂っているかもしれない。また、辺りに巡礼塔もあるが、よく見分していないので詳しい事は記せない。
 この城山にこんな伝説が残っていた。城があった頃より、時代が下ったころの伝説だろうと思う。採取された年月は不明だが昭和47年『柏崎市伝説集』として柏崎市教育委員会から出されている本にあった。
 ちなみにこの山の2キロメートルほど北の方が、昭和天皇が巡幸の際散歩なされた場所である。

 黒滝の縁切り坂

 黒滝の竜雲寺の裏山、火葬場の西の山上に登る坂の名を「縁切り坂」といい、急な坂である。ある村からここに縁付いてきた女がある。ある日、山上にある薪(たきぎ)を家まで運ぼうと夫と一緒にこの坂にかかったが大変急なので、ひとりで登ることが出来ないので夫の手をかりてやっと山上にたどりついたが、薪を背負って今度は降りることができず、回り道をしてようやく家へ帰ることができた。
 此事を生まれた家へ帰って両親に告げたところ、両親はかわいそうに思って離縁を申し込んだという。
 この土地に縁付いたもので一度この坂を通り、縁切りを願わない者はなかったということで「縁切り坂」と名づけたという。
 この坂を越えたところに田、畑もあるのでこの土地の人々はこのさかの上り下りはやむを得ないことであったという。


(陸)


綾子舞街道通信 31号より

2006年08月31日 | 綾子舞街道通信
国道353号線 沿線物語
重要無形民俗文化財の国指定30周年記念

「綾子舞現地公開」


   平成18年9月10日(日曜日)
    12:40~13:00 来賓挨拶・フォトコンテスト表彰式
    13:00~15:30 綾子舞公開

     演 目

    0.三番叟(さんばそう)     下野
    1.小原木踊(おはらぎおどり)  下野
    2.常陸踊(ひたちおどり)    高原田
    3.肴さい舞(さかなさしまい)  高原田
    4.海老すくい(えびすくい)   下野
    5.常陸踊(ひたちおどり)    下野
    6.掏 模(す り)       高原田
    7.海老すくい(えびすくい)   高原田
    8.因幡踊(いなばおどり)    高原田
    9.亀の舞(かめのまい)     下野
   10.堺 踊(さかいおどり)    下野
   11.猩々舞(しょうじょうまい)  高原田
   12.小切子踊(こきりこおどり)  高原田

 伝承500年余の綾子舞が重要無形民俗文化財として国の指定を受けたのが1976年(昭和51年)、今年は30周年を迎える。昨年は雨で旧鵜川小学校体育館が会場となったため、関係者は今年の晴天を願っている。
 来るまでこられる方は早めの来場がポイント。付近の道路が駐車場となるので係員の指示に従って駐車を。底から会場までは徒歩となるが、周りの景色を楽しみながら歩けば距離も気にならないはず。
 ステージには屋根があるので小雨でも決行される。雨具の準備はお忘れなく。晴れれば座っての観覧となるので、小さなザブトンが重宝する。
 会場の周囲にはテントが張られ、鵜川振興会が地元の農産物や食べ物を販売するのをはじめ、JA・高柳町・市内の店舗などが参加する予定になっている。早めに来場して地元を味わえば、現地公開の楽しさは倍になるだろう。


毎年恒例のワイン・ステーキ祭りを開催
「柏崎ぶどう村」

 国道252号線から柏崎ぶどう村へ向い峠を登りきると、眼下に酔い他の集落を見下ろせる場所がある。市内で一番の標高地点にあるぶどう村からは、南側正面に黒姫山、右に米山、左に八石山と故郷の山々が一望できる。
 園内は作業風景などを自由に見学でき、ワイナリーでは瓶詰め作業の外ワインの試飲やお土産の販売、併設のカフェテラスではワイン・ぶどうジュース、ケーキ、コーヒーが楽しめる。
 恒例のワインステーキ祭は今年で7回目を迎える。毎年多くの観客が送迎バスでやって来て、美味しいワインとステーキを楽しんでいる。外にもいくつかイベントが用意されていて、一日たっぷりと柏崎の味と景色を楽しむ事が出来る。
 さらに今年は当日の他に、前日の16日(土曜日)と祝日の18日(月曜日)にもイベントがあり、賑やかな三日間となりそうだ。
  第7回ワイン・ステーキ祭り 平成18年9月17日(日曜日)午前9時より
  チケット前売り 1,500円(当日2,000円)
  内 用 ステーキ、スープ、ワイン又はジュース
  ※お問合せなどは柏崎ぶどう村(TEL 29 - 2409)まで

 ◎ミニ情報
ワイン・ステーキ祭りには柏崎駅からシャトルバスのご利用が便利です。発車時間など詳細については柏崎ぶどう村までお問合せください。

※『綾子舞街道通信』の企画・製作は海津印刷によるものです。毎月20日発行 発行部数7500 お問合せはTEL 0257-22-3979(海津印刷)まで


 綾子舞の演目の次に書かれているのは集落名。かつては集落ごとに座が組まれ、農閑期に興行していたという。現在は下野集落、高原田集落の二座で伝承されている。衣装、振り付け、伴奏、演目等違いがある。

(陸)


綾子舞街道通信 29号より

2006年06月26日 | 綾子舞街道通信
国道353号線 沿線物語
鵜川の名水「冶三郎の清水」


 鵜川に美味しい清水がある。時によっては行列ができるほどの人気がある冶三郎の清水。現在、管理しているのは半田在住の堤正男さん。「子供の頃は田んぼの土手から出ていて、当時は生活水としてはもちろん鯉の養殖や近所の豆腐屋さんなどで使われていました」その後道路が通ることになり、周りと高さをあわせるため田んぼを掘り下げてみると「田んぼの真ん中から清水は湧き出ていまして、そこにパイプを差し込んで道の横に出したんです」その後道路の幅が広がり、冶三郎の清水は現在の位置になった。
 いつから湧き出ていたか確かな史料はないのだが、戦後、鵜川中学校の校長先生が附近の土手から縄文時代の矢じりや土器の破片を見つけたことがあり、いにしえの時代から生活しやすい土地であったことだけは確かなようである。かつて3,000人を越える人々が生活していた鵜川だが、車社会が浸透するにつれ次第に町へ出る人が増えていった。
 堤さんは昭和53年に鵜川を離れたが、屋号が付いた「冶三郎の清水」は呼び方が変わることなく現在もまだ湧き出ている。



 堤さん自身普段鵜川に住んでいないだけに、草刈やゴミ拾いなどの管理は休日を使って行い、地区の方々にも協力してもらっている。「清水を汲んでもらうのはかまわないんですが、人が増えるにつれマナーが悪くなってきて、周辺にごみを捨てていくことがおおいんです」
 最低限のマナーは守って、いつまでも美味しい清水を味わいたいと願わずにはいられない。



※『綾子舞街道通信』の企画・製作は海津印刷によるものです。毎月20日発行 発行部数7500 お問合せはTEL 0257-22-3979(海津印刷)まで


 休日は水を汲む人の行列ができるので、平日がよろしいかと。
 国道353号線は、女谷集落を過ぎると左に曲がって山間に入るが、曲がらずに真っ直ぐ行き、橋を渡った左側。大切にしていただきたい。

 峠を越える手前の野田地区の奥、田屋地区に友人宅がある──といっても、老親のみが住んでいるのだが。この附近も水道は引かれているが、湧き水、井戸水を使い続けている家が多い。この水が又旨いのだ。この集落を抜けて山間を行くと、その裏は柏崎水道水の源泉谷根地区に当るから当然だろう。
 柏崎は水道水から旨いのが自慢のひとつだ。

(陸)


綾子舞街道通信 27号より

2006年04月21日 | 綾子舞街道通信
国道353号線 沿線物語
「谷川新田の千本桜」「と「谷川新田美伝の会」

 国道353号線野田交差点から鵜川方面に走ると千本桜の看板がある。国道から細い道に入り黒姫山登山道に続く林道入口があり、林道に入って数分で谷川新田の千本桜に到着する。この千本桜を管理・運営しているのが谷川新田美伝の会だ。
 同会は、桜の植樹や愛護、桜名所の保全などを行っている財団法人日本さくらの会に加入している。河野洋平氏が会長を務める日本さくらの会は、桜を通じた国際交流・文化交流を実施し、日本文化の広報をする役割も担っている。参月29日には第41回さくら祭り中央大会が東京で開かれ、谷川新田美伝の会から事務局長の堀井正孝氏ご夫妻が出席した。日本さくらの会は2年に1度日本さくらの女王を選出しているが、第6回女王に市内出身の新澤真美さんが選ばれている。



昨年も残雪が残る中、斜面一帯に八重桜が咲き誇っていた


 毎年、谷川新田美伝の会ではお花見をゴールデンウィークに開いているが、大雪だった今年は開催日が遅くなりそうで、楽しみにしている方はきになるところだ。谷川新田は眺望が素晴らしくはるか日本海までも見ることができる。お天気の日にはさくらと景色を楽しみに出かけてみてはいかがだろうか。

・千本桜の管理ボランティアにモンゴルからの留学生も参加している関係から、昨年の五月にはモンゴルの放送局が取材に来た。

お花見会などの問合せ先
谷川新田美伝の会 事務局
八幡開発 TEL 0257-22-3357


新潟・柏崎清水谷「谷川新田の千本桜」の桜の今!

※『綾子舞街道通信』の企画・製作は海津印刷によるものです。毎月20日発行 発行部数7500 お問合せはTEL 0257-22-3979(海津印刷)まで

綾子舞街道通信 26号より

2006年04月10日 | 綾子舞街道通信
国道353号線 沿線物語
「別俣コミュニティセンター」

柏崎市街地から南へ13km、久米(くんめ)・水上(みずかみ)・細越(ほそごえ)の農山村3集落を総称したのが別俣地区。ご他聞に漏れず過疎化・高齢化は地区にとっても深刻な問題となっているが、子ども・父母・祖父母の三世代が協力しあって地区の盛り上げに関わっている。

田植え


別俣地区を代表する事業として「田んぼの学校」があげられる。これは大人達が先生となり地区の子ども達はもちろん、他の地区からも参加者を募り、柏崎市内や東京の子ども達との交流が行われている。春は田植えやひまわりの種まき、夏には蛍鑑賞や稲虫送りの行事、秋には収穫祭、冬はスノーフェスティバルなど一年を通して田舎ならではの体験プログラムとなっている。昨年11月、この活動が評価され「新潟県農村振興アメニティコンクール」で最優秀賞を受賞した。

スノーフェスティバル


もう一つ地味だが中身の濃い活動がある。それは赤ちゃんから高校生までが会員の別俣子供会だ。子どもが少ない中で会員確保の意味もあるのだろうが、親同士も含め顔を見れば何処の家の親と子どもか分ることは現在の社会情勢では大きな意味を持っている。
2年続の大雪で春の到来が待ち遠しいが、コミュニティ計画の策定など阿多嵐云ふ誤記が計画され、年代を超えた地域の繋がりがますます強くなりそうだ。

※詳細については別俣コミュニティセンター(TEL 29-2403)までお問合せください。

綾子舞街道通信 第6号より

2005年10月28日 | 綾子舞街道通信
国道353号線 沿線物語

鵜川源流行
宿平(しゅくだいら)・螺掛(かいかけ)の滝


 鵜川地区と、現上越市との境に兜巾山(ときんざん)(標高676.2m)の頂はある。この山は鵜川地区の修験道の地としての伝承があり、尾神嶽との谷間を流れる荒俣川に沿って螺掛の滝、不動院、笈蔵、宿平などの地名が残されている。
 伝承によれば、称徳天皇の神護年中丹波国弓削道鏡が回ってきた際、この滝で頭巾を岩場に掛け、法螺貝を吹き、行をして、近隣の明生山に住む古狸を退治したことから、螺掛の滝の名が付いたといわれている。
 宿平はその昔、米山三里が非常に険しく人が通れず、兜巾山を抜けての街道があったといい、人が住んでいたといわれている。一説にこの地は寺院が軒を連ね、比叡山に匹敵する伽藍があったともいわれている。
 これをいくばくか裏付ける事例に、明治の中頃、鵜川地区上野の某の妻が荒俣川を渡るうち、わらじの間に小石が挟まったと思い、よくみると小仏像が挟まっていたというものがあり、このしばらく後にも高原田の某も同様の発見をし、両仏像共に両家に今でも祀られているという。
 この伝承の地、宿平・螺掛の滝、そして鵜川の源流のひとつを検証しようと、田屋のT先生先導で、博物館のW氏、K氏、そしておまけの私とSさんの5人で、五月末の日曜日に出かけた(知識体力兼備の山男二人と、頭脳派二人、口先優先の私の組み合わせ)。

 阿相島から桜坂を通って尾神嶽への林道を上り登山口へ。この辺りが宿平。路傍のグミの木は街道の要点の名残だろうとT先生。
 近年まで水田が作られていたことや入会地として機能しているのだろう、道はそれほど荒れていない。じきに沢に降り着く。
 沢沿いには水田の跡や、不動院という地名をなるほどと思わせるような石組みが残っている。螺掛の滝と思しき地点には難なく到着できた。サワグルミの木陰で休憩中、梢の上に動物の巣らしきものを発見。駆け下りる小動物の姿を目の端にするが特定できず。日本にも定着したハクビシンかと話は落ち着く。秋にこの地で小宴をと話し上流へ再出発。



▲沢沿いを行く一行



▲螺掛の滝と思しき所

 沢を右に左に、雪渓を渡る事幾度か、沢沿いの道らしきものは途絶え、雪の重みで伏した状態になっている細いブナの藪をくぐり、ブナの枯葉が厚く積もった峰を、気息奄々よじ登ってようやく頂付近、鵜川の源流のひとつにたどり着く。



▲鵜川源流の一つ

 源流は雪解けそのままかの水温で清冷甘露! 峰は一面ブナの林で眠気を誘うほど快適。途中いくつか見られた炭焼き窯の後がここにも見られ、T先生指摘のとおりなるほどブナの木も皆細い。ここから炭を担ぎ出した先人の偉さに、噛みしめる現地調達したウドの味もいや増してほろ苦い。
 下りは余裕も出て、手がかりに掴むオオバクロモジの匂いや、目にアンニンゴ、アズキナシの花、耳にホトトギスなどの声も楽しめた。

 帰路のついでにと、冶三郎の水も汲んで帰ったが、苦労の分だけ源流の水のほうが旨い……という贔屓してもいいでしょう?

(陸) 



 ※『綾子舞街道通信6月号』より転載