諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

謹賀新年 平成22年最初の戯言

2010-01-01 16:02:42 | 日記・エッセイ・コラム

 「一年の計は、簡単に 」 さる書物にありました。言いえて妙です。計画を立ててもすぐに挫折する。かといってまるで無計画というのも頂けません。差し障りのないとこで、【家内安全 無病息災 交通安全 】 を心がけます。▼ 先ほど歩いて3分の所にある「若宮稲荷」へ詣でてきました。今年の「歳徳神の方位=恵方」は、この小さな「イナリ様」にあたります。さぞ御利益があることでしょう。

 冬枯れし野に水仙は凛と咲き 新たなる年 生動せしむ ー夢 蔡ー

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 本日も、国境の山なみは雲に覆われていて、やがて、強風が吹き荒れます。水仙は、新年の太陽の光を吸い込むように咲いておりました。土堤と枯れ草が風を防いでくれています。

 人影なき年の初めの園庭に 朝日差しこみ 真弓 朱と冴え ー夢 蔡ー

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  イサク沼公園の片隅にありました。ほとんどは、落ちたか、鳥が啄ばんだかで、ヤット細い一枝の先に〈赤い実〉が残っておりました。「マユミ=真弓」です。名前の由来は、この木を弓の材使ったことから、だそうです。初詣で、「破魔矢」だけ買っても、それだけでは用を成しません。【弓】は必要です。庭に植えておくのも手です。

  新年の寒垢離せしか白鷺は 悟りし者の立ち居てるさま ー夢 蔡ー

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 ※ 【=さとる】の解字 悟は、忄と吾から成り立つ。忄は心の形象。吾は、五と口から成り立つ。囗は、神へ祈る言葉を入れる器。五は、その器の蓋を意味して、大切に祝詞を守る。∴【悟】は、「神への祈りを心に込め、妄想を払い、純粋な精神を保つ」を意味します。」 (白川 静 「字統」より)

  白鷺は、じっと沼の堰堤に立って居ります。 「万物の秩序から引き出されて、不可解な渾沌のなかに転落している自分の姿を発見した」※注) 哲学者(ルソー)の立ちいる様ではありませんか。しかし、▼ 「( 私は悟ったのだ。)「わたしの外にあるものはすべて、これからは私とって無縁のものだ。」

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  「無念。無欲・・!オイ・・お前達!!聞いているのか。オレは、大切な話をしているんだぞ。」

  「イエ・・! 聞いておりません。私たちは、お腹がすいているんです。さっきからドジョウ一匹です。「白鷺は悲しからずや 沼の底つつきて獲物なきに餓えいる」(ー白鷺の♀ー) 貴方の言葉どうせどっかで聞きかじったもんでしょう!いい餌場探してきてよ。甲斐性なし!」 「“・・・・・ ”!?」

 冴えかえる冬満月は天心に 見上げる我の影は短し ー夢 蔡ー

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 元旦に満月が重なりました。夜半に中天にさしかかりました。「月に吠える」 満月は、万物の魂を高揚させるといいます。▼ 月は真上にあります。影は足元で短く、私は照らされております。まあ、【 影が薄い 】でないのを良しとします。

 ※注 「不可解な渾沌・・・」 これも、人間的の諸々関係によってもたらされた物です。「転落してしまった・・。」これは少々言いすぎ。「渾沌」に立ち向かう術が必要ではないでしょうか。世の中が、「不可解だ・・」からと言って、自然の風景の中で、仏頂面している姿は、特に、若い人たちには進められません。

 本年もよろしくお願い申し上げます。 寅年元旦