ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

震災を静かに物思いにふけりながら

2017-03-15 | 雑念
東北太平洋沖地震において

警報が鳴った後、学校に車で迎えに来た保護者と生徒は渋滞に巻き込まれ津波にのまれた。

生徒は生徒
保護者は保護者で
即座に(別々に)避難措置を取ればどちらも生き残った可能性があったという。

その事例に伴い、津波警報時の"お迎え"の禁止を決めた自治体もあるらしい。

この事は僕の胸に突き刺さり考えさせられた。

これは地震という出来事だけではなく、
日常のリスクとして存在するのではないかと。

モンスターペアレントやクレーム、炎上の日常茶飯を見ると、その過剰なアレルギー反応によるパニックリスク(こんな言葉はないかも)は増幅している。

その原因はやはり普段の不備による「無知」や「恐怖」、(あるいはそれは同意かもしれない)その両方が起因している。

学校に対しての不信やコミュニケーション不足もその原因なのかもしれない。

もしくはただの「暇つぶし」の他者叩きなのかもしれない。ストレス解消としての。

そう考えると、普段の準備やコミュニケーションなど非常時でない時の日常の大切さを改めて感じる。

"人間は忘却の生き物である"

忘れないと生きていけない悲しみも抱えながら、それでも歯を食いしばって生きている。

復讐や憎悪を抱えて生きていく人もいるが、あまりに悲しき人生は亡くなった人の弔いにはならない。

人生を豊かに幸せに生きる事が、亡くなった人たちへのお供え物になるのだと思う。

愉快にそして豊かに

心からそう思える人生を力一杯過ごしたい。

そのためには様々な経験をした人たちが共有できるその"何か"とは何なのだろうか?

研修と桜の季節

2017-03-15 | 雑念
研修に向けて本を読んでおります。

研修は事務方としての参加なので何処まで参加できるかわからないけど、礼儀として参加者が読んでおくべき本を読んでおりま。

耳が痛い。

ファシリテーターとしての「心の在り方」を問う内容でグループをコントロールしてしまうことのトラップに後悔することの多い自分には耳が痛い内容だ。

そしてこの時期にそういう内容の書籍に無理矢理でも出会うことに意味があるのだろう。

内容が内容なので一気読みもできない。

読んでは休憩して別のことをして、また少し目を通す。耳が痛い。花粉が鬱陶しい。また読む。

まだ前半戦だが研修の内容を想像する。
本が耳が痛いなら、研修は何処が痛いのだろう?と。

痛いの嫌いや!

でも少なくとも僕のファシリテーター人生の転機になる予感がする。考えさせられるのは間違いない。

参加者も増えていて知らない人ばかり。
"人見知り"スキル発動は避けられない。
でも大阪城近くで行われる。

夕方には終了する。
桜がドンピシャだから行きたい。
場の空気を読まず、ひとり公園に走るかもしれない。懇親会があるにもかかわらず。

兎に角どうなるのかわからないけど、本を読みながら少しずつ楽しみになってきている。

僕はファシリテーターとして成長する事はできるのだろうか。