ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。世界中の人がファシリテーターになればイイのに。

未来の新しい日本

2011-04-28 | 雑念
久しぶりに仕事の話でお電話した方。

話の流れで「お忙しいですか?」
と尋ねると、そうそうあのね・・・

その方は地元の祭りや色んな事のリーダー的な方で、少し鹿児島で出会う方々とは違うとても魅力的人物な人である。

話は陸前高田市に行って来た話。

しかもバスをチャーターして炊き出し200人規模を1時間以内に用意出来、
火や水や寝床、スタッフなどの自前準備を条件につけてきたとのこと。

現地に言わせるとボランティアは数多く、
どのメンバー?も地元の手助け無しには動けない中途半端なボランティアだと言われたのだ。

その避難所には700名が寝泊まりし、毎食を被災者が炊き出しを行っているそうだ。

その方はその完全自前準備の条件を全てクリアし、地元の手助け無しで数日の炊き出しをやり遂げてこられたそうだ。

電話越しだったので、
短い時間だったのだが「さすがです。」と頭が下がる尊敬の念と、気づいたら自分の行動の振り返りをしてしまっていた。

電話を切って少し考えた。

やっぱり私には現地に行って手伝いをするという選択肢は今回に関してはない。

ゴールデンウイークも時間と移動手段はあるものの、今回の地震と私の現地ボランティアへの行動力がマッチしない。

「それでいいのか?」ともうひとりの自分がいたり、

いちプロで「応援メッセージ」をやった自分の方が、現地で泥かきをする自分より好きなのである。

今回自分が現地にボランティアをしに行く事が自分のモヤモヤした気持ちを解消するためだけに行く事になるのではないか?と考えるからである。

確かに資金力があれば、
寄付や支援物資を送ることでもいいのだがそれも出来ない。

でも自分自身ができるコトを考え、
人に自信を持って説明できるコトを行動に移すべきだ。

世の中が節電が大切だと言うから節電する。

世の中が募金するコトが重要だと言うから募金する。

世の中が現地に行ってボランティアするコトが必要だと言うから現地入りする。

それでは「人生」を生きていない。

しかも「世の中がそうだから!」とか「人に凄いねと言ってもらえるから」とかの動機ってスゴく不純な理由だと思う。

だからこそ今回の震災に対する自分の考えからひとつの答えを出せた人は、自分の行動を褒めてあげてほしい。
キチンと自分で考えて、純粋に被災地への気持ちを届けようとして選択した行動を。

現地に乗り込んだから凄い、乗り込む勇気が足りないから未熟、と考えがちだが、全く違う。

真剣に考えて、純粋に自分ができるコトへの答えを出している人が素晴らしいのだ。

考えずに行動だ!と行って現地に乗り込んだ「押し売りボランティア」は被災者に迷惑がられているのだ。

なにがいいたいか?

日本列島が震災一色だ。

しかし俯いて全員が前に一列に行進していては全員で迷子になる。

上を向いて歩こう!
横を向いて歩こう!
キョロキョロする人!
歩いている人を見ながら歩く人!
お手玉しながら歩く人!
ムーンウォークする人!
手と足が一緒に出てる人!
立ち止まって全体の位置取りを確認する人!

前に進んで行く必要はあるんだけど、みんなが同じ方向、同じスタイル、同じ考え方で粛々と歩く必要はない。

それはどっかの国のマスゲームみたいになってしまう。

日本もかつてはそんな国だった。

しかし気付いた。
多様性と伝統の両立。
柔軟性と確固たる自信が日本人の新しいアイデンティティになっていくべきだ。

この震災をマスコミの描く復興ビジョンに合わせる必要はない。

若者が若者の感覚で新しい日本の在り方を創り出す時代へのキッカケになっていくべきだと考えるのである。

未来の新しい日本が好きだ。

そして今回の自分の行動は人生の中でも一番好きな自分だ。
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いい例えが出来ない時

2011-04-27 | 雑念
仕事。

年間事業計画がやっと出揃い模造紙に張り出された。ポストイットでイベントなどが視覚化。

とてもいい事だ。

しかし問題は事業の数ではない。

人材だ。

私は様々な企業や団体に所属し、
表面をなぞる様に自分のやりたい事のみを追求してきた。

そして1年程度で辞職。

辞職に対する抵抗感はない。

それが企業や団体にどれだけの損害を与えてきたかと考えることは皆無だった。

なぜなら団体は強者で、被雇用者は弱者だ!と考えてきたからだ。

しかし本当は・・・。

強者も弱者もなく、持ちつ持たれつ。

今の所属団体はとても新しい(?)組織体で、自分の行いたい事業もある程度実施可能になりつつある。

その矢先に職員が辞めた。
何のキッカケも兆候も無く。

比較的新米の私にはショックだったが、
団体としてなかなか人材が定着しないという悩みがあったみたいだ。

人間関係でもなさそうだし、
雇用条件も悪くないと思う。

でも何か問題があるのかなぁ?と漠然としか分からない。

問題解決も出来ない。

モチベーションは下がる。

私が団体を抜けてきた後の雰囲気ってこんな感じなのかな?と想像する。

申し訳ないなぁーと思ったり、
ざまぁみろ!と思ったり。

いざ、逃げられ側になると、
とっても複雑な感覚なのだ。

自分のことじゃないのに気持ちが悪い。

例えるなら家族が車上荒らしにあい、
貴重品を取られたような感じ。

例えるなら録画予約していた番組が、
野球の延長でズレ、観たかった番組がラスト15分観られなかった感じ。

例えるなら自分の名前を自信を持って、間違えられた様な感じ。

どれもいい例えじゃないね。
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舞台のシナリオ!

2011-04-23 | 雑念
小林賢太郎ポツネン「THE SPOT」
http://potsunen.net/

を観た。

彼は数年前からファンで、ラーメンズも大好きだ。

DVDを集めたりもして完全に陶酔していた。

でもなかなかライブとなると、
チケット代は6000円を下らず、
ある意味オトナの嗜み(たしなみ)的な別世界の出来事だった。

鹿児島に移り住み、文化的な事もなかなか届かない環境の中、演劇が観たい!舞台が観たい!LIVEを味わいたい!

という衝動からネットでラーメンズを調べていた。

すると数ヶ月後に小林賢太郎の一人舞台を発見する。

即、申し込み。抽選。当選。

コンビニでのチケット引き換えは初日。するとなんと!最前列!

本日の福岡ももちパレス大ホールにて(文化会館の相当古びた建物)1000人ビッシリ。

女性客7割強。最寄りの駅はひっそりした藤崎という駅からは想像できないくらいの満員御礼だった。ロビーでは関連グッズに長蛇の列。義援金箱投入にもそこそこ並んでいたりした。

福岡の底力と小林賢太郎の魅力を始まる前から感じ取っていた。

そしてオープニング。

観客全体が「やられた」

誰一人想像しうる事の無いオープニングのシチュエーションとオチ。

やられた!

もう「つかみ」につかまれて、
笑った。

そして感動した。

洗練された舞台設定とスタッフとの連携。

汚らしい椅子や壁が美術作品のようにも見えてくる。

素晴らしすぎる!

こんなに舞台を観て、面白くて感動できるものがあったのか!?と思った。

私は舞台を観て初めて「スタンディングオベーション」をした。

会場全員が立っていたと思う。

拍手が鳴りやまなかった。

余韻で福岡の街を歩くも、
余り記憶が無い。

小林賢太郎の芝居の事が次から次へと浮かんでは感動してループしていた。

最後には福岡最高!

みたいな気持ちになっていた。

この後、静岡公演だった。
京都や名古屋もまだこれからだ。

当日券狙いで観て欲しい。

そして感動の舞台の話をしたいもんだ。

私は今猛烈に舞台のシナリオを創作する意欲が出てきている。

書いてやる!書いてやるぞ!
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海開き

2011-04-18 | 雑念
さて、明日は突然。

海に入ります。

かつての海プログラム
「ポンパバイク」の自主研修なのだす。

新しいプログラムとして
今年度売り出すばぃ!

魅力は海の上を滑るあの感覚。
見た目の格好良さと珍しさ。

適度な難易度と常習性。

そんなことはさておき。

こんな時期に海に入るとは!
4月でっせ!

でも面白いのでやります。

風邪をこじらせないようにしまっす。

さすがに海開きはもっと後ですけど。
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いつまでも持ち続けていきたい気持ち

2011-04-15 | 雑念

やはりやるべきは自分が行ったことの振り返り

いちねんせいプロジェクトは私の中で多くの感動を与えてくれるライフワークになりつつある。

 

そして最近「その行動力はどこからくるの?」という問いをされたときに

はじめて震災直後の自分に自信がなかったことに気付き、

そして自信を持って行動していいんだと感じさせてくれた瞬間を思い出した。

 

そう私は「本当にこんなことをしていていいのか?」と本気で思っていたのだ。

今回に関しては顕著だ。

東日本の大震災は、大学の頃の阪神淡路大震災を関東の下宿先で身内が被災することを経験し、

直後、現地に乗り込みボランティア活動を春休みを費やした私からすると、正直「ひとごと」だった。

 

「何かしてあげたい」という気持ちもすごく漠然として、募金の1円もする気は起こらなかった。

しかしメディアの情報から「自粛ムード」をいち早く「イベント中止」を決断してしまっていた。

 

そうtwitterで100のアイデアから多くの人間が投票した

あのtwitter会議での壮絶なアンケートイベントを経て決定した

「チキチキ近畿道の駅108スタンプラリー7部作~奈良編~」

 

私は投票して下さったみなさんに謝罪し、独断で自粛。

ただ「しんどかった」

「こんなことをこの時期にして、自分だけ喜んで、評価もされず・・・やってられねぇ」

というのが正直な理由だった。

 

しかしとっても、もやもやした。

だれも文句も言わず、クレームもつけてこないが、

主催者側が勝手に自粛したわけで正直日程を開けてくれていた人間も多かったようだ。

 

そんな見えないプレッシャーも感じながら

持ち前の自分勝手さで「負の考え方」をも吹き飛ばした。

 

そして考えた。

じっと遠く鹿児島でふさぎこんでいてもだめだ。

ふとんをかぶって恐ろしい危険を回避できるはずがない

かくれんぼで隠れている人が鬼の位置を確認することがどれだけ安心するか!

 

私は東日本の震災に対して目を閉じて事をやり過ごすことが

自分としては許せなかった。

そんな弱い自分は嫌いだった。

 

だったら「東日本に向けて自分ができること」をイベントとして行動する必要がある

それがたとえ不器用で、支援にもならない行動だとしても

 

「正直に向き合ってみよう、自分なりに」

 

これが私が出した答えだった。

その答えを出すまでにも時間がかかっている。

その間、鹿児島の人は震災に対して無関心だ!と周りを批判したりもした。

自分自身何も動いていないくせに。

 

そんな自分がとっても嫌いになりつつあった。

しかしその答えに達した時に

どんな行動もじっとしているよりまし!

と思いはじめた。

 

私は鹿児島から仲間のいる兵庫県を車で目指す必要がある。

「みんなと合流する事」そのこと自体をイベントにする。

そんな単純なことで私の「旅心」をくすぐり

「行動している自分」に納得する様になっていた。

 

その長距離を移動する事で誰かが喜んでくれるのかもしれない。

そしてその道は「西日本の大半」を網羅するもので、

「西日本から東日本への応援メッセージ」というアイデアを思いついた。

 

そもそも知り合いといっても兵庫県にしかいないわけだが、

鹿児島に1年ちかく住み始めて、

趣旨を理解してくれる同僚もいる。

「いける」と確信し、

出発の朝には事務所の仕事中に顔を出して

「ちょっとメッセージ撮らせて!」と本来ならあり得ない行動にでた。

Youtubeにアップするから!っと軽くとんでもないことを頼んだ。

 

とまどいながら画面にメッセージをくれるメンバーにうれしく感じた。

そのときに東日本応援メッセージリレーは始まった。

 

そしてそのときはこんな多くの人々に波及していくことは考えていなかった。

その影響はツイキャスといわれるストリーミングサイトを利用したからだと思う。

 

はじめましてのネット上の人物が「なにしてるの?」とつぶやいてくる。

東日本へのメッセージを撮る為に鹿児島から大阪への旅をしています。

 

そんな会話を4日間で何回行ったことでしょう。

そしてツイッターでの「拡散」と呼ばれる自由連絡網?の機能

 

その広がりにもびっくり。

そもそも他人が「いいなあ」と感じなければ「拡散」もしてはくれないのだが・・・

 

はじめての人が「拡散」してくれたのだ。

顔も観た事ない人がだ。

 

あれよ、あれよと広がり、

応援メッセージ(iPhoneで撮影したもの)とは別のコメントという応援は西日本およびブラジル、アメリカなどにも

広がっていった。

 

もう西日本だけの応援メッセージと呼べないほどの広がりに、

「少し趣旨がぼけたかな?」と冷静に分析していたりもした。

 

とにかく予測不能な良質なスパイラルが私のまわりを取り囲み、

兵庫県に到達する頃にはピークを迎えた。

 

そして太陽の塔。

 

今回ゴールに設定した理由は、鹿児島の住居の近くにある「立神岩」をスタートに設定したから

「塔っぽい何か」をゴールにする必要がある。

 

それだけの理由だった。

 

しかしそれが「桜まつり」と重なり、太陽の塔のすごさを知り、

映像的にも美しいものとなり、感動のエンディングを撮影する事ができたのだ。

 

奇跡だった。

 

すべてがだいぶ昔に書かれた台本の様に美しく連鎖した。

 

ここまで書いて、冷静に「そんなに影響力あったのか?」と考える。

まあ少しの人々の頭に「こんな変な事をしていた人もいたよね」

くらいの記憶に残ったはずだ。

 

今、想う。

 

「行動してよかった」

 

その答えは今でも間違っているのかもしれない。

こんなことをして文句を言う人がいるかもしれない。

別に大した事やってるわけじゃないよ、と言う人がいるかもしれない。

 

でもそんなの関係ない。

「行動してよかった」と感じる事。

それは自分を信じてこその感覚。

 

そんな感覚を持ち続けていたい。いつまでも。

 

 

 

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