心の風景 認知的体験

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認知的体験
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傾聴とは

2010-02-26 | 健康・スポーツ心理学
●傾聴とは
「傾いて聴く」から傾聴。からだを相手の方に傾けるほど熱心に相手の言うことを聴くことを傾聴と言います。英語では、active listeningです。
カウンセリングは、カウンセラーと来談者とがもっぱら言葉を介してやりとりしながら、来談者の悩みの解決をはかります。したがって、カウンセラーの聴き方がきわめて大事になります。そこから傾聴という聴き方の技術が出てきました。

傾聴の主なねらいは、相手を全面的に受け入れて(受容)、その言い分、気持ちを確認し理解すること(共感的理解)です。
そして、いずれ相手が自然に自分の悩みや問題を自覚できるように助けることです。
それに加えて、あなたも経験があると思いますが、「話してすっきりした」となってもらえることもねらうものです。
もちろん、カウンセラーの側には、クラエイントの悩みや問題についての情報収集という職業的なねらいもありますが。

危ない危ない

2010-02-26 | 心の体験的日記
朝、楽しく熱中して仕事
一段落、さーお茶でも
そこで、はっと気がついた
2限目、追試
時計をみたら、10時35分
かろうじて間に合った
こういうときは、アラームを使うべきだった
いつもと違うスケジュール
ドタキャンの経験、これまで何度かある
一番まずかったのは、講演のすっぽかし

我家のスリッパ、どこへいった?

2010-02-26 | 心の体験的日記
もっぱら台所で使うスリッパが2足、4個ある
それが、ここ3日くらい、
1個しか見つからない
徹底して探しているわけではないが
それほど広くない我家でどうしたことか
そのうちの1個がゴミ袋の下から見つかったが
今度は、昨日はあった1個がどこかへ

まーいいか。つまらない生活ねたでした

●領域固有性、状況 行動型ロボット

2010-02-24 | 認知心理学
●領域固有性、状況 行動型ロボット
 見出しの3つの用語は、認知科学、認知心理学の成熟期1980年代のキーワードである。
 1970年代情報処理パラダイム全盛の中でも、人間の認知には、計算合理性ではとらえることのできない世界があることを示す研究が心理学者の側から散発的にではあるが、提出されるようになってきた。
 その一つは、思考の領域固有性である。論理的にはまったく同じ課題であっても、問題の表現を慣れ親しんだ日常的な場面に移すと正解できるようになる現象である。もっぱら、ウエイソンとジョンソンーレアード(Wason & Johnson-Laird 、1972)の4枚カード問題をめぐって一連の研究がおこなわれた。
 領域固有性は、その後、認知エキスパート研究においても広く検証されることになり、領域普遍な計算合理性を基本テーゼとしておこなわれてきた初期認知科学への強烈な一撃となった。
 1980年代になると、カーネマンとツバルスキー(Kahneman & Tversky1982)による社会的判断における固有のバイアス(ヒューリスティックス)の研究成果が公表されるようになると、この流れは勢いを増し、認知心理学の新たなパラダイムとして、状況的認知論を形成するまでになった。レイブとウエンガー( Lave &Wenger,1991)の認知エキスパートに関する仕事は、その集大成とも言えるものである。
 状況的認知論では、人間の認知を頭の外とのやりとりで捉え直す動きを作り出し、それは、必然的に、実験室的な認知から日常的な認知へと関心を向けさせることにもなった(たとえば、Neiser、 1982 )。
 人工知能も、こうした動きと呼応するかのごとく、ブルックス(B rooks、1986)が サブサンプション(包摂; subsumption)・アーキテクチャーと呼ばれる設計思想に基づいた行動型AIを開発した。センサーで駆動される複数のエージェント間の実行の優先順位に従って環境中を適応的に動き回る昆虫のようなロボットが開発されたのである。
 一方、1980年代中頃、もう一つの注目すべき動きが出てきた。それは、ラメルハートとマクレランド(Rumelhart and McClelland、1986)にはじまる並列分散処理(Parallel Distributed Proccessing)モデルである。さまざまな認知機能を脳の神経結合モデルとしてコンピュータ上で実現する、まったく新たな試みが爆発的に研究がおこなわれた


子ども手当ては3人目から

2010-02-24 | 心の体験的日記
生めよ増やせよの政策と財政との折り合いつけるには
なんとかせねばならない
女性の働きやすさを考えれば、
保育所整備だと思うが
これだと、票にはつながらないから
妥当なところが3人目以上ではないかなー

爪が割れる

2010-02-24 | 心の体験的日記
ちょっと爪がのびてくるとすぐに割れてしまう
寒くなるととくにひどい
こまめに爪を切るようにはしている
右手にはノック式のボールペンをもってキーをうっている
これだと指に負担がかからない
ただ、エラーが多くなる

「養護教諭にとってのコミュニケーション力」

2010-02-24 | わかりやすい表現
06/6/29海保博之
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20文字 120行(約5枚)2400文字
第1回「養護教諭にとってのコミュニケーション力」
●保健室で垣間見たこと
 ある小学校の保健室にお邪魔していた時のこと。2年生くらいの女の子がべそをかきながら部屋に入ってきた。話を中断して、先生、ゆっくりと子供の目線と同じになるまで腰を下ろし子供の肩に手を置いて、子供の話を聞きだした。
この原稿を書くに当たり、すぐにこの光景が頭に浮かんだ。ここには、コミュニケーション力を語る恰好の素材がいくつかあったからである。
 1つは、コミュニケーションのお膳立てである。子供と同じ目線まで腰を落としての対話に見られるように、相手を無条件に受け入れて話を聞くという姿勢をはっきりと相手に伝えるのに、これほど素晴らしいお膳立てはない。
2つは、語り方である。ゆったりと、子供が語り出すのを待つ。涙を拭くためのティッシュを渡し、子供から語りかけてくるのを待つ。「どうしたの?」「どこか痛いの?」と聞きたい気持ちを押さえての「待ちの対話」の姿勢は見事であった。

●コミュニケーションとは思いと気持ちの共有
コミュニケーションの本質は、自分と相手とがその場での思い(情報)と気持ちを共有することである。
そのための手段やお膳立ては、実にさまざまであるが、ねらいは、それにつきる。
「思いと気持ちの共有」。
たった3語だけからなるコミュニケーションねらいであるが、これを十全に実現するのは、それほど簡単ではない。だからこそ、たとえば、最近の企業が新入社員に要請する能力のトップに、これが挙げられるであろう。
養護教諭となれば、その仕事の範囲、多様さを考えると、それぞれの場でのコミュニケーションのこのねらいを達成するには、外から想像する以上の難しさがあると思う。それを克服する一助に本連載が役立てばと思う。

●コミュニケーションの5つの基本的な特徴
コミュニケーションを考えるための一枚の絵を作ってみた。この絵と、前述の保健室の先生と子供のコミュニケーションを例にとって、コミュニケーションの基本的な特徴を5つほど挙げておく。

******絵が入る


1)コミュニケーションは、情報の相互のやりとりである
絵にもあるように、情報の伝え手と受け手とがたえず入れ替わる。保健室に入ってきた時は、子供が情報の伝え手、先生が受け手であった。しかし、やがて、子供の思いや気持ちがわかりかけてきた時点で、先生が情報の伝え手、子供が受け手に変わる。普通の会話では、伝え手と受け手との交代頻度が著しく高くなる。
授業などでも、見かけは、先生からの一方的な情報の伝達のようであっても、受け手からのノンバーバルな情報は豊富に発信されている。それを見ない(見えない)教師は、子供とのコミュニケーションを断ってしまっていることになる。
2)コミュニケーションは単なる情報の伝達ではない
伝えたい情報は伝え手の外にも内にもある。「風邪がはやってきたのでうがいを忘れずに」(外)は誰が伝えても同じというのではまずい。そこにどれくらい強く子供を風邪から守りたい自分の気持ち(内)を込められるかが、単なる情報伝達になるか、真の効果的なコミュニケーションになるかの岐路になる。
3)コミュニケーション環境は多彩である
1対1,1対多、多対多のように、場合によっては異文化の人々が受け手といったように人的な形態も多彩である。使われるメディアも、文、絵、音声、ジェスチャーとある。表現手段も文書、プレゼン、メールと多彩である。保健室のような対面直接対話もあるし、電話などの遠隔間接対話もある。
これらの多彩なコミュニケーション環境をTPO(time,place,occasion)に応じて活用することが、コミュニケーション効果を上げることになる。保健室のような偶発性や緊急性にとんだ環境では、多彩なコミュニケーション環境への対応ができるようにしておく必要がある。
4)コミュニケーションには制約が多い
 研究は発表会のときなどのように、あらかじめ用意周到に準備ができる場合はさておくとして、その時その場で発生するコミュニケーションには、場の制約が大きい。保健室に泣きながら入ってきた子供に対してできるコミュニケーションの仕方には制約がある。その制約の中で最適なコミュニケーション手段を選択しなければならない。内容も時間の制約も考慮にいれなければならない。
5)コミュニケーションの結果成立する理解はさまざま
コミュニケーションのねらいは、思いや気持ちの共有ではあるが、最悪の場合は、どれほどコミュニケーションをおこなっても、完全にはそれが到達できないこともある。あるいは誤解もしばしば発生してしまう。
これは他者理解の限界と言ってもよい。「だからいくら言っても無駄」とあきらめるのではなく、そのことをしっかりと認識した上で、最大限の努力をすることになる。その努力のポイントの一つは、コミュニケーションの過程で、受け手の理解の程度や内容の確認を怠らないことである。前述の保健室での先生、「わかった?」「どう痛い?」としきりに尋ねていた。お互いの「わかったつもり」は困った事態を発生させてしまう。

****以下は、頁調整用
● 連載のテーマ
 予定では、10回の連載になる。コミュニケーション力を、大きく「わかる力」と「伝える力」とに分けて、それぞれの4回ずつ、最後の1回はまとめをするつもりである。

迷惑宣伝メール

2010-02-23 | 安全、安心、
IT社会のインフラともいうべき電子メールシステムが
こんな状態のまま放置しておいてよいのであろうか。
道路のあちこちにブロックをおくような行為は許せない。
しかも、IT企業としては最大手が、みずからの足を引っ張るような
大量の宣伝メールを送りつけるような行為が許されていいわけはない。
スパム排除システムは今、どのメールシステムでもかなりのレベルまで
達しているのでしのげるが、
迷惑宣伝メールだけは、すり抜けてしまう。
いや、すり抜ける技術を持っているのだと思う。

企業の猛反省を促したい。


子どもをわかる

2010-02-22 | わかりやすい表現
06/6/29海保博之

「子どもをわかるーー養護教諭にとってのコミュニケーション力その2」

● 子供は小さな大人ではない
 新生児から高齢者までの心の変化を研究する領域を発達心理学という。発達心理学の最大の貢献は、1950年代を境に子供観をがらっと変えたことであろう。
 それまでは、「子供は小さな大人」。したがって、大人の心性から子供のそれを見れば、子供は理解できると考えられていた。つまり、子供は未熟な大人として考えられていた。
 しかし、偉大な発達心理学者・ピアジェは、乳幼児に固有のさまざまな心性を、巧みな研究手法と壮大な理論に基づいて次々と明らかにしてみせた。これよって、子供には子供なりの世界があること、さらに、子供、とりわけ乳幼児は大人が思っている以上に「賢い」ことが認識されるようになってきた。

● 子供をわかる
  「子供は小さな大人でない」とすると、大人である自分のメンタリティを子供に投射して子供を理解することはあまり好ましくないことになる。
たとえば、青年期の子供の理解。大人は薄々でも自分の青年期を思い出すことができる。それがかえって、目の前の青年の心を理解する妨げになってしまうことがある。青年の心や行動は時代を映す鏡、というくらいに、時代とともに変わる。20年前の自分からは想像できない世界があると考えたほうが良い。
図には、他者理解の2つの典型的な型を示した。一つは、今述べた投影的理解、つまり、自分がそうだから相手もそうだろう、という理解である。子供を理解するときには、厳しい限界がある。
もうひとつは、共感的理解、つまり、自分(I)を相手のIに移して、相手のIがmeを理解するように理解する。これができないと、とりわけ子供の心の世界の理解は難しい。このモデルを提案している丹野義彦氏は、共感的理解を「相手の内側から内側をみる」と述べている。至言である。
では、子供を共感的に理解するには、具体的にはどうしたら良いのであろうか。

●子供の心の世界についての知識を豊富にする
 発達心理学は、半世紀以上にわたり、子供の心の世界についての膨大な知見を蓄積してきている。
たとえば、以下のような知見を知っている人と知らない人とでは、子供の共感的理解の質が違うはずである。
一つは、子供はいつ頃から心があることを知るかという問題である。これが意外と早く、3歳後半から4歳頃にかけてらしい。
さらに、中学生頃の思春期心性。自己への関心が強くなり自分が何者なのかを知りたくなる。しかし、それがわからないための心理的混乱が激しくなる時期である。
ちなみに、いずれも、発達途上でみられる反抗期に対応しているのがおもしろい。
もちろん、子供の共感的理解には知識だけでは充分ではないが、理解のベースとしては不可欠である。こうした知識があった上で、さらに、次の2つ。カウンセリングの心がまえと技法とを心得ておくことが共感的理解をより良質にする。

●受容する
「相手を知りたければ、知りたいことを尋ねればよい。それだけのこと、何も難しいことはない」。こんな考えの人々は意外と多い。
表面的な他者理解なら、確かにこれで事たれりであるが、相手の心の世界を深く知りたければ、こんな考えではどうにもならない。
 共感的な理解には、まずは、相手をその自然なままに受け入れる姿勢が必要である。泣いているのを黙らせるのではなく、まずは、ともに泣くくらいの気持ちになれることである。 
かといって、実際に泣いてしまっては共感的理解はおぼつかない。頭のどこかで自分、相手、そして状況全体を俯瞰しているもう一人の自分(ホムンクルス;第4回で取り上げる)がしっかりと見張っている感覚がなければならない。
 具体的には、受容とは、次のような言動がとれることである。
・ 泣いていたら、泣いていることを受け入れる
・ 「どうしたの」といったような説明を性急に求めない
・ 相手が話し出すまで待つ
・ 時間にとらわれないゆったり感を出す
 
● 傾聴する
 そして、話ができるようになったら、カウンセリング技法のひとつである傾聴を心がける。
 傾聴は、英語では、皮肉なことに、「active 」listeningになる。日本語のイメージとは違って、
積極的に聴くのである。
質問したり、説明したり、批判したり、忠告は厳禁。あくまで、相手の言い分を存分に引き出すことがねらいである。
・相手が話すまで待つこと
・相手の言い分を確認、反復すること
 傾聴することによって、相手は自分が受け入れられているという気持ちになれるので、それだけでストレスや悩みの解消の効果があるし、相手の本音を知ることもできる。保健室の現場での共感的理解を深めるためのコミュニケーションの要素技術としても活かせる

ドラマ、小説が見たい、読みたい欲求

2010-02-22 | 心の体験的日記
物語の仮想世界から離れてしまうと
なんとなく寂しくなる
かといって、四六時中、物語の世界もあきる
ほどほどのところがいい
だから、有料TVは契約しない
映画の割引チケットも買わない
レンタルビデオ、
週一の大河ドラマ程度が丁度良い

火災報知機がなった

2010-02-22 | 心の体験的日記
中華なべでマーボ豆腐を作っていた
なべから少し煙がでた
突然、火災報知機がなった
パニックった
換気扇をけし
電子レンジをとめ<なんでこんなことをしたのか
やおら、火災報知機からぶらさがっている紐を引いて
音を止めた
近隣の反応をうかがったが何事もなかった
それほど大きい音ではなかったが、恐かった
はからずも、火災報知機の性能検査をしてしまった

ほどほどの連帯感

2010-02-22 | 健康・スポーツ心理学
 連帯感を保つには、いつも仲間を意識しなければなりません。疲れます。周りがうっとうしくなることもあります。邪魔になることさえあります。
 ですから、連帯感を高めるといっても、「ほどほどの」が大事です。
 自分の育ちは、千葉の田舎。当然、冠婚葬祭のみならず農作業、はては子どもの養育まで、近所の厳しい目の中で行われました。それが、地域の強い、いや強すぎる連帯感となっていました。それが、自分がその地域を出て40余年、ほとんどなくなりました。
強すぎる連帯感もつらい、連帯感皆無もつらいですね。「ほどほど」は難しいですが、コツさえつかめば、可能だと思います。