ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

高館 炎上

2010-06-16 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
義経「爺、郷の事…頼んだぞ」と何も気付かない義経は格好つけて決め台詞を言った。
義隆「行って来るよっ、爺!」をじぃと見つめた。何か不安を覚えた義隆だった。
海尊「体に気をつけろよ」と、老体を労わった。
兼房は郷の父 河越 重頼の重臣で現役を退いてからは河越家の相談役となり、郷が嫁いでからは義経の許で力を尽くしてくれた人物である。
兼房「達者で…」
年齢よりも老けて見えるのは気苦労耐えない人生を物語る白髪のせいだろうか、痩せた顔に寄せられた無数のシワのせいだろうか…。そのシワをさらに深くして目を細めて微笑えみ、三人を送り出してくれた。この微笑みが三人にとって兼房の最期の姿となった。
それから二日後、1189年 4月30日、郷のいる高館に泰衡軍勢が奇襲を仕掛けられた。郷らは義経が不在を隠蔽するため、
郷「爺ぃ、早く高館に火を放て!」松明を持つ兼房に放火を命じた。
しかし、その日は運が悪く、強風で乾燥した日だった。火の手が早く予想以上に早く高館は炎に包まれた。その業火に包まれる高館に秀衡軍の敵将 長崎兄弟が現れ、
長崎 兄「義経を逃がしたな…」
長崎 弟「秀衡様に報告しに行く」
ここで秀衡に義経の生存がバレては困る、そう考えた兼房は長崎兄弟に向って襲い掛り、白髪振り乱し奮闘した。昔は名高い武将でも、今は老いぼれ…そんな体では刃を避けることすら困難だった。次第に白髪が赤く染まっていった。
兼房「郷ぉ…す、すまん…」死んではならぬという郷の言いつけだったが、「義経…さらば…」
最後の力を振絞り、長崎兄弟を炎の中へと引きずり道ずれに消えていった。
その後、誰に名づけれらたか、義経と兼房が別れた湧き水に[卯の花 清水]と名が付いた。
兼房の白髪頭が空木(ウツギ)の白花 卯の花が風に舞う様子が湧き水の飛沫と重なって見えたのだろう。白髪の爺や 兼房が亡くなって500年余り過ぎた時、ここを旅した松尾芭蕉のお供 河合曾良はこう詠んだ。
『卯の花の 兼房みゆる 白髪かな』
曾良には奮闘する白髪の雄姿が見えていたのかもしれない。その炎に包まれた老体の慰霊を潤し続けた「卯の花 清水」は、今は渇水してしまっているが、ここを旅する者たちの喉の渇きを潤し、心を満みたしてくれるように、と地元民が飲み水を引いて卯の花の再現を行った。白髪の爺やの思いは卯の花と共に引き継がれている。白髪の爺 増尾 兼房、享年66。


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