ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

追放

2010-07-30 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
佐伯「おい、背中を流せ!」とくるりと背を向け、くいっと一回人差し指を曲げただけで、でっかい図体の弁慶を手玉に取った。そして、洗い場の空いている所にどっかっと座り、くいくいと二回人差し指を曲げて、自分の背中を指し示した。いい感じの立派な背中だろう?みたいな態度である。しかし、自慢するにはそれだけの勲章があった。どんな山奥で苦行荒行水行護摩行をしたら、こんな傷だらけの勲章が作れるんだろうと思っていたら、真相を教えてくれた。どうやら、佐伯氏の修行全盛期、薬草 薬湯などの原料 生薬の研究が進んでいなかった。従って、傷はツバをつけて地道に治していたらしいが、背中の傷まで手が届かず、ツバを付けられなかった…ので、背中の傷は勲章として残っただけだというのだ。
弁慶「…」そういう傷だらけの勲章なんていらないから苦行荒行をサボっていた弁慶だった。
弁慶のサボり癖は幼少期からであり、幼少名「鬼若」の異名通り、あまりにも乱暴横暴な素行の悪いガキ大将で近所の悪ガキどもを束ねて、器物損壊文化財破損破壊を繰り返した。
そんな悪ガキに手を焼いた弁慶の母は紀伊(和歌山)田辺の出身であることから、良い子になるように?はたまた見放して?高野山山岳修験部に無理やりにでも入部させようとしたが、
佐伯「残念だが…」手の掛かる奴は嫌いだ!ときっぱり断られた。
その手の奴は同僚の最澄さんに任せることにして無理やり比叡山岳部に入部させた。最澄さんは入部を断固拒否したが、佐伯氏の特権で勝手に入部届けに[印]が使われた。
修行をサボる弁慶に手を焼いた最澄さん「京に行って鞍馬(鬼一法眼)の弟子(義経)を打ち負かして来い!」とまんまと弁慶追放に成功したが、義経(当時 牛若丸)に打ち負かされた弁慶は義経の傘下に入った。その後、弁慶・義経 共々、鞍馬が追放したと聞いた。
※義経 皆鶴姫を通じて「兵法」窃盗実行犯と弁慶 皆鶴姫夜這い&懐妊疑惑の罪である。
どこへ行っても追放される奴で「やれやれ…」と思いきや、今度は弁慶の隠し子の疑いある海尊が最澄さんの弟子 円仁(えんにん)さんの山寺(立石寺)に勝手に預けられたので心配になって見に行ったら、海尊は自ら出て行った…と聞いた。
佐伯「ふぅ…」と一安心と思いきや、
お前ら8人こぞって円仁さんとの山寺に向っているっていうじゃねぇか!?伝説上の海尊率いる8人衆が山寺へってお前らのことか?と真相を探りに湯治部で待ち伏せしていたという。
弁慶「伝説?」
佐伯「ま、いい。それより、お前、うどん、好きか?」
弁慶「あん?好きだけど…?」
佐伯「よし、決まった!祭りが終わったら讃岐うどんを食いに回れ、な」


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