ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

清めの儀

2010-04-01 | 倶利伽羅-白山比-気多大社巡り
祈りと決意が決まった所で、[白山比神社]へと導く看板発見。看板を辿って白山比神社に到着した。富山から車を走らせ2時間弱の所である。
ひつじ「ん…。もう少し足延ばして…」今度、永平寺に行こう!と欲張りな新たなる決意が生まれた。永平寺 禅寺での座禅修行の野望を胸に秘めた神社参拝だ。
野心とやる気だけは満々である。しかし、寒いとやる気と根気がなくなる…ので、修行は温かい日に限る!と思った。そう白山麓は、まだまだ、
ひつじ「さっ、寒っ」
肌に沁みる白山の風でゾクッとぶるるっと鳥肌が立ってきたのでトレイを探した。参拝前にお土産屋さん「クロユリの里」の脇で済ませるトイレである。
ひつじ「ふぅ…」スッキリした所で鳥居をくぐると、スー…と立った人目を惹く大きな木が見えた。神気漲るご神木の登場で恐れおののき反り返った。
でっっけぇーー!と感嘆の声をあげそうになった。先端が見えないくらいの大木を見上げた首が痛くなったので、頭を下げて拝んだ。ぺこっ。90度である。
そして、そっと手を合わせ神木から神気をいっただきまーす。
と、パックッと戴いた訳ではなく、ちょっと新鮮な空気と神気を吸い込んだだけだ。
ご神木からの感じる神気は、
ひつじ「んめぇ!」
戴いた後、ちゃんと感謝の祈りを捧げたよ。もちろんだよ!
しかし、この戴く行為…実は、毎朝の神棚に手を合わせるときにも言ってしまう。
本来なら「ありがとうございます」だろうが!!と自分にツッコミを入れてパン!パン!と二拍で気合を入れる朝の参拝である。神気と気合が入った所で、ずんずんと向かったのは斜め向かいの手水舎。そこで北斗七星(しちせい)の象り柄杓(ひしゃく)を手に取り、左右の手と口を濯ぎ心身清めた。内心、白山の霊水をザッパーと全身に浴び身を引き締め清めたい気持ちであるが、何分3月下旬まだまだ霊水は冷水であり、1月大岩山日石寺の滝行で少々冷水に懲りた。
あの冷水での寒行は「夏限定にする!」と誘われても誘いに乗らないことを心に決め、手と口を清めるだけに留めた。
ちなみに、この清めの儀は、黄泉の国から現し世(うつしよ)に戻ったイザナギが、霊水流れる川で身を清めたというのが始まりらしい。
「左目洗って天照、右目洗って月読、鼻を濯いでスサノオ」で三神誕生!という神話が起源である。
この世 現し世で清める行為は大切である。
きれいにしているかい?この現し世の魂の鏡?
黄泉の国は魂の国で現し世は、魂映し出す鏡の国だ。
この世で「頑張っている」魂はあの世に反映される。
故に頑張った姿そのまま写る。その姿そのまま返る。
積み重ねた分、時間差で…、ね。

しかし、頑張りって、なかなか利かないものである。
その姿って、人には理解されにくい。
しかししかし、絶対に後から後からじんわりじんわり現れる、鏡の効果。
この世の中、魂次第。
清く正しく魂を育てましょう!

と、ついでに、冷水霊水をごくごく飲んだ。
水分補給である。