「今日は、天神川から源流の尾長天満宮までを歩く、天神川ウォークの2回目じゃね」
「前回は、広島市南区の新大州橋を出発したあと、天神川駅を通って、矢賀新町第2踏切まで来たんじゃが…」
矢賀新町第2踏切
「ここから先の川の流れが、ちょっとわからんのじゃ」
「うーん。困ったねぇ…。もとは川が流れたとったんじゃけぇ、今でも何か跡が残っとるはずじゃないんかね?」
「道路と線路はあるんじゃが、川が流れとったような跡も見あたらんのじゃ」
「そういや、天神川駅のところの看板に「我羅我羅橋(がらがらばし)」のことが書かれとったじゃん」
「おぉ、書いてあったのう。えーっと、何が書いてあったかというと…」
我羅我羅橋
天神川は昔、古川と合流して、二葉の里から矢賀村に流れていました。
かつての西国街道にかけられたのがこの橋です。
名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれています。
「天神川は我羅我羅橋あたりを流れとったんじゃけぇ、ここにつながる道を探せばええんじゃない?」
「ほうか! お前、なかなか冴えとるのう」
「いんやぁ、それほどでもないけどね」
「えぇと、我羅我羅橋につながっとる道といえば…」
「広電バスの曙営業所の横にある細い道がそうじゃね」
「そこからたどっていくと…、ここか!?」
「うん。この道で合(お)うとると思うよ」
「矢賀新町第2踏切から、西(広島駅方向)へ300メートルくらい行ったところじゃの。この道に沿って北西の方向へ進むと…」
「曙営業所の停留所に出たね」
「横断歩道を渡って、さらに北西の方向へ進むと…」
「おぉ! ここじゃ、ここじゃ!」
「この道の向こうに、かつての我羅我羅橋があったんよね」
我羅我羅橋
左の道は、江戸時代初期に整備されたかつての西国街道である。
ここに、古川という川が太田川を分流し明星院前を経て矢賀村へと流れていたため、この橋が架けられたといわれている。
橋の名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれている。
橋の長さは9尺(2.7m)、幅は3間(5.5m)。その後板橋となり、明治23年(1890)石橋、昭和45年(1970)頃に現在のコンクリート橋になった。
享保2年(1717)頃、橋のたもとに茶所が建ち参勤交代の途中、諸大名が立ち寄って賑わったが、寛政8年(1796)岩鼻の麓に移されたという。
下って、明治42年(1909)荒神市場と同時に、青物市場ができ、再び賑わった。
我羅我羅橋の石柱
我羅我羅橋の案内板
「ようやく我羅我羅橋まで来たね」
「あれ、あれれ…?」
「なんか、道というか川の流れが右に曲がっとるような感じがするじゃろ?」
「これが川を埋め立てた跡とすると、天神川は右(東)から来たことになるよね」
「天神川の源流の尾長天満宮は、ここから北西の方向にあるけぇの」
「えぇ!? ということは、また天神川を見失のうてしもうたんかね?」
「左(西)に進んでも分からんようになるだけじゃけぇ、とりあえず右(東)に進んでみるとするか…」
訪問日:2012年6月17日
↓尾長天満宮の関連記事は、こちら↓
天神川ウォーク(その1)
尾長天満宮 広島市東区
尾長天満宮と平清盛
「今日は、天神川ウォークということで、矢賀新町第2踏切から我羅我羅橋あたりまでを歩いてみました」
「さてさて、尾長天満宮に無事、たどり着くことができるかいの?」
「も1回ありますけぇ、おつきあいくださいね」
「ほいじゃあ、またの」
「前回は、広島市南区の新大州橋を出発したあと、天神川駅を通って、矢賀新町第2踏切まで来たんじゃが…」
矢賀新町第2踏切
「ここから先の川の流れが、ちょっとわからんのじゃ」
「うーん。困ったねぇ…。もとは川が流れたとったんじゃけぇ、今でも何か跡が残っとるはずじゃないんかね?」
「道路と線路はあるんじゃが、川が流れとったような跡も見あたらんのじゃ」
「そういや、天神川駅のところの看板に「我羅我羅橋(がらがらばし)」のことが書かれとったじゃん」
「おぉ、書いてあったのう。えーっと、何が書いてあったかというと…」
我羅我羅橋
天神川は昔、古川と合流して、二葉の里から矢賀村に流れていました。
かつての西国街道にかけられたのがこの橋です。
名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれています。
「天神川は我羅我羅橋あたりを流れとったんじゃけぇ、ここにつながる道を探せばええんじゃない?」
「ほうか! お前、なかなか冴えとるのう」
「いんやぁ、それほどでもないけどね」
「えぇと、我羅我羅橋につながっとる道といえば…」
「広電バスの曙営業所の横にある細い道がそうじゃね」
「そこからたどっていくと…、ここか!?」
「うん。この道で合(お)うとると思うよ」
「矢賀新町第2踏切から、西(広島駅方向)へ300メートルくらい行ったところじゃの。この道に沿って北西の方向へ進むと…」
「曙営業所の停留所に出たね」
「横断歩道を渡って、さらに北西の方向へ進むと…」
「おぉ! ここじゃ、ここじゃ!」
「この道の向こうに、かつての我羅我羅橋があったんよね」
我羅我羅橋
左の道は、江戸時代初期に整備されたかつての西国街道である。
ここに、古川という川が太田川を分流し明星院前を経て矢賀村へと流れていたため、この橋が架けられたといわれている。
橋の名前の由来は、がら竹という小竹を束にして作った竹橋だったためとも、橋を渡るときガラガラ音がしたためともいわれている。
橋の長さは9尺(2.7m)、幅は3間(5.5m)。その後板橋となり、明治23年(1890)石橋、昭和45年(1970)頃に現在のコンクリート橋になった。
享保2年(1717)頃、橋のたもとに茶所が建ち参勤交代の途中、諸大名が立ち寄って賑わったが、寛政8年(1796)岩鼻の麓に移されたという。
下って、明治42年(1909)荒神市場と同時に、青物市場ができ、再び賑わった。
我羅我羅橋の石柱
我羅我羅橋の案内板
「ようやく我羅我羅橋まで来たね」
「あれ、あれれ…?」
「なんか、道というか川の流れが右に曲がっとるような感じがするじゃろ?」
「これが川を埋め立てた跡とすると、天神川は右(東)から来たことになるよね」
「天神川の源流の尾長天満宮は、ここから北西の方向にあるけぇの」
「えぇ!? ということは、また天神川を見失のうてしもうたんかね?」
「左(西)に進んでも分からんようになるだけじゃけぇ、とりあえず右(東)に進んでみるとするか…」
訪問日:2012年6月17日
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天神川ウォーク(その1)
尾長天満宮 広島市東区
尾長天満宮と平清盛
「今日は、天神川ウォークということで、矢賀新町第2踏切から我羅我羅橋あたりまでを歩いてみました」
「さてさて、尾長天満宮に無事、たどり着くことができるかいの?」
「も1回ありますけぇ、おつきあいくださいね」
「ほいじゃあ、またの」
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