【問題】
昨年8月亡くなった福山市出身の木村雅文の両親に、JAXA(ジャクサ。宇宙航空研究開発機構)から小惑星探査機のDVDと模型が届きました。
彼が中心となって軌道計算を行い、今年6月に地球に帰還したその小惑星探査機の名前は、次のうちどれでしょうか?
1.あかつき
2.かぐや
3.はやぶさ
4.ひてん
【正解】
3.はやぶさ
【解説】
小惑星探査機「はやぶさ」の軌道計画の中心を担い、2009(平成21)年8月に49歳で亡くなった福山市出身の木村雅文さんの両親に、はやぶさのDVDと模型が届いた。
DVDの上映会が27日、木村さんが高校生まで過ごした同市の霞(かすみ)公民館である。
DVDと約32分の1の模型は今年8月、木村さんの上司が同市道三町(どうさんちょう)の父・滋さん(79)と母・富士子さん(74)を訪ねて贈った。
はやぶさが小惑星「イトカワ」の微粒子を採取した偉業も仏前に報告した。
上映会は、木村さんの母校霞小に近い霞公民館の枝広稔館長(73)が企画した。
「子どもに宇宙研究の情熱を伝えたい」と願う。
午後7時から。
無料。
同館=電話084(921)6179。
(「亡き技師の里へはやぶさ模型」中国新聞 2010年11月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201011270095.html
今日は、「木村雅文」「PCNAV」「さようなら、KIMさん」について調べてみようかの。
1.木村雅文
木村雅文とは、どんな方なんじゃろうか?
木村さんは3歳のころから、同市駅家町(えきやちょう)の祖父宅で祖父が自作した望遠鏡をのぞき始めた。母・富士子さんは「中学生になると自分で望遠鏡を作っていた」と熱中ぶりを語る。
葦陽(いよう)高卒業後、東京理科大(東京)で応用数学と物理学を学んだ。
NEC航空宇宙システム(東京)の技術者として、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のプロジェクトにかかわった。はやぶさの計画にも2003(平成15)年5月の打ち上げ当初から参加し、軌道を割り出す重責を担った。しかし、帰還する約10カ月前、難病で亡くなった。
(同上)
木村の生まれた年は、年齢から計算すると1960(昭和35)年。
ソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功したのが、1957(昭和32)年10月。
アメリカのアポロ計画が始まったのが1961(昭和36)年から。
そして、アポロ11号が月面着陸に成功したのが1969(昭和44)年7月20日。
あのころは宇宙への関心が高まっとったころじゃ。
それにしても、中学生のころから望遠鏡を自作するとは、すごいもんじゃのう。
2.PCNAV
日本初の金星探査機「あかつき」が、12月7日(金)に金星周回軌道に突入する予定じゃのう。
「あかつき」には、金星の大気を撮影するための「PCNAV(ピーシーナブ)」と呼ばれる運用計画支援ソフトが導入されとって、この開発に木村雅文が関わっとられるそうじゃ。
もともと小惑星探査機「はやぶさ」の運用のために作った「EPNAV(イーピーナブ)」というソフトがあったんです。
木村さんはEPNAVの開発を主導していましたので、EPNAVのような運用支援ソフトは、金星周回軌道を飛ぶ「あかつき」にも絶対に必要だと考えたんです。
(「第3話 見えない背中を追いかけ、金星へ:届け、あかつきの星へ:太陽系大航海時代の幕明け」NEC)
http://www.nec.co.jp/ad/cosmos/akatsuki/03/
パソコンやカーナビ、携帯なんかでもそうじゃが、「誰でも、簡単に、間違いなく」使えるソフトが必要なんじゃの。
そこで、見た目で直感的に使えるGUI(グイ。グラフィカル・ユーザー・インタフェース)も設計せんといけん。
この画面設計も、木村が中心になって進められたそうじゃ。
「あかつき」は、残念ながら金星周回軌道への投入に失敗したそうじゃ。
ほいじゃが、軌道を修正すれば6年後に再チャレンジできるいうことじゃけぇ、また頑張ってください。
(青文字部分 2010年12月8日追記)
3.さようなら、KIMさん
さっきはPCNAVの話をしたんじゃが、木村雅文の専門は軌道設計じゃったんよ。
「軌道の魔術師」川口淳一郎教授が立案する軌道計画に対して、数値計算による裏付けを与えてきたのが木村さんであり、木村さんが育てたNASの技術者達だった。
宇宙の彼方で緊急の事態が起きたとき、川口教授の指揮下、昼夜を分かたぬ突貫作業で救出のための新たな軌道を計算し、妥当性を検証し、最終的にまとめ上げたのが木村さん達だった。
(「さようなら、KIMさん」松浦晋也のL/D)
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2009/08/kim-4185.html
選択肢の2に出てきた「かぐや」は、2007(平成19)年9月に打ち上げ、2009(平成21)年6月に月に制御落下した衛星。
このプロジェクトにも、木村は参加されとったんじゃ。
月探査機「かぐや」で、彼は軌道ではなくハイゲインアンテナによる高速データ通信システムを担当した。
「おかしいでしょう。みんな『木村さんは軌道担当じゃないの』って聞くんですよ。人の使い方、間違ってるよね」といいつつも、彼は熱意を持って仕事にあたった。
通信システムは開発時に色々なトラブルを出したが、打ち上げ後はノートラブルで順調にデータを送信してきた。
KIMさんは、すべての任務を達成して月面に落下するかぐやから、最後の瞬間までデータが途切れることなく送信されてくるかということを懸念していた。
かぐやの月面落下は6月11日早朝と決まった。
それなのに。
彼は6月4日に病に倒れた。
すぐに集中治療室入りとなり、治療のため意識レベルを下げる処置が続いた。
そのまま闘病2ヶ月。
かぐやが最後の最後までデータを送ってきたことをついぞ知ることなく、忽然(こつぜん)と君は旅立ってしまった。
ああ、KIMさん、俺は本当に悲しいよ。
かぐやのミッションが終わったら乾杯するはずだったろ。
「はやぶさ」の帰還だって見るはずだったよな。
自分が結婚し、家庭を持った後は口癖のように「松浦さんも結婚しないと長生きできないよ」と言っていたじゃないか。
長生きして、もっともっとたくさんの華麗な軌道を太陽系空間に描くんじゃなかったのかよ。
今は宇宙へと飛翔した君の魂の旅路が安からんことを祈る。
そして今後とも、様々な探査機が、君の後を追って宇宙に様々な軌道を描いていくのであろう。
さようなら、KIMさん。
(同上)
↓小惑星探査機はやぶさについての関連記事は、こちら↓
今年6月、小惑星イトカワから帰還した探査機は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101119
今日は、「木村雅文」「PCNAV」「さようなら、KIMさん」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
昨年8月亡くなった福山市出身の木村雅文の両親に、JAXA(ジャクサ。宇宙航空研究開発機構)から小惑星探査機のDVDと模型が届きました。
彼が中心となって軌道計算を行い、今年6月に地球に帰還したその小惑星探査機の名前は、次のうちどれでしょうか?
1.あかつき
2.かぐや
3.はやぶさ
4.ひてん
【正解】
3.はやぶさ
【解説】
小惑星探査機「はやぶさ」の軌道計画の中心を担い、2009(平成21)年8月に49歳で亡くなった福山市出身の木村雅文さんの両親に、はやぶさのDVDと模型が届いた。
DVDの上映会が27日、木村さんが高校生まで過ごした同市の霞(かすみ)公民館である。
DVDと約32分の1の模型は今年8月、木村さんの上司が同市道三町(どうさんちょう)の父・滋さん(79)と母・富士子さん(74)を訪ねて贈った。
はやぶさが小惑星「イトカワ」の微粒子を採取した偉業も仏前に報告した。
上映会は、木村さんの母校霞小に近い霞公民館の枝広稔館長(73)が企画した。
「子どもに宇宙研究の情熱を伝えたい」と願う。
午後7時から。
無料。
同館=電話084(921)6179。
(「亡き技師の里へはやぶさ模型」中国新聞 2010年11月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201011270095.html
今日は、「木村雅文」「PCNAV」「さようなら、KIMさん」について調べてみようかの。
1.木村雅文
木村雅文とは、どんな方なんじゃろうか?
木村さんは3歳のころから、同市駅家町(えきやちょう)の祖父宅で祖父が自作した望遠鏡をのぞき始めた。母・富士子さんは「中学生になると自分で望遠鏡を作っていた」と熱中ぶりを語る。
葦陽(いよう)高卒業後、東京理科大(東京)で応用数学と物理学を学んだ。
NEC航空宇宙システム(東京)の技術者として、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のプロジェクトにかかわった。はやぶさの計画にも2003(平成15)年5月の打ち上げ当初から参加し、軌道を割り出す重責を担った。しかし、帰還する約10カ月前、難病で亡くなった。
(同上)
木村の生まれた年は、年齢から計算すると1960(昭和35)年。
ソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功したのが、1957(昭和32)年10月。
アメリカのアポロ計画が始まったのが1961(昭和36)年から。
そして、アポロ11号が月面着陸に成功したのが1969(昭和44)年7月20日。
あのころは宇宙への関心が高まっとったころじゃ。
それにしても、中学生のころから望遠鏡を自作するとは、すごいもんじゃのう。
2.PCNAV
日本初の金星探査機「あかつき」が、12月7日(金)に金星周回軌道に突入する予定じゃのう。
「あかつき」には、金星の大気を撮影するための「PCNAV(ピーシーナブ)」と呼ばれる運用計画支援ソフトが導入されとって、この開発に木村雅文が関わっとられるそうじゃ。
もともと小惑星探査機「はやぶさ」の運用のために作った「EPNAV(イーピーナブ)」というソフトがあったんです。
木村さんはEPNAVの開発を主導していましたので、EPNAVのような運用支援ソフトは、金星周回軌道を飛ぶ「あかつき」にも絶対に必要だと考えたんです。
(「第3話 見えない背中を追いかけ、金星へ:届け、あかつきの星へ:太陽系大航海時代の幕明け」NEC)
http://www.nec.co.jp/ad/cosmos/akatsuki/03/
パソコンやカーナビ、携帯なんかでもそうじゃが、「誰でも、簡単に、間違いなく」使えるソフトが必要なんじゃの。
そこで、見た目で直感的に使えるGUI(グイ。グラフィカル・ユーザー・インタフェース)も設計せんといけん。
この画面設計も、木村が中心になって進められたそうじゃ。
「あかつき」は、残念ながら金星周回軌道への投入に失敗したそうじゃ。
ほいじゃが、軌道を修正すれば6年後に再チャレンジできるいうことじゃけぇ、また頑張ってください。
(青文字部分 2010年12月8日追記)
3.さようなら、KIMさん
さっきはPCNAVの話をしたんじゃが、木村雅文の専門は軌道設計じゃったんよ。
「軌道の魔術師」川口淳一郎教授が立案する軌道計画に対して、数値計算による裏付けを与えてきたのが木村さんであり、木村さんが育てたNASの技術者達だった。
宇宙の彼方で緊急の事態が起きたとき、川口教授の指揮下、昼夜を分かたぬ突貫作業で救出のための新たな軌道を計算し、妥当性を検証し、最終的にまとめ上げたのが木村さん達だった。
(「さようなら、KIMさん」松浦晋也のL/D)
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2009/08/kim-4185.html
選択肢の2に出てきた「かぐや」は、2007(平成19)年9月に打ち上げ、2009(平成21)年6月に月に制御落下した衛星。
このプロジェクトにも、木村は参加されとったんじゃ。
月探査機「かぐや」で、彼は軌道ではなくハイゲインアンテナによる高速データ通信システムを担当した。
「おかしいでしょう。みんな『木村さんは軌道担当じゃないの』って聞くんですよ。人の使い方、間違ってるよね」といいつつも、彼は熱意を持って仕事にあたった。
通信システムは開発時に色々なトラブルを出したが、打ち上げ後はノートラブルで順調にデータを送信してきた。
KIMさんは、すべての任務を達成して月面に落下するかぐやから、最後の瞬間までデータが途切れることなく送信されてくるかということを懸念していた。
かぐやの月面落下は6月11日早朝と決まった。
それなのに。
彼は6月4日に病に倒れた。
すぐに集中治療室入りとなり、治療のため意識レベルを下げる処置が続いた。
そのまま闘病2ヶ月。
かぐやが最後の最後までデータを送ってきたことをついぞ知ることなく、忽然(こつぜん)と君は旅立ってしまった。
ああ、KIMさん、俺は本当に悲しいよ。
かぐやのミッションが終わったら乾杯するはずだったろ。
「はやぶさ」の帰還だって見るはずだったよな。
自分が結婚し、家庭を持った後は口癖のように「松浦さんも結婚しないと長生きできないよ」と言っていたじゃないか。
長生きして、もっともっとたくさんの華麗な軌道を太陽系空間に描くんじゃなかったのかよ。
今は宇宙へと飛翔した君の魂の旅路が安からんことを祈る。
そして今後とも、様々な探査機が、君の後を追って宇宙に様々な軌道を描いていくのであろう。
さようなら、KIMさん。
(同上)
↓小惑星探査機はやぶさについての関連記事は、こちら↓
今年6月、小惑星イトカワから帰還した探査機は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20101119
今日は、「木村雅文」「PCNAV」「さようなら、KIMさん」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。