平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い588 「私たちは韓国の土になります。魂だけは祖国日本に帰りたい」

2016-10-28 10:23:45 | 日記
   平和への希い588 戦後71年  
「私たちは韓国の土になります。魂だけは祖国日本に帰りたい」  2016.10.28.

28日、NHKラジオ深夜便「明日への言葉」で、韓国の「慶州ナザレ園」のことを聴き、感動する
と同時に戦争のムゴさを改めて知り、人が起こす最悪の人災である「戦争」を絶対無くさなければいけ
ないとの思いを新たにしました。
1986年から園を支援する慶州ナザレ園協力会代表の松島啓昇さん(73)=秋田市=のお話でした。
聴いたメモ中心なので、松島さんのお言葉とちょっとズレがあるかも知れません。乞うお許しを。
「園の創設者で牧師の故金龍成さんは、日本に父を殺されたのですが、
1970年代初め、韓国の刑務所で、生活苦から窃盗や放火の罪を犯した2人の女性と面会したことが
キッカケで、1972年10月に園を開設。250人以上の日本人女性を園に保護し、うち、147人を
日本へ帰国させた。その志は敬虔なクリスチャンの宋美虎園長に引き継がれている」

「開設まもなく、棒を持った韓国人青年7人が来て『貧しい韓国人が多くいるのに、なぜ(にっくき)
日本人を庇うのか』と抗議。金さんは、『彼女たちに、もし罪があるとするならば、植民地支配を受けて
いた朝鮮半島の青年を愛したことだけだ。私には、肉親と縁を切り、命がけで私たちの側に渡って来て
くれた彼女達を守る使命がある』と諭した」

「韓国独立後は、反日感情は嵐のごとく吹き荒れ、妻が、母が日本人であることがわかることを恐れ、離婚
され、親子の縁を切られ、生きるために罪を犯さざるを得ない女性、垢だらけで、草を食べながら洞窟生活
をしなければならなかった女性など、想像を絶する不幸のどん底の中で生きていたのです」
「金さんは、女性達に『祖国を誇りに思い、日本人の誇りを失わないように』と常に諭していた」
「日本海を望む納骨堂の碑には、『私達は死んだら韓國の土になります 魂だけは祖國の日本に帰りたい』と
刻まれている」

「引き継いだ宋美虎園長のお母さんは、『娘には結婚して幸せな人生を送って欲しいと思っていたが、今は、
娘を尊敬しているし、誇りに思っている」

「昔は隣国ながら、兄弟のような国同志だったのに、朝鮮併合後の日朝の悲しい関係になってしまったが、
この女性達もかけ橋になって、理解し合える国同志に戻ればいいなと思っています」

「今、園には19人います。平均年齢は94歳」

少なくとも日本だけは、二度と戦争をしてはいけないこと、平和憲法を守って行く必要を肝に銘じました。
今日は、45歳で急逝した長男の一周忌。松島さんのお話しを聴けたこと、縁を感じています。
以前載せた、韓国国花、むくげです。

10月28「今日は何の日カレンダー」より
▲大内義弘挙兵、応永の乱(1399)▲ハーバード大学創立(1636)
▲廃藩置県さらに進み、府県改置へ(1871)▲上野不忍池で初の競馬(1884)
▲アメリカ独立100年祭を祝い、フランス・アメリカ間友好のため、自由の女神像が贈呈される(1886)
▲日本最大の内陸地震、濃尾大地震(1891)▲日中国交回復を記念して康康(カンカン)と蘭蘭(ランラン)
が上野へ。公開後の1年間で入園者は900万人を突破(1972)▲木曽の御岳山爆発(1979)
▲ロッキード事件丸紅ルート公判で榎本三恵子が「蜂の一刺し」証言(1981)
▲W杯サッカーアジア地区予選最終日、ロスタイムでイラクに得点され引き分けた
 日本は悲願のW杯出場の夢敗れる。「ドーハの悲劇」(1993)
誕生花:むくげ (Rose of Sharon)      花言葉:デリケートな美   むくげは韓国の国花です

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