彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

6月1日、加賀篠原の戦い

2010年06月01日 | 何の日?
寿永2年(1183)6月1日、加賀篠原の戦いで斎藤実盛が木曽義仲の武将・手塚光盛に討ち取られました。享年73歳。

『平家物語』には様々な名シーンがありますが、その中でも特に後年の武士たちの心を鷲掴みにしているのが斎藤実盛の最後ではないでしょうか?
逆に言えば、実盛を知らずに武士は語れないとも言えるかもしれません。


斎藤実盛は、元々源氏に仕えている武将でした。
この源氏の中で棟梁の立場に居たのが源為義でした。そんな為義には義朝と義賢という息子が居たのです。
しかし、兄の義朝は為義に反発していた為に源氏の中で内部分裂が起こっていたのでした。

久寿2年(1155)、そんな源氏の分裂は大きな悲劇を迎えます。
義朝の嫡男の義平が義賢の住む大蔵館(現在の埼玉県)を襲撃して、義賢は殺されてしまったのです。(大蔵合戦)
この時、義賢には2歳になる駒王という男の子が居て、駒王を殺すように義平から命じられていたのが斎藤実盛でした。しかし幼い子どもの命を奪う事を哀れに思った実盛は、駒王を木曽まで落ち延びさせてこの地の豪族中原兼遠に匿わせたのです。
この駒王は後に成長して源義仲(木曽義仲)となる人物なのです。

さて、斎藤実盛はそのまま源義朝の武将として活躍しますが、平治の乱で義朝が平清盛に敗れて源氏が滅びると、当時の武士たちと同じ様に平家の軍に加わるしかなかったのでした。
そんな実盛は西国武士である平家の下に居ても東国武士の誇りを失っておらず、平家の武士たちに「東国の武士は一人で五百人を相手にしても怯まず、いざ戦となれば親が討たれ、子が亡くなっても、その屍を踏み越えて戦う」と言っていたそうで、平家一門だった平維盛(清盛の孫)の後見役となっていた富士川の戦いの前にもこの話を維盛にしていたのです。
これから東国武士と戦おうとする前に敵の勇猛さを聞かされた維盛と平家の軍勢は恐れ慄き、ついには水鳥の羽音を夜襲と勘違いして逃げ出すという平家の弱さを全国に示す原因を作ってしまったのでした。


富士川の戦いは、後見役であった斎藤実盛自身の恥にも繋がるものになったのです。この頃から実盛は戦場での死に場所を求めるようになったと後世では思われています。
そして、自分が命を助けた駒王が木曽で挙兵する報にも接するのでした。

寿永2年5月11日、実盛が仕えていた(この時は実盛は別の所属)平維盛が率いた7万の兵は3万の木曽軍に倶梨伽羅峠の戦いで敗北して、維盛は命からがら都に逃げ帰ります。
5月末頃、勢いに乗って都を目指す木曽軍に追われながら都に向かい北陸道を進んでいた平宗盛(清盛の三男)の軍が木曽軍に追いつかれる形で始まったのが加賀国篠原の戦いでした。
総崩れとなる平家軍の殿を引き受けて奮戦したのが斎藤実盛だったのです。

実盛の猛将ぶりに木曽軍の兵たちが恐れました。
そんな様子を見た木曽義仲の部将・手塚光盛(木曽義仲に最後まで従った四騎の一人)は実盛に一騎打ちを申し込むのでした。
光盛が名乗りをあげたのに対し、実盛は「訳あって名乗れぬ」と己の名を隠した後に一騎打ちが始まったのです。
こうして実盛と光盛は激しく打ち合い、やっとの思いで光盛は実盛の首を取ったのでした。


実盛の首は木曽義仲の前に運ばれて、その顔を見た義仲はそれが幼い自分の命を救ってくれた武将と知って「実盛!」と言葉を発した後に絶句したのです。
そして落ち着いた義仲は実盛の首を改めて見て首をかしげたのでした。
「実盛は既に70を越えている筈、それなのにこの様に若々しく見えるの筈が無い・・・」その原因を確かめると、実盛の髪が老年に達した者とは思えないくらいに黒々としていたからでした。
そして、清めの為に首を洗うと、髪から黒さが落ちて白髪頭が現れたのです。

実盛は、老将として敵に侮られないように白髪を染料で黒く染めて戦場に臨んでいたのでした。
「これこそが誠の武士の姿」と義仲はその覚悟に再び声を失い、実盛は死して武士のありかたを後世にまで示したのです。


この頃、井伊家は『保元物語』に井八郎と言う人物が源義朝にしたがっていた記録が見受けられますが、その後はどうなったのか、もしかしたらこの物語の主人公の斎藤実盛のように平家に仕える事になったのか?も解りません。

ただ、実盛のこの話はのちの武士道に大きく繋がると考えてよいと思います。
平将門のように恨みを残して首が飛んだ訳でもなく、ただ粛々と己の死を演出した実盛の死に様は、大坂夏の陣で木村重成が兜に香の匂いを残して出陣する逸話にも似ていて、430年絶えなかった武士の覚悟でもあったのかもしれませんね。


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