1963年11月22日、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺されました。享年46歳。
2013年でちょうど半世紀となり、娘のキャロライン・ケネディ氏が駐日アメリカ合衆国大使として来日してすぐでもあるので注目される事件でもあります。いまだに真相は謎であり多くの説が出ていますのが、それを論じるほど詳しくもないので、簡単な経過を書いていきます。
そもそも、アメリカ大統領には不思議な因縁話があります。就任する大統領が20年ごとに不幸が襲うというものです。
1840年当選 ウィリアム・H・ハリソン(第9代)
1841年3月、大統領就任演説中に引いた風邪をこじらせて肺炎になり、 在任わずか1ヶ月後4月4日に死去。
1860年当選 エイブラハム・リンカーン(第16代)
1865年4月15日、フォード劇場で暗殺される。
1880年当選 ジェームズ・ガーフィールド(第20代)
1881年7月2日、ワシントンの鉄道駅でチャールズ・ギトウによって銃撃され、約2ヶ月後9月19日死去。
1900年当選 ウィリアム・マッキンリー(第25代)
1901年9月6日、チョルゴッシュに銃撃され、 その8日後の9月14日死去。
1920年当選 ウォレン・G・ハーディング(第29代)
1923年7月末からの旅行で重い食中毒を患い、肺炎を発症。 1923年8月2日、サンフランシスコのパレス・ホテルにて脳梗塞で死去。
1940年当選 フランクリン・ルーズベルト(第32代)
1945年4月12日、第二次大戦終戦前に肖像画作成中に脳卒中で死去。
ケネディはこれから書くので飛ばして、
1980年当選 ロナルド・レーガン(第40代)
1981年3月30日、講演会で狙撃され負傷。
2000年当選 ジョージ・W・ブッシュ(第43代)
本人が被害を受ける事件は公にはないが、2001年9月11日に9.11の同時多発テロを経験。
レーガンとブッシュは、ケネディの暗殺事件があったからこそ大統領を厳重に守るシステムがより大きくなり災難を逃れた可能性も否めないのです。20年のジンクスはこのように受け継がれています。
そんな20年のジンクスである1960年に当選した人物がジョン・F・ケネディでした。就任当時43歳で歴代大統領のなかでもっとも若く、かつ20世紀に生れた最初の大統領でもあったのです。
その若さと実業家としての家柄、そして数々の業績もあり、アメリカだけではなく世界で注目された大統領であり、マリリン・モンローとの関係も取り沙汰されていました。それほど注目されるということは敵もその分だけ居ることも暗示していたのです…
1963年11月22日、テキサツ州ダラスのラダス・トレードセンターでの演説のためダラス・ラブフィールド空港からオープンカーのリムジン(リンカーン・コンチネンタル)に乗り込んだケネディ夫妻は、そのまま郊外の演説会場までパレードを行う予定でした。
オープンカーは危険との判断から防弾ガラスのトップを着ける計画があり、ケネディは親しみやすさを強調してトップの装着を反対していたのですが、雨であればトップを着けるという提案で納得したのです。この日の天気は雨雄予報でしたが、ケネディ到着時には晴れたのでトップが外されたのでした。
正午、車は空港を出発。時速16キロというゆっくりとしたスピードでパレードが始まりました。
道中にはケネディに対する反対派のプラカードが掲げられたり、車の前に飛び出して取り押さえられえた男性が居たりしましたが、車はほぼ速度を変えず進んだのです。
出発から30分後、車はテキサス教科書倉庫に近づきます。そして3発の弾が発射されたのです。
定説では
1発は外れる
1発はケネディの身体を右肩下あたりに入り首のあたりから貫通して抜けて、急に変な曲線を描いて前の席に同乗していたテキサス州知事ジョン・コナリーの身体に入り怪我を負わせます(魔法の弾丸)
1発はケネディの頭部に命中して脳が後方に吹き飛ぶ
とされていて、テキサス教科書倉庫の5階からライフルで狙撃されたとなっています。
そして事件の80分後に現場近くにいたリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕され、同日夜に再逮捕されました。
以上が事件の経過です。
最初にも書いた通り、管理人はこれを論じるほど詳しくありません。
しかし、ケネディ元大統領を死に至らしめた2発の弾丸については謎が残ります。
1つは、まっすぐにしか飛ばないはずの弾丸がケネディの身体から離れてコナリー知事の身体に入るにはそれこそ魔法の曲線が必要になること。これについては二人の座る姿で謎が解けるとか、ケネディの身体から出る時に弾道が変わったという説もなされていますが、奇妙ではあります。そしてこれは後ろからの狙撃でした。
もう一つはケネディの頭部を吹き飛ばしたあと、脳の一部や骨が後方に飛んでいること。これは暗殺の瞬間の映像でも確認できますし、そのすぐ後にジャクリーン・ケネディ・オナシス大統領夫人がリムジンの後方に這い出ています。これは逃げ出す為ともされていますが、ケネディの脳や骨を拾いに行ったとの証言が本人から出ています。こうなると前方のしかもそれなりに近い場所からの狙撃と考えられるのです。
この2発の弾丸は、大統領の背後と前方という正反対の2ヶ所から発砲されていることになります。しかし犯人は単独犯となっている。
大きな謎が残るのです。
2013年でちょうど半世紀となり、娘のキャロライン・ケネディ氏が駐日アメリカ合衆国大使として来日してすぐでもあるので注目される事件でもあります。いまだに真相は謎であり多くの説が出ていますのが、それを論じるほど詳しくもないので、簡単な経過を書いていきます。
そもそも、アメリカ大統領には不思議な因縁話があります。就任する大統領が20年ごとに不幸が襲うというものです。
1840年当選 ウィリアム・H・ハリソン(第9代)
1841年3月、大統領就任演説中に引いた風邪をこじらせて肺炎になり、 在任わずか1ヶ月後4月4日に死去。
1860年当選 エイブラハム・リンカーン(第16代)
1865年4月15日、フォード劇場で暗殺される。
1880年当選 ジェームズ・ガーフィールド(第20代)
1881年7月2日、ワシントンの鉄道駅でチャールズ・ギトウによって銃撃され、約2ヶ月後9月19日死去。
1900年当選 ウィリアム・マッキンリー(第25代)
1901年9月6日、チョルゴッシュに銃撃され、 その8日後の9月14日死去。
1920年当選 ウォレン・G・ハーディング(第29代)
1923年7月末からの旅行で重い食中毒を患い、肺炎を発症。 1923年8月2日、サンフランシスコのパレス・ホテルにて脳梗塞で死去。
1940年当選 フランクリン・ルーズベルト(第32代)
1945年4月12日、第二次大戦終戦前に肖像画作成中に脳卒中で死去。
ケネディはこれから書くので飛ばして、
1980年当選 ロナルド・レーガン(第40代)
1981年3月30日、講演会で狙撃され負傷。
2000年当選 ジョージ・W・ブッシュ(第43代)
本人が被害を受ける事件は公にはないが、2001年9月11日に9.11の同時多発テロを経験。
レーガンとブッシュは、ケネディの暗殺事件があったからこそ大統領を厳重に守るシステムがより大きくなり災難を逃れた可能性も否めないのです。20年のジンクスはこのように受け継がれています。
そんな20年のジンクスである1960年に当選した人物がジョン・F・ケネディでした。就任当時43歳で歴代大統領のなかでもっとも若く、かつ20世紀に生れた最初の大統領でもあったのです。
その若さと実業家としての家柄、そして数々の業績もあり、アメリカだけではなく世界で注目された大統領であり、マリリン・モンローとの関係も取り沙汰されていました。それほど注目されるということは敵もその分だけ居ることも暗示していたのです…
1963年11月22日、テキサツ州ダラスのラダス・トレードセンターでの演説のためダラス・ラブフィールド空港からオープンカーのリムジン(リンカーン・コンチネンタル)に乗り込んだケネディ夫妻は、そのまま郊外の演説会場までパレードを行う予定でした。
オープンカーは危険との判断から防弾ガラスのトップを着ける計画があり、ケネディは親しみやすさを強調してトップの装着を反対していたのですが、雨であればトップを着けるという提案で納得したのです。この日の天気は雨雄予報でしたが、ケネディ到着時には晴れたのでトップが外されたのでした。
正午、車は空港を出発。時速16キロというゆっくりとしたスピードでパレードが始まりました。
道中にはケネディに対する反対派のプラカードが掲げられたり、車の前に飛び出して取り押さえられえた男性が居たりしましたが、車はほぼ速度を変えず進んだのです。
出発から30分後、車はテキサス教科書倉庫に近づきます。そして3発の弾が発射されたのです。
定説では
1発は外れる
1発はケネディの身体を右肩下あたりに入り首のあたりから貫通して抜けて、急に変な曲線を描いて前の席に同乗していたテキサス州知事ジョン・コナリーの身体に入り怪我を負わせます(魔法の弾丸)
1発はケネディの頭部に命中して脳が後方に吹き飛ぶ
とされていて、テキサス教科書倉庫の5階からライフルで狙撃されたとなっています。
そして事件の80分後に現場近くにいたリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕され、同日夜に再逮捕されました。
以上が事件の経過です。
最初にも書いた通り、管理人はこれを論じるほど詳しくありません。
しかし、ケネディ元大統領を死に至らしめた2発の弾丸については謎が残ります。
1つは、まっすぐにしか飛ばないはずの弾丸がケネディの身体から離れてコナリー知事の身体に入るにはそれこそ魔法の曲線が必要になること。これについては二人の座る姿で謎が解けるとか、ケネディの身体から出る時に弾道が変わったという説もなされていますが、奇妙ではあります。そしてこれは後ろからの狙撃でした。
もう一つはケネディの頭部を吹き飛ばしたあと、脳の一部や骨が後方に飛んでいること。これは暗殺の瞬間の映像でも確認できますし、そのすぐ後にジャクリーン・ケネディ・オナシス大統領夫人がリムジンの後方に這い出ています。これは逃げ出す為ともされていますが、ケネディの脳や骨を拾いに行ったとの証言が本人から出ています。こうなると前方のしかもそれなりに近い場所からの狙撃と考えられるのです。
この2発の弾丸は、大統領の背後と前方という正反対の2ヶ所から発砲されていることになります。しかし犯人は単独犯となっている。
大きな謎が残るのです。