彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

治部蛍 飛ぶ

2017年06月17日 | イベント
ひと月ほど前に、佐和山城址に飛ぶ蛍を「治部蛍」と呼ぼうと呼びかけを始めました。

それから何度か佐和山城址の内堀跡を訪れてみましたし、賛同して下さる方からの報告もいただいていて、今年も僅かですが治部蛍が確認されています。

黄昏刻に大手口に行くと、まずはキレイなマジックアワーに心洗われ、陽が沈むと蛍の舞が始まります。

目撃例が多いのは、がもう道に通じる道の内堀付近ですが、今頃になると大手口でも数匹の蛍が光を発していました。

まだまだ数は少ないですが、もしかしたら三成も見たかもしれない蛍たち…
治部蛍は、観に行くよりも見つけに行く蛍ですから出会えた時の喜びもひとしおですよ。


関連地 彦根市 佐和山城跡
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

150年前:『船中八策』(6月12日)

2017年06月12日 | 何の日?
慶応3年(1867)6月12日、坂本龍馬が『船中八策』を後藤象二郎に示しました。

…と、あたかも当然のように書きましたが、実は『船中八策』が誕生した日は6月15日として知られています。この日に龍馬は長岡謙吉に船中八策を清書させて見せていることが中岡慎太郎の日記にあるとの記述が『坂本龍馬海援隊始末記』に載っているからです。

しかし、実際には後藤象二郎らと共に上洛するべく、6月9日に藩船夕顔で長崎を出発した龍馬が、12日朝に兵庫に到着する間のいずれかで後藤に示したものだと考えられます。だからこそ“船中”という文字が入るのでしょう。
でも船中八策はその原本は見つかっておらず、写本もありません。

『坂本龍馬海援隊始末記』に全文の写しがあるのです。

その内容は

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜ク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。

とあります。

大政奉還、二議会制、内閣制度、不平等条約の解消、憲法の制定、海軍拡大、御親兵創設、為替ルート安定という明治政府の根幹ともなるものですが、この前の月(5月17日)に赤松小三郎が福井藩の松平春嶽に提出した『庶政一新に関する意見書』に酷似していて、これが由利公正から明治政府に示され『新政府綱領八策』になった筈が、龍馬伝説のために『船中八策』という新しいフィクションを後世の人が入れたのか、それとも龍馬が小三郎の『庶政一新に関する意見書』を知っていて、それを基に『船中八策』を作ったのか、いずれにしても船中八策は、作成された過程から後世の評価まで、様々な謎を残したままなのです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ブルーインパルス 展示飛行

2017年06月04日 | イベント
『彦根眺城フェス』としてブルーインパルス展示飛行が行われました。

朝から彦根駅前では15,000枚限定の団扇が配布され、時間前からたくさんの方が来られ行列になっていました。


メイン会場は金亀公園。
パイロットのサイン会を始めとする多くのイベントが行われました。
彦根の名物を探す、井伊碗グランプリもありましたが、さすがに全種類は食べられずなんとか三種食べてみました。





13時からは、メインイベントのブルーインパルス展示飛行開始。
金亀公園では解説付きでしたので、見所がよくわかりました。









昨日のテスト飛行に続き、天気に恵まれた大イベントとなりました。

会場 彦根市 彦根城
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ブルーインパルス展示飛行 テスト飛行

2017年06月03日 | イベント
彦根眺城フェスのメインイベントとして、ブルーインパルス展示飛行が行われる前日に、テスト飛行がありました。

予定では13時から。

事前に彦根市から出ている禁止事項を耳にしていましたので最初は芹川堤から眺望しようと思ったのですがイマイチ見え難い感じでしたから西中の前に移動してみました。

13時を少し過ぎた辺りで、天高く音が鳴り響きブルーインパルスが飛来。

雲を作りながら次々と演舞が行われました。







風が強くて、雲がすぐに流れてしまうのが寂しかったですが、迫力のあるカッコイイ航空ショーでした。

本番は、イベント会場で観る予定。

会場 彦根市彦根城周辺
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

治部蛍計画

2017年05月14日 | イベント
石田三成の居城だった佐和山城。
関ヶ原の戦いの後に落城し、石田一族の墓標ともなったお城です。

その佐和山城の大手口付近に残る内濠跡とされる小川には、蛍が出現します。
数は少なく儚い光を発する蛍たちですが、それはまるで夢の途中で亡くなった三成公にも重なります。

という訳で、佐和山城址の蛍を「治部蛍」と名付け、守りはぐくんで行こうと思い、花しょうぶ通り商店街で行われた「おおたににゃんぶ誕生祭」で来場された皆様の前で協力を依頼しました。

佐和山城の蛍が「治部蛍」と周知され守って行けるように、よろしくお願いします。



関連地 彦根市 佐和山城址
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月1日、大津~長浜の鉄道連絡路が開港

2017年05月01日 | 何の日?
明治15年(1882)5月1日、東海道本線を結ぶ手段として大津~長浜の鉄道連絡路が開港しました。

イメージとしては青函連絡船と同じような役割です。もっともこの区間は湖の上ですし時代も古いので、鉄道を運ぶわけではありません。
この年に、敦賀から長浜までの鉄道が通ったために、長浜から大津を結ぶ道としてできた日本最初の鉄道連絡船が琵琶湖上で運用されたのです。

もともと明治2年に大聖寺藩が贋金で設けた資本を元手に琵琶湖上に一番丸を就航させたことから琵琶湖上の運輸は盛んになっていたのですが、バラバラでまとまった組織がない状態だったのです。それを藤田組(現・DOWAホールディングス)が頭となって太湖汽船を立ち上げたのです。明治15年時点で18隻を太湖汽船が管理し、大切な水上交通を担っていました。
明治16年には東海道線が長浜まで繋がり、東海道を結ぶ重要な施設になります。

しかし明治22年に長浜から膳所駅までが東海道線で繋がると鉄道連絡船の用途は終わりを迎えたのです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

150年前:外国総奉行設置(4月24日)

2017年04月24日 | 何の日?
慶応3年(1867)4月24日、江戸幕府が外国総奉行を新たに設置しました。

安政5年(1858)6月19日に日米修好通商条約が締結されると、幕府と外国との交渉事が出始めたために、幕府は外国奉行を新たに設置して、諸外国との交渉にあたらせていました。
当初は5人だった奉行なのですが、諸外国との問題が多く発生して、そのたびに外国奉行の人数を増やしていたので、外国奉行をまとめるための役職が必要となったのです。
それが外国総奉行でした。

しかし、外国奉行を纏めるためだけに仕事をするわけにもいかず、若年寄などとの兼任になっていたのでした。

そんな外国総奉行ですが、設置から半年後の10月14日に大政奉還が行われて、幕府が崩壊してしまったために、すぐに廃止されることになり、実質そのような仕事だったのか?実際にどんなことを行ったのかは、ほとんど世に知られていないのです。
唯一といっていいほどの歴史に残る事例が、大政奉還後の12月に外国総奉行に就任した堀直虎という人物が翌年1月17日に江戸城内で突然自害して果てたことです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新野左馬助公献茶式

2017年04月09日 | イベント
昨年に続き、今年も参加してきました。

朝は生憎の雨に降られ心配していましたが、酷いことにはならなかったので左馬武神社で始まりました。



まずは献茶式の神事が行われ、新茶の恵みに感謝します。
そこから、新茶会と続きました。

今年は『おんな城主 直虎』が放送され、直虎の伯父である新野左馬助が活躍していたこともあり、左馬助を演じられていた苅谷俊介さんも参加されました。
ドラマでは今川にいじめられてしまう目付であり好々爺だった左馬助ですが、苅谷さんも実際の左馬助もカッコいい男性という共通点があるように思います。

献茶式が終わる頃には雨も気にならない程度となりました。

新野左馬助公顕彰会を発足された故鈴木東洋先生の旧宅で展示されている資料を楽しむ時間もあり有意義な時間となりました。









関連地 御前崎市新野
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『Over the SEKIGAHARA』

2017年03月25日 | イベント
夢京橋あかり館で墨絵師御歌頭さんによるライブペイント『Over the SEKIGAHARA』が行われました。

彦根で御歌頭さんといえば、二年前に治部少丸で行われた壁へ石田三成を描いたライブペイントがよく知られるようになりましたが、今回は二日に分けて関ケ原の戦いに関わった武将を五人描かれたのです。

石田三成、徳川家康を一日目





管理人は、この時は観に行けませんでしたが、二日目をじっくり観てきました。

二日目は、大谷吉継と島左近






そして、井伊直政と騎馬軍団




島左近に槍を持たせて完成


凄い迫力で、御歌頭さん技術がふんだんに入っている贅沢な作品です。


全体像


御歌頭さんも入って下さいました。




彦根城に近い夢京橋キャッスルロードのあかり館2階の「MITUMARI11」で常設展示されることになります。
治部少丸の三成同様にこれを目的にしても間違いない物です。
ぜひ、観にきて下さい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『井伊家千年紀』

2017年02月02日 | 書籍紹介
毎月第四日曜日に、滋賀県の湖東湖北地域の読売新聞に折り込まれる地域情報紙の『DADAジャーナル』で僕が連載している「湖東湖北ふることふみ」から井伊家千年の歴史だけをまとめた『井伊家千年紀』が本日、遂に形になりました。


入手方法は、
1.著者である管理人を捕まえる。
2.日曜日からは、繖山の石馬寺に置いています。
3.DADAジャーナル編集部に注文する。

が確定です。
今からもしかしたら方法が増えるかもしれませんのでその時はお知らせします。

また
3の場合、680円切手と送付先のメモを書いた紙を入れて、
〒522-0064
彦根市本町2-2-3
DADAジャーナル編集部
にお送り下さい。

50ページ強の冊子ですが、まえがきを井伊谷龍潭寺のご住職が書いて下さっていますし、表紙は墨絵師・御歌頭さんの『井伊直虎』です。
定価は税込500円ですが、たぶんこの二点だけでも定価以上の価値ある気がします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加