彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『井伊直虎 学習会』現地学習会

2016年08月31日 | イベント
前回から一か月ぶりに『井伊直虎 学習会』が行われまさした。
今回は井伊谷龍潭寺まで行って現地での学習会を行う内容です。

彦根市役所から50名弱がバスにのり井伊谷を目指します。
休憩を含んだ三時間半の道程を越えて到着。

前住職の武藤全裕さんが、本堂やお庭などを丁寧に説明して下さいました。








墓所では、井伊直虎のお墓や歴代のお墓もお参り

直親を助けた今村藤七郎のお墓なども説明して下さいました。

そして、直虎が亡くなった地ともされている松岳院跡

井伊家の始まりの井戸も訪れました(写真撮り忘れ)

駆け足でしたが、井伊家の始まりの一部を覗き見た現地学習会でした。

井伊直虎は、井伊谷ではなく近くの伊平で誕生したのではないか?との説を最近耳にしましたが、道中見ていると伊平では「直虎誕生の地」と案内されていました。

浜松での対応の早さには頭が下がります。

夕方に彦根帰還。
市税を使った勉強会ですので、参加者は今回学んだことを伝えて行く役割を担っています。
しっかりと、アウトプットして行ける責任を果たさねばなりませんね。


関連地 浜松市北区引佐町 龍潭寺
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『直虎フォーラムin浜松』

2016年08月27日 | イベント
午前中に妙雲寺や龍潭寺で井伊直虎の命日法要が行われるましたが、午後からは浜松市みをつくし文化センターホールで『直虎フォーラムin浜松』が開催されました.
浜松市みをつくし文化センターホールは、2017年1月15日から一年間『おんな城主 直虎』大河ドラマ館となる場所でもあります。

直虎フォーラムのプログラムとして、4つの項目が進められました。

ますばパネルディスカッション「井伊家と遠州」
・コーディネーター:磯田道史先生

・パネリスト:井伊家18代当主・井伊直岳さん、時代考証を担当される小和田哲男先生、浜松市長・鈴木康友さん

内容は、井伊家は鎌倉時代には八介と称されくらいの名家でありながら南北朝時代以降負ける方についてしまうことが続き、直虎の時代には苦労していたこと。
小和田先生が戦国時代には立花道雪の娘の誾千代のように女性が城主になった例があり、女城主といえば岩村城の信長の叔母が浮かびますが、実際に女性が城に籠って戦った例はあり江戸時代以降の男尊女卑ではなかったとのこと。直虎は井伊家の男が居なくなり窮余の策として男の名を名乗って井伊家を継いだとのこと。
今川家では、寿桂尼が一時期女戦国大名で女性が家をひっぱっているので、女城主ありという考えではなかったのか?とのことでした。
磯田先生は、それならば南渓和尚が居たのではないか?との質問に、小和田先生は龍潭寺の過去帳で調べると南渓和尚の父親に井伊直平以外の名前があり、南渓は養子だったのでは?とも考えられますが、答えは出ていないのことでした。
直虎以外に井伊家に活躍した女性は?と磯田先生が井伊さんに訊ねると、来年で生誕100年を迎える井伊文子さんを紹介され、文化や福祉や沖縄の為に尽くされた話がありました。
また、直虎の女性像について小和田先生は芯の強い人物だと思いますが資料が少ないので人間性がわからないとのこと、ただ女性が花押を使うのは他に例がなく発想ができる女性でもあったのではないかとのこと。
磯田先生は、今川徳政に対抗した肝の強い人だったと思うとのことでした。
直虎の歴史的意義は、井伊直政を育て徳川家康に引き合わせたことなのだそうです。
また磯田先生は、井伊家の強さは、武田遺臣を任された武力の強さ、外交官としての強さ、そして頭陀寺の松下家などを使った情報力の三つの強さがあり、井伊谷に有能な人材が出たのは大国に挟まれた谷間の国で蹂躙される交通の養殖だったために、こういう地で外交や交渉に優れた人物が育つとのことでした。
小和田先生は、『おんな城主 直虎』では今川家の町や民と交流する直虎など戦国時代を視覚的にも楽しんで欲しいとのこと。
鈴木市長は、浜松市は多くの人が関わり大事な土地でありながらメインではないので、出世の地としての浜松市をアピールしたいとのことでした。

続いて、井伊直虎ゆかりの地浜松マスコットキャラクターとして募集されていた「出世法師直虎ちゃん」の初お目見えでした。

浜松市のゆるキャラの出世大名家康くんも登場して盛り上がっていました。


その後は、井伊直虎ゆかりの地のアピール
彦根市長がトップバッター


最後にこれらの都市が協力して井伊直虎をアピールする直虎宣言が行われました。
↓以下、聴き取りで纏めました。
一、千年の歴史を持つ井伊家のゆかりの地として、地域の歴史と文化を大切にします。
二、各市町の歴史と文化を尊重し、相互の情報交換と多面的な交流を進めます。
三、相互の観光交流を促進することで、交流人口の拡大と観光産業の振興に努めます。
四、地域が持続的に発展できるようおもてなし体制の整備、歴史や文化を活かした町造りを進めます。
こうした取り組みを具体的に進めるため、今国会関係市町によるサミットを開催していきます。

こうして無事に『直虎フォーラムin浜松』は閉幕しました。

なお、今回のフォーラムは浜松市民に向けた抽選が行われたイベントで、彦根市民である管理人は聴講対象ではありませんでしたが、井伊直虎市民応援隊としての井伊谷龍潭寺さんとの交流を通じての関係者さまのご厚情で席を用意していただきました。
お礼申し上げるとともに、現地での様子をお伝えすることがご恩返しと思い急ぎまとめさせていただきました。
浜松市の皆さん、ありがとうございます。


開催地 浜松市北区細江町気賀 みをつくし文化センター
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井伊直虎顕彰法要

2016年08月26日 | イベント
大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎は天正10年(1582)8月26日に亡くなりました。
生年が不明ですが、没年齢は40代半ばから後半と言われています。
今年は435回忌になります。

亡くなった場所は諸説ありますが、龍潭寺の松岳院ともいわれています。


そして、ドラマを翌年に控え井伊家の菩提寺である井伊谷龍潭寺で命日法要が行われました。

周辺の寺院から26名の僧侶が集まった大きなイベントで井伊家現当主や彦根市・浜松市など関係地域の市長、ドラマの時代考証の小和田哲男先生、浜松市文化顧問の磯田道史先生などが参加されました。

井伊家歴代をお祀りするお経が読まれ、参列者の方々のご焼香などが厳かに行われていきます。
井伊家現当主の直岳さんのご挨拶

ご住職のご挨拶があり、無事に式は終わりました。


法要終了後に、井伊直虎を演じられる柴咲コウさんがお見えになりました。
個人的なことですが、偶然に1度目に山門ですれ違ったときは二度見してしまい、2度目はお墓に献花されているのを木々の隙間から拝見しました。
↓献花されたお花

そして、お寺の中での記者会見の帰りにもう一度目撃しました。

柴咲コウさんに小柄なイメージはなかったですが、実際に拝見すると小柄な美人。
来年の大河ドラマをどう演じられるのか、楽しみです。


関連地 浜松市北区引佐町 龍潭寺
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森一族供養の石筒

2016年08月23日 | 史跡
8月20日の読売新聞に森可成の子孫とされる森若狭守(誰だ?)が一族を供養するための石筒を大津市坂本2丁目の浄光寺に立ていたことが確認されたとの記事がありました。
記事の中に8月21日に森若狭守が石筒と同じ頃に奉納した地蔵菩薩像も公開される(こうした公開は初めてとのことです)と書かれていたので、観てきました。



境内には地蔵菩薩像があるお社があります。

その脇に立つ石筒には「奉納」「森若狭守」と刻まれています。



また、地元の方のご厚情で地蔵菩薩様のお写真を撮らせていただきました。
綺麗に護られてきたことがうかがえる美しい仏様でした。


浄光寺から2キロほど離れた場所には、宇佐山城が落城した時に森可成の遺体が運ばれて埋葬された聖衆来迎寺があり、ここに可成の墓があります。

森一族にとても縁が深い地域なのですね。
余談ですが、聖衆来迎寺には織田信忠の側室で秀信(三法師)の生母・寿々(鈴姫)のお墓もあります。
一説には寿々姫は森可成の娘とも言われているからだろうと考えられます。



関連地 大津市坂本2丁目 浄光寺
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『のぶニャがの野望 ねこ軍議〜飼い猫はどいつニャ?〜』滋賀公演

2016年08月21日 | イベント
戦国武将を猫キャラにした人気ゲーム『のふニャがの野望』の舞台公演「のぶニャがの野望 ねこ軍議〜飼い猫はどいつニャ?〜」滋賀公演を観に行きました。



のぶニャがの野望のネコ武将たちを使った人狼ゲームを舞台化したものです。
石田軍、徳川軍、そして蘇った織田軍の13匹の猫ネコ武将から、人間に飼い慣らされてしまった3匹、それに追従する1匹など、それぞれの役割をどのネコ武将が演じているのかを当てていく、観客を巻き込んだ内容でした。
考えながら観るのは楽しかったですが、どうしても解らない役割が一つだけあって、そこは不完全燃焼。
解らないと悔しくなるくらい集中しました。

こういう舞台ならヒントを探すために真剣に観るのでそこも楽しいでしょうね。
全問正解すると、ピンクの小判が貰えたそうです。

しかも、ピンクの三成甲冑を着た林家ペーさんから…


会場には『のぶニャがの野望』のキャラたちも登場

ぺーさんや、神桜舞の二人も一緒に会場を盛り上げてくれていました。

滋賀ではあまり見かけない公演でしたから新鮮な気分でした。


会場 米原市 ルッチプラザ
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陸上男子400mリレー パブリック・ビューイング

2016年08月20日 | イベント
リオデジャネイロオリンピックで、彦根市出身の桐生選手が活躍する陸上男子400mリレーがあり、ひこね文化プラザでパブリック・ビューイングが行われました。

10時30分頃に出場の予定でしたが、開場は8時30分。
管理人は少し遅れて9時30分前に行きましたが、その時は3割ほどしか埋まっていませんでした。
彦根周辺では他のイベントや陸上競技も重なって参加できない方も多かったそうです。

しかし、時間になれば会場は多くの人で賑わいました。
用意されたくす玉が割れるのかも注目でした。
そして、時間になり、選手のたちの入場が映し出されると会場のテンションも上がります。

「ニッポン!ニッポン!」の掛け声も大きく最高潮。
いざレース
山縣選手、飯塚選手がいい感じでバトンを繋ぎ、桐生選手も大活躍!
ケンブリッジ選手がウサイン・ボルト選手のすぐ後ろを走り、アメリカよりも早い2位になりました。
このあとアメリカは失格になっちゃいますが、そんなことは関係ない正真正銘の銀メダルです。
会場全員が止まない声援と万歳を繰り返し、彦根市長によるくす玉割りとも行われました。
日本陸上界に大きな伝説を残す素晴らしい時間でした。
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『ヴェネツィア展』

2016年08月15日 | イベント
守山市の佐川美術館で8月28日まで開催されている『ヴェネツィア展』を観てきました。
ボストン美術館からヴェネツィアをテーマにした作品をピックアップした作品展で、中世から現代までの500年間の芸術を観ることができます。

運河都市として、多くの芸術家を魅了したヴェネツィアは水と建物のバランスや人の営みがどことなく琵琶湖に寄り添った滋賀のようでもあり、水をふんだんに使って外観を演出している佐川美術館では特に合っている展示に感じました。


メインはクロード・モネの『ヴェネツィアの大運河』です。
(写真は販売されている絵はがき)

他にもじっくりみたいな作品がたくさんありました。
(ヤコポ・デ・パルバリ『ヴェネツィア鳥瞰図』)


絵画だけではなく、写真や壺、レースの作品、そして衣装、ヴェネツィアンマスクと呼ばれる物も観ることができました。
日本人の吉田博(風景画家)の作品も展示されていて、時代だけではなく多国籍の視点、様々な芸術様式を楽しめたところも魅力のひとつでした。
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桐生祥秀選手を応援

2016年08月14日 | イベント
彦根市出身でオリンピック出場を果たした桐生祥秀選手の活躍をパブリック・ビューイングで観戦するイベントが、ひこね市文化プラザで行われました。

21:30開場と案内されていたにも関わらず、20:30に到着した時にはすでに待っている人が居るくらいに期待されていて、270名と案内されていた会場はいっぱいになっていました。

21:45にイベントが始まりましたが、男子100m予選が行われるのは午前0時からとのことで、2時間の間に桐生選手の小中学校の時の先生やチームメイトが思い出話などを紹介していました。

そして午前0時。
ついに男子100m予選が始まります。
桐生選手は、7レースということで少し後になりますが、4レースにケンブリッジ飛鳥選手が走るので、まずはケンブリッジ選手を応援。
見事に、予選通過。

6レースが終わり、7レースの準備のために桐生選手が登場すると会場の熱気は上がります。
桐生コールが続く中、画面上ではレースの準備が着々と進んでいました。
いよいよレースが始まる直前、桐生選手と一緒に走るウサイン・ボルト選手が映り、競技場の静粛を求めるように口の前に右手人差し指を当てると、地球の反対側である彦根でも桐生コールがサッと止まり全員が画面に集中しました。

そして、スタート。
会場で配られたピンクの棒状の風船2本を叩いて応援します。
たった10秒強の勝負が長くも感じられ、一瞬でもありました。
上位2人が準決勝に進めるレースでしたが桐生選手は惜しくも4位、準決勝進出とは行きませんでしたが、ウサイン・ボルトと一緒に走るという経験が東京までの四年間にまだまだ高みに達してくれると信じています。

次のレースでの山縣選手も応援、山縣選手も準決勝進出となりました。

ここで、パブリック・ビューイングイベント終了。
3時間以上の長丁場でしたが、最初から最後まで冷め止まない熱気は、心地良い時間でした。

管理人はスポーツのパブリック・ビューイングを始めて経験しましたが、短い時間でもこれだけ盛り上がるのですから、サッカーや野球などはもっと熱く激しいのでしょうね。
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7月30日東京強行旅行記 その3〜矢口の渡し〜

2016年08月05日 | 史跡
今回の東京行きの目的は、矢口の渡しで起こった新田義興殺害事件の現場や関連史跡を巡ることでした。
そのために、現在も「矢口の渡し」として知られている場所に向かうことにしました。

JR蒲田駅で東急電鉄に乗り換えて東急多摩川線の矢口渡駅で下車。ひたすら多摩川に向かって川にぶつかると、多摩大橋が見えます。



この橋の少し上流に矢口の渡し跡の案内板があります(トップ写真)。
そのすぐ近くの川辺


多摩川は大河であり、映画『シン ゴジラ』でも都心への大型生物の侵入を防ぐ防衛ラインになっていたように昔から江戸を守るための防衛ラインの一つでした。
このために激しい川だったことが容易に想像され、歴史の中で頻繁に流れを変えていたのです。
現在の多摩大橋付近が矢口に渡しだったのは江戸時代のことであり、新田義興が討死した時はこの場所ではなかったのですが、義興の話を平賀源内が『紙霊矢口渡』という物語として発表し人気が出たために、江戸後期にはこの場所が現場として人気があったそうです。
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7月30日東京強行旅行記 その2〜柘榴坂〜

2016年08月03日 | 史跡
二年前に公開された『柘榴坂の仇討
物語に登場する井伊直弼以外は全員架空の人物であり、桜田門外の変以外もフィクションですが桜田門外以降の彦根藩士の苦悩と夫婦愛を描く物語として、彦根市民にとって大切な作品となりました。
仇討自体はフィクションでも、品川駅から伸びる坂道は柘榴坂であり、物語の舞台でもあります。
映画自体、管理人もエキストラとして参加していたこともあり品川駅まで行ったからには彦根市民としても個人的にも思いれがあるこの場所によってみようと思いました。

品川駅の西口を降りると、正面に石碑があります



歴史上は新橋~横浜間が日本最初の鉄道の開通となっていますが、実は新橋~品川間は工事が遅れ先に品川~横浜が開通しました、ですので実際の開通よりも早くに品川から鉄道が始まったことを記念する石碑です。

この石碑の向こうに見える坂道が柘榴坂です。

北に薩摩藩下屋敷、南に久留米藩(有馬家)下屋敷という大きな敷地の屋敷に挟まれていて、柘榴の木があったことから柘榴坂と呼ばれたとの話があります。しかしこの柘榴の木がどこにありどうなったのかはよくわからないそうです。

無理やり井伊家と結びつけるなら、坂に直接接してはいませんがすぐ近くに井伊右京(与板藩藩井伊家)の屋敷があったとされていますが、物語には関係ないと思います。

何もない場所かもしれませんが、映画のクライマックスとなる雪中での殺陣を思い出すような場所でした。
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