今回の東京行きの目的は、矢口の渡しで起こった新田義興殺害事件の現場や関連史跡を巡ることでした。
そのために、現在も「矢口の渡し」として知られている場所に向かうことにしました。
JR蒲田駅で東急電鉄に乗り換えて東急多摩川線の矢口渡駅で下車。ひたすら多摩川に向かって川にぶつかると、多摩大橋が見えます。
この橋の少し上流に矢口の渡し跡の案内板があります(トップ写真)。
そのすぐ近くの川辺
多摩川は大河であり、映画『シン ゴジラ』でも都心への大型生物の侵入を防ぐ防衛ラインになっていたように昔から江戸を守るための防衛ラインの一つでした。
このために激しい川だったことが容易に想像され、歴史の中で頻繁に流れを変えていたのです。
現在の多摩大橋付近が矢口に渡しだったのは江戸時代のことであり、新田義興が討死した時はこの場所ではなかったのですが、義興の話を平賀源内が『紙霊矢口渡』という物語として発表し人気が出たために、江戸後期にはこの場所が現場として人気があったそうです。
そのために、現在も「矢口の渡し」として知られている場所に向かうことにしました。
JR蒲田駅で東急電鉄に乗り換えて東急多摩川線の矢口渡駅で下車。ひたすら多摩川に向かって川にぶつかると、多摩大橋が見えます。
この橋の少し上流に矢口の渡し跡の案内板があります(トップ写真)。
そのすぐ近くの川辺
多摩川は大河であり、映画『シン ゴジラ』でも都心への大型生物の侵入を防ぐ防衛ラインになっていたように昔から江戸を守るための防衛ラインの一つでした。
このために激しい川だったことが容易に想像され、歴史の中で頻繁に流れを変えていたのです。
現在の多摩大橋付近が矢口に渡しだったのは江戸時代のことであり、新田義興が討死した時はこの場所ではなかったのですが、義興の話を平賀源内が『紙霊矢口渡』という物語として発表し人気が出たために、江戸後期にはこの場所が現場として人気があったそうです。