「宴も半ば」というタイトルの絵です。
美味しかった巨峰です。
残した物か残ったものか、「余り」が皿の上に残っています。
友人にパンを届けに行きました。
お返しに、飲みかけの久保田万寿をいただきました。
これでは、バランスがとれないと言いながら、いただいてきました。
余りもののようなものですが、そうではありません。
あげる物は、常に一級品です。
自分が美味しいと思うものだからあげようと思います。
深夜、冷え込みました。
灯油を足しに外に出ることになりました。
植えたトマトの苗が心配になるほど冷えました。
もてる男がいました。
たくさんの彼女がいました。
余りはないのかと待っていましたが、
決して余るような回ってくるようなことは起こりませんでした。
今日のタイトルは、「余り」です。
事をした結果、出た残り。
物事が普通(正当)と思われる程度を越えること。過度。法外。あんまり。
それほど。そんなに。
さらに余分のあることを示す。
「余り」とは、良いことのような、そうでもないことのような言い回しです。
私の「余り」に感じることは、
冒頭に述べたように、良いものの残り物です。
人は、常に余分を用意します。
それが自然です。
「満足がいくであろう」のちょっと上を準備します。
人生に「余り」はあるでしょうか。
こればかりはないようです。
お年寄りが、「おまけのような」残り(将来)の人生だ、
と例えることがあります。
当然ながら、死ぬまで生きる。
決して余りではない、厳しいはずです。
この方の人生は、満足がいくものだったのでしょう。
これからも、おまけ(余り)のような良いことがあるように
思われているのでしょう。
若かった頃の私のように、
余り(おまけ)が回ってきてもよさそうだと思われていますか。
こればかりは、人からは決して回ってこないものです。
余韻を残して生きたいものです。
ああ、終わったか。
と本編のあとのコマーシャルを見ているような気分になれるでしょうか。
抜ける空 余りと余計 紙一重
2017年4月28日