故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

準備

2016-10-31 06:01:28 | プロジェクトエンジニアー

今日のテーマは「準備」です。
あることをするのに必要な物や体制を前もってととのえること。用意。仕度。
(広辞苑より)
私の気持ちとしては、「仕度」が新鮮でピッタリ来ます。
国際交流、フェスティバルの準備の合間にカフェの草刈りと移住の取り組みをします。
柿の実をいただき、たる柿や干し柿にします。
合間を縫ってゴルフもやります。友人と酒も飲みます。
一人になれば、似顔絵描きです。
中学2年生67人の似顔絵を終業式(12月20日)まで仕上げます。
すべて、仕度です。

人生の仕舞い方のような気もします。
やり残したことがいっぱいあります。
あっさりさーと終わっても良い。
グッドバイと笑顔で。

プロジェクトでも、恋愛でも準備をいっぱいしました。
恋愛では、シミュレーションだけで果ててしまいました。
プロジェクトはそうはいきませんでした。
仕事だと思っていましたから。
思いつくことを期限までに、今やることを順番にこなしてきました。
常にこうしようああしようと考えていました。
あいさつをいつ振られても、応えることができました。
カラオケは常に一番先に、皆の準備が整わぬうちに。
つまりどさくさに紛れて。あれいつ終わったの。下手だったね。

なにが起きてもあわてない。
こんなことを願っています。
やらないと気が済まない。し掛かりの仕事がいっぱいあります。
自分の目指すレベルまで仕上げます。ほとんどが不十分です。
それでも良い。とにかく前に進んでいます。
中国人は、高い山に登ると決めて親子三代の人生をかけてもやり抜くと聞きました。

昨日の「箪笥の金具に布を巻く」ような
わくわくの時がいつ訪れるかもしれないから身体を整えておきます。
セブンイレブンも産直もチャンスロス(売れるのに売るものがない)を一番嫌います。
ノーチャンスでも代打の順番を待っています。
イチローと同じで、使ってもらってなんぼですから。

物事には突発事項がつきものです。
「ありゃ」てなもんです。
あわてない、騒がない。
蚤(のみ)に気付いても、「彼にもかじる権利がある」と見逃します。
蜂にも刺す理由があるのです。
これでもかと毎日過ごします。

手をかざし 岬の向こう 波砕け

2016年10月31日
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寸暇を惜しんで

2016-10-30 19:09:07 | よもやま話

やっと、自分の時間がもてました。
これからまた出かけます。

今日のタイトルは、「寸暇を惜しんで」です。
今度、中学生と国際交流をします。
私の持ち時間は、5分です。
国際交流の時間は、30分です。

これだけなのですが、初めてのことでもあり準備に大変な時間がかかりました。
これだけの時間がかかるのは、当然です。
快く引き受けてくださった、外国の方(グループ)にも中学校にも感謝です。
できるだけ、分かりやすく伝わりやすく、また長く続くように願っています。

休みの日は、意外と忙しくなります。
都会では、自分の暮らしだけを考えていればよいのですが、
地域に来るとそうはいきません。
朝早く訪ねて来られる方もいらっしゃいます。
窓から、「来たよ」と声がかかります。

そういえば、この地域のつくりは頑丈で、40cmの柱に80cm梁を使います。
そんなうちでも、廊下はありません。
ぶち抜きで、結婚式はできるけど個室というものはありませんでした。
若夫婦の最初の仕事は、箪笥の金具に布を巻くことだそうです。
わずかな振動でも、カチャカチャとおとがするからだそうです。
この話を聞いたときは、大笑いをしました。意味がわかりますか。

寸暇を惜しんで書いてる割には、オチが下品ですみませんでした。
さあ、出かけます。

2016年10月30日
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男と女(Part2)

2016-10-29 07:36:43 | よもやま話

火野正平さんに似た良い男です。
こんな人がいるから世の中面白い。
正平さんほど助べえかどうかしりません。


今日のテーマは、「男と女(Part2)」です。
書くには、経験不足です。
修羅場をくぐり抜けた数が少ない。
もてる男になったことがないので、書きにくいテーマです。

惚れた男が浮気する。
これは、いたしかたない。
会ったときから、競争に勝って一緒になったのだから。
一つや二つの浮気くらい大目に見てよ。
とっちめるのもほどほどにしてあげてね。

他の女と一緒になりたいんなら、「どうぞ」と言ってみよう。

以前、パジャマが二枚の友人の話を書いたことがあります。
男たちは、「ちゃんとしろよ」とアドバイスを送りました。
その男、三枚目のパジャマと一緒になったから偉い。

好きになるのは、女でも男でも自分勝手です。
相手にその気持ちがないのなら、次にアタックです。
そうして頑張ってきました。
あんまり変わりはないかなと一緒になりました。
そのくらいがちょうど良い。
だから、一緒の墓に入りたくないと言われたりもします。
もう一度人生があるなら、あなたと一緒に暮らしたいと言われるかも。
迷わず、目の前の好きな人に「させていただきます」と頑張ることです。

男と女。
みょうちくりんで、正解のないパズルです。
やっぱり私にゃ不向きのテーマでした。

浮気しり 焼けぼっくいの 煙消す

2016年10月29日

2015年6月19日投稿記事「男と女」
2015年2月6日投稿記事「パジャマを二枚」も参照ください。
若い時こそ気の迷いがあるものです。
若い時だからやり直せます。
この歳じゃ怖くて怖くて。
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作為

2016-10-28 06:27:18 | よもやま話

いまいちです。
作為的なこころが見え隠れしています。
素直な気持ちが表現できませんでした。
私は、この娘ののびやかな足が好きでした。
ずんぐりむっくりになってしまいました。
またの挑戦です。


今日のテーマは「作為」です。
邪心でいこうと思いましたが、少し違います。
よって、作為としました。
作為とは、
ことさらに手を加えること。こしらえること。
(法律)積極的な行為・動作または挙動。金銭を渡す、人を殺すなどがその例。
(広辞苑より)
迷いがあります。自分の正直な描き方ではない。
何か受けを狙っているような絵の描き方になってしまいました。
ひたすら素直で正直になること。自分のこころのおもむくまま。
これがなかなかできません。

私は、なにかの団体に属して生きてきました。
自分の正直な気持ちより、その団体での保身にこだわってきたように思います。
給料が安いと転職をしました。こんな仕事じゃ満足できないと転職をしました。
要は、欲張りでした。「作為」を捨てきれなかった。
だから、どこに行っても苦労し、満足できませんでした。

もう良いはずです。
親の役目も終わったし、会社のために働かなくてもよくなりました。
それでも、保身の癖が抜けません。染みついているんです。

作為的なこころとは、この絵でいうと足を描かないで、
全体的な美に関心が移ってしまったことです。
それが良くない。バランスが崩れてしまいました。
覚悟が足りないとも言えます。
自由な中での責任が果たせていない。
自分が思うことを全うできていない。

先は長くない。もったいないですよね。
やっと気づいてきたのに、後戻りなんてしたくありません。
ひたすら正直に正直に生きたい。

鐘を突く 寒い日は嫌 人が待つ

2016年10月28日

2015年3月25日投稿記事「けち」も参照してください。
けちであるが故に、「作為」にこだわるのではないでしょうか。
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人智を越える

2016-10-27 01:21:38 | プロジェクトエンジニアー

職人がよく言う言葉に、「長くやっていても納得がいくものをいまだ作れない」とある。
死ぬまでやっても作れないことになります。
それほど、情熱を込めているということでしょう。

飽きないものづくりがあるように思いました。
プロフェッショナルという番組で
デザイナー皆川明さんの「人生に寄り添う一着をー」を視ました。

地道にやることが良いともとれました。
自由であるが故に責任をとらなければならない。
懐かしい中にも新しいものがある。

皆川さんのものづくりは、そんな風に私には残りました。

今日のテーマは、「人智を越えて」です。
人智とは、人間の知恵。(広辞苑より)
爆発のようなものではなく、静かな自分が好きなものを追求するスタイルがある。
いつも思っていなくては、すらすらと一見爆発のような表現は出来ないとも言われていました。
「人智を越える」ということは、自由な中での責任の取り方ではないだろうか。
それ以上は考えられない。今の自分のすべてというような。
考えているうちは、作為が出て思う方に進まない。
顧客が喜ぶものではなく、自分が楽しいと思うものづくり。
迷いなく、自分そのものを表現することになります。

あきらめのスイッチを切る。
どこまでもあきらめないで自分の好みを追求する。
だから、いつまでも納得いくものができない。
ここまでは、皆川さんのコメントの反芻です。

毎日、お母さんが料理を作ります。
歳を重ねてもお袋の味が忘れられない。
どんなにすばらしい料理を食べたあとでも、お袋の味が懐かしい。
いたしかた無いことです。
お母さんは、毎日子供に美味しいものを食べさせてやりたいと
自分の舌を信じて料理をしています。
もちろん、隣のお母さんが作る料理も食べて勉強します。

私は、工場の改造をすることがありました。
改造後は、働いている人に「昔からこうだったよな」と思ってもらえるような
工場づくりを目指しました。周りに調和した違和感のない改造です。
今でもそうです。草刈りをした後も、「あれ昔はどうだっけ」と
思ってもらえれば本望です。草刈りをしたくてもなかなかできません。
他にやることがいっぱいあるというのは、人に言うことです。
本当は、身体がきしんでそれ以上はできないのです。

ここら辺のお母さんは、朝早くから夕方まで自分の力が及ぶ限りの野菜作りをされています。
手を抜かれませんが、休みながらの仕事です。毎日されます。 
地道といえばそうです。美味しい野菜を作りたい、それを食べさせたいし食べたい。
よって、畑は常に整然としています。
ただ夢中になって作り過ぎてしまうし、できてしまう。人にあげて喜んでもらいます。

「人智を越えて」とは、常に思っていることを一気に表現したとき、
爆発のように見えたり突然変異に見えたりするのでしょう。
実にシンプルで、自由で、面白いを追求した結果です。

今度ある交流会で中学生に、「お利口さんになるより、変人になれ」と
言おうかと考えていました。でも止めました。
それは、中学生が考えることであり、選択することです。

漬物を 作って食べて また習う

2016年10月27日
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